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(回答先: 国家総動員法(抜粋口語訳) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 5 月 29 日 02:19:36)
日英丸
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450107nitiei/nitiei.htm
画
上田毅八郎
ミッドウエィ作戦の日栄丸
●国家総動員法
昭和13年・1938年4月15日,政府の優秀船建造助成施設法の適用をうけた日東鉱業汽船のタンカーが,神戸川崎造船所で進水して「日栄丸」と命名されます.この昭和13年4月というのは,それまでの日本の経済体制を変革させる重要法案すなわち国家総動員法(4月1日)や電力管理法(4月6日)が公布される一方,内閣には不足資源の補填方策を審議するための科学審議会が設置(4月15日)されるという,エポックメーキングとなった月でした.
国家総動員法というのは「戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様,人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ(第一条)」というもので,政府は勅命により,戦争遂行に必要な人的・物的資源を管理統制する絶大な権限を行使することが可能になったのでした.
暗い時代を予感させる月に命名を受けた1万トンタンカー日栄丸は北米航路に就航して,3年間ほど海軍艦艇用の燃料を運びます.対米開戦迫る昭和16年10月に海軍に徴用されてから後は,自らの運命に従うかのように太平洋の戦場を駆け巡るのです.
●帝国海軍とともに
昭和16年日本の対米英開戦劈頭,マレー半島上陸作戦して海軍艦艇への補給を行った日栄丸は,昭和17年前半にはインド洋で暴れまわる日本海軍部隊の後方にあって燃料輸送と補給を続けます.同年のミッドウェー作戦(敗北のため作戦中止),ガダルカナル作戦,昭和19年のあ号作戦(マリアナ群島に上陸するアメリカ軍部隊を攻撃した日本海軍機動部隊が一方的な大敗北を喫した作戦),捷1号作戦(フィリピンを攻略を目指すアメリカ機動部隊を迎え撃った日本艦隊が,壊滅的な敗北を喫した作戦),多号作戦(フィリピンのレイテ島に陸軍の増援部隊を送る特攻輸送作戦・中止)など,帝国海軍の主要作戦に参加.時に自らも傷つきながら,黙々と艦隊支援活動を続けたのです.
●日栄丸の最期
日栄丸を撃沈した米潜水艦は,昭和19年後半から就役した「ベスゴ」でした.参戦期間が短かったためそれほど多くの艦船を沈めることはありませんでしたが,それでも昭和20年4月にドイツ海軍のUボート・U183を撃沈する戦果をあげています.
日栄丸がベスゴに遭遇したのは昭和20年1月6日の夜,場所はマレー半島沖でした.1万3千トンの重油と205名の便乗者を乗せて門司に向かっていた日栄丸は,左舷後部機関室に直撃を受けて火災をおこし,5時間の苦闘のあげく1月7日未明に沈没.国家総動員法とともに誕生した日栄丸の7年に満たない生涯はこのようにして閉じられたのでした.〈この項おわり〉
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