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(回答先: 「座って話す」紛争解決 [酒井啓子氏/朝日新聞] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 04 日 02:53:25)
日本の田舎には「寄り合い」という言葉があります。私は中国地方の山村の出身ですが、ムラ(村落)では「寄り合い」を通して、みんな座って祭りや入会地の下草刈りなどの行事を話し合って決めたりしてきました。
そして何ヶ月に一回は「お籠り(おこもり)」といって鎮守の神様のある神社の社務所で神主さんにお祓いをしてもらったあとで、昼食を持ち寄ってお酒を酌み交わして食べたものです。このときには子供達はお菓子がもらえたし、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃん達と遊んでもらえるので楽しみだった。
ムラの住人に病人やけが人が出たら、ムラの家庭の主人達が一緒に神社に参拝して治癒をお祈りした。治癒祈願のお札は寄り合いで取り決めた「共益費」でまかなった。
これは私が高校生であった25年前くらい前には中国地方の山奥の集落では普通に見られた光景です。多分形態は変化しながらも何百年も続いてきた集落の運営方法だと思います。
もちろんこうした「寄り合い」で色々な掟を決めて、問題がある家は「村八分」にするという制裁を決めたりもしてきたというちょっと怖い意味もあります。村八分とは日常の付き合いをやめたりお祭りなどの行事への参加を禁止することですが、村「八分」の残り「二分」は火事になったりけが人が出たら助けるという最低限の人道援助は行うという意味でもあるのです。
これと同じ様な光景は世界中の農山村で見られるのではないでしょうか。もちろんアラブ世界でも似た光景があることが想像出来ます。アメリカ開拓時代にも同じことだったでしょう。こうした「寄り合い」では長老の発言権が強くて一目置かねばならないという鉄則がありますが、確かに「座って徹底的に話す」「皆で知恵を出し合う」「お互いの面子を立ててまるく収める」ということは民主主義の精神ではないでしょうか。こうした村落の民主主義は、お互いの氏素性がわかった上で信頼に基づいて行われていました。この部分ではシステム化した近代の民主主義とは少々異なるかもしれないが、民主主義の形態を持っていたことは否定できないと感じます。