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(回答先: Re: 未だ哲学が生き延びているとしたら、それは実現の機を逸したからだ 投稿者 終わったもののみが風俗化する 日時 2004 年 6 月 12 日 03:11:24)
>――ところで、人と世界は思想や哲学で動いたことなんてあるんですかね?
>どうも最近、そう思えなくなってきて・・・
ホッブスは当時のイギリスで水平派、独立派、王党派が入り乱れて血で血を洗うような闘争の結果成立した近代国家(政体)を事後的に理論的に後付けたにすぎません。(ホッブス自体は王党派に近い怪しい人物として警戒されフランスからの帰国を許されたのはかなり後のはずです。)「結果」として出現した意味がフランスに渡ったとき先験的なイデオロギー=理念となります。同じように血で血を洗う闘争の結果、理念を信じた者が勝ちましたが、これはたまたま勝ったということです。別の目もありえた。理念が正しいから勝った訳ではありません。中川某のいうように「思想が悪いから殺し合いになった」などというのは本末転倒、頭がほとんどブッシュ並みです。「自由、平等、友愛」も結果として生まれたものです。負けていたらそんなものはないのです。しかし理念を信じてその為に倒れた多くの人々がいることを私は信じます。彼らは歴史に線を引いたわけです。線が繋がっていくか、途切れてしまうかは時の運。しかしそういう人々なしには線は繋がらないのでしょう。理念が正しくても誰もが「勝ち組」になれるわけではない。
>キリスト教がヨーロッパを創ったという時点まで遡れば、そういうことも
>あったのかもしれないが・・・
事実としてあったローマ帝国が「普遍宗教」を必要としたとも言えます。目的は各部族の土俗の神をうち倒し内面的にも服従させることでしょう。ヨーロッパはキリスト教に強姦されたのです。ハイデガーがギリシアやゲルマン共同体などのキリスト教に汚染される前のヨーロッパに起源を求めるのは憎悪の裏返しとも言えます。
ただし「どちらが先か」という設問は必ずと言って良いほど神学論争になります。ハイデガーのメタファーを寸借すれば「釘と金槌とどっちが先にできたのか?」と問うようなものです。