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(回答先: 日本の現状は当然かも知れません 投稿者 2000/12/31 日時 2004 年 5 月 22 日 12:08:37)
大晦日さん、レスどうも、
現実味のある話で、現状の理解も、わかりやすいです。
でも、最後だけ、反論というか、夢のない話をさせてください。
>・父権の復活(ちゃんとそれなりの時間に帰ってきて子育てに対等に参加)
>・自治体主催の会合(幼稚園児以下対象)への積極参加
>等を通じて「個の基盤の確立」をすることが私の考える「(心)豊かな日本の復活」
ということになります。
父権を知らないものがどうやって子育てに参加できると思いますか?
地域団体(自治体主催にかぎらないで、民間でも)の会合に、必要性を感じて積極参加しているものは、ごく少数で、逆に、こういう参加者の意見は、一般多数には、受け入れられません。いかに、この少数の意見が正しくともです。順番でまわってきた役員がいやいや引き受けて、昨年の行事を引き続ける形で、成り立っているのが現実です。
社会福祉について行政がある程度サポートするシステムが仕上がっている日本では、地域コミニティの必要性は下がる一方です。逆に過疎化や、離島などでは、役場がサポートしきれないので、いまだに、地域団体の交流は親密であり、畑にあるものを食べて、あるものがないものに分け合うことが、当たり前です。
「(心)豊かな日本の復活」は、横のつながりより、最初に書かれた「父権」にあり、子供にものを与えないで、心を与えて育てることだと思います。
子供って、正直言って、衣食住以外は、なにも「物」を与えなくても、育ちます。絵本がなければ、想像力豊かな子供に育つでしょうし、おもちゃがなければ、台所にころがっているジャガイモがお腹の中に納まるまでは、おもちゃに十分なり得ます。
でも、そんなこと、わかっていても、親としてはまちは、絶対にできません。周りの目も当然ありますが、それ以上に、時間をもてあました子供とどう過ごしてよいかわからないからです。
一方で、「物」を与えることで、子供の喜びを与えてやったという自己満足は、非常にお手軽です。「心」なんて、子供に与えたところで、返事は、「心」ですから見えませんしすぐにも答えが返ってきません。学問も同じです。子供の興味にいくらでも答えてやりたいのですが、子供の年齢に応じてやらないと伝わらないため、どうしても、歪曲した形での説明になります。これは、仕方がないとはいえ、気分の悪いものです。こういう役は、自分でなく、お手軽なTVにまわしてしまいます。
「物」って便利ですが、その分「心」が失われているようです。
物質至上主義が出来上がってしまっている今、何もない砂漠の国にでかけて、そこで、生まれて初めて言葉も通じないのに「心」に触れて、何度も、貧しい国に出かけていかれる方をひきつけられるのは、ほかでもない「心」のはずです。でも、彼らは、だからといって、そこに住み着きません。物質という麻薬にはまっているからです。
ちなみに、「心」でつながった共同体は、厳しい自然という現実と向き合っているので、できないものをやろうという努力も育たない気がします。コンプレックスももたないけど、発展とか、向上という発想が、すごく低く、しかし、それでいて、彼らは、かれらなりの満足を得ていて、先進諸国の人間がかれらを「貧しいがため」不幸にあると解釈することは、大いに間違っています。