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(回答先: 爆笑させていただきました、ありがとん 投稿者 哲学=思想なんて百年前におわっとる 日時 2004 年 6 月 10 日 04:03:57)
中川氏の本が「上澄みをすくって何となく分かった気にさせるカタログ本」の典型であることは明白ですが、カタログが流通するということは商品にまだ流通価値があることになりませんか?
例えば中川氏が激ホメするアーレントの本にはこう書いてあります。
「一ネーションによる征服は被征服民族の民族意識の覚醒と征服者に対する抵抗をもたらすか、あるいは征服者が手段を選ばなければ、はっきりとした専制に導くかだということだった。この様な専制は充分に暴虐でさえあれば異民族圧制に成功はするだろうが、その権力を維持することは被統治者の同意に基づく国民国家としての本国の諸制度をまず破壊してしまわなければ出来ないのである。」(『全体主義の起源 2』 アーレント)
この文章をアーレントの名前を消して「ニューヨーク在住ユダヤ人女性のイラク戦争への論説」と紹介してもなんら違和感がありません。歴史が繰り返しで現実が変わらない以上思想や哲学も変わり様がない、いつまでも成仏出来ないのです。ヘーゲルの言った「世界史の終焉」が訪れてミネルバの梟が飛び立っていればとっくに終わっていたはずですが、無様に生き延びて摺り切れるまでコピペされまくっています。中川氏の二項分類がローティーのコピペであり三項分類がリースマンのコピペであることはその証明とも考えられます。(乃依さんのご意見「伝統指向」が日本において極めて曖昧なものであるという点には同意いたします。)