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江戸時代の数学者といっても、なかなか名前は浮かんできませんが、関孝和は御納戸組頭という幕府の直属の武士で、江戸時代前期の世界的な数学者として有名だったそうです。
点鼠術といって、文学係数の代数式を筆算で表せるようにした筆算代数学をはじめ、方程式の判別式、ニュートンの近似解法、行列式やベルヌイ数の発見、未知数の変換、正負の根の存在条件、極地論、近似分数、不定方程式の解法、正多角形や円周率に関する計算、パップス・ギュルダンの法則、ニュートンの補間公式、方陣、円錐曲線論など、ちょっと聞いただけでも頭が痛くなるような難解な高等数字の発見や、計算を行っています。
その彼が中心としてやっていたのは、立体幾何だったというが、これは農業に大切な水田の絶対水平面を作るのに必要だったからです。
また、二宮尊徳も農地改良のために、立体幾何をフル活用しました。現実的な耕地面積の拡大のために、こうした高等数字をビシバシ利用したのであって、結果として高等数字が発達しました。
したがって、関孝和の場合も二宮尊徳の場合も、彼らの弟子になったのは必要に迫られた農民出身者でした。
同じくこのころ、高等数字とサイフォンを利用して全長43キロメートルの玉川上水をつくったり、箱根用水をつくったりと、相模の無名の農民が大変な土木技術を駆使して、江戸100万人に水を提供してきました。
これらの用水は現代と同じように、地下に本管が縦横にはりめぐらされていました。
これらは日本人の頭がいかに優秀であったかを示す大変よい例だと思いますが、こうした優秀な頭脳が現在、高学歴社会になったわりには、逆に減っているのは残念なことです。
■関孝和
関孝和の研究は沢山ありますが、中学生にわかる内容としては、円周率があります。正131072(2の17乗)角形を使って、円周率を小数以下11けたまで求めています。
幾多の業績を残し、和算の始祖と尊敬された関孝和は、寛永5年(1708)10月24日病のため亡くなり、東京都新宿区の浮輪寺に葬られています。
http://www.suga.gr.jp/haru/diary/words4/52.html