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ベルルスコーニを罵倒する(シリーズ、その1)
我が愛する敵役、ホセ・マリア・アスナールがその醜態を曝し尽くしてあっさりと表舞台から姿を消し、少々拍子抜けしてしばらく張り合いを失っておりましたが、ヨーロッパにはまだいるんだよ、けなし甲斐のある奴が。その名はシルビオ・ベルルスコーニ。
予定では3回のシリーズでスペイン語、英語、日本語の資料を使って、クソミソにけなしてやる積もりでおります。予定は以下の通りで、2−3週間に1回くらいの割合で投稿するつもりでいます。
(1) ムッソリーニの生まれ変わり?
(2) メディアの帝王、マフィアの手先
(3) シオニスト=イスラエルとの生臭い関係
この投稿をお読みの皆様方には、私がここでご紹介する資料よりももっと興味深いデータをお持ちの方がおられると思います。どしどしフォローしていただけましたら幸いです。特にこのオッサンの下劣さや馬鹿さ加減があふれ出る資料は大歓迎です。
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ベルルスコーニを罵倒する:(1)ムッソリーニの生まれ変わり?
2004年1月24日のエル・パイス紙は、「ドゥーチェの目」と題してイタリアの作家ウンベルト・エコの寄せた投稿記事を掲載した。このドゥーチェというのは指導者とか首領という意味で、ムッソリーニに対して尊敬と親しみを込めて言う言葉だそうだ。本文は非常に長いので、要点のみを抜粋して訳してみることにしよう。
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【引用・抄訳開始】
ドゥーチェの目 ウンベルト・エコ 2004年1月24日
シルビオ・ベルルスコーニの誕生に関して、その母親を満足させなければならなかった産婦人科医についての有名な逸話がある。彼は母親に言った。「見てください、この目を! ドゥーチェにそっくりだ!」と。
しかし、今日のおべっか使いの産婦人科医が母親に何を言えるだろうか、生まれた子供がベルルスコーニにそっくりだなどと言えるだろうか、と疑問に思う。おそらく彼女を絶望的な状態に陥れるだろう。分別のある産婦人科医なら生まれたばかりの子にはテレビの有名なタレントと比較するだろう。
各時代には特有の神話がある。私が生まれた時代には国家指導者についての神話があった。今日生まれる者にとってはテレビ・スターの神話がある。我々の時代に、もし独裁政治が存在するとすれば、それは政治ではなくメディアの独裁制であろう。そしてそれがイタリアにあるのだ。
ファシストの政体とメディアの政体の違いは次の点にある。
ファシズム時代では人々は新聞やラジオが政府広報以上には物事を伝えないことを知っていたし、監獄にぶち込まれるからロンドン・ラジオを聞くことはできないことも知っていた。だからこそファシズム体制の下では人々はロンドン・ラジオを小さな音で聞き、ひそひそ声や口から口への伝言と悪口だけを信用した。
ところが、人口の10%しか反対者の新聞に触れることがなく他はコントロールされたテレビのニュースを受け入れるようなメディア的体制では、テレビニュースのリアルな効果のために、テレビが言っているようなことだけを知り信じるようになってしまうのだ。
ここでは反対者をぶちこむ監獄は必要ない。聞こえないようにすればよいのだ。このようなメディア的体制に対してどう対処できるだろうか。体制が支配する情報メディアを握るべきだろうか。
イタリアでは反対者がこの問題に対処する方法を持つ事ができず内部分裂を繰り返すようになるまで、否応なしに、ベルルスコーニが勝利者でありつづけるのだ。
【抄訳終わり】
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以上のウンベルト・エコの記事にはいささか悲観的な雰囲気が漂っているが、イタリアでは主要なテレビ放送局6局のうち実に5つの放送局をベルルスコーニが実質的に支配している状態であり、そして彼はこれを法改正によって更に独占化・恒久化しつつあるのだ。この点については第2部で詳しく取り上げよう。
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シルビオ・ベルルスコーニが生まれたのは1936年、イタリアがエチオピアを併合し、フランコ将軍と呼応してスペイン内戦に介入しようとする時期の、まさにムッソリーニの全盛時代だった。エコの文章にあったベルルスコーニ誕生時の逸話のようなことは、おそらく当時としてはそれほど珍しくもなかったのかもしれない。しかしそれがベルルスコーニに関して語られる場合には特別な意味が込められているはずである。
20世紀に登場した独裁者の中で、ムッソリーニほど幸福な者はいない。他の高名な独裁者たち、ヒトラー、スターリン、フランコなどは、死後は悪魔のように遠ざけられ蛇蠍のように忌み嫌われた。スターリンは史上最大の虐殺者の一人として記憶され、ヒトラーのさまざまな悪事をわずかでも弱めて言おうものなら、例えそれが正確を期するものであっても、たちまち「左翼」や「民主主義者」や「ユダヤ人」に取り囲まれて袋叩きに遭ってしまう。フランコにしても、本来なら自分の後継者である国民党員ですら表立ってその名を口にすることができない哀れな状態だ。ところがムッソリーニだけは、今もって大勢のイタリア人に敬愛され、孫娘は国会議員になり国の最高指導者が賞賛を繰り返しているのだ。ローマで死体を逆さ釣りにされて群集に棒で打たれる悲惨な姿を曝したが、その死後は恐らく彼らの仲間内では最も安らかであろう。
先ほどの「ドゥーチェの目にそっくりだ」という逸話が現代に語られるということは、まさか「ムッソリーニの生まれ変わり」とまでは言わないにせよ、誰しもベルルスコーニにムッソリーニのイメージをダブらせているはずだ。確かに彼は極めて現代風の独裁者といってもよいだろう。しかし先輩のように演壇に立って演説することもローマまで行軍することも必要ではない。例のP2人脈と豊富な資金もあるが、何よりもテレビ番組をフル活用して、反対派の声を封じて、ジャンジャンと都合のよい情報だけを面白おかしく流し、国民の自尊心をかきたて外国人と野党に対する警戒心と憎悪を盛り上げる。そして自分は超一流の上下でパチッときめて口から出任せの大言壮語を吐きまくり、テレビでかっこよく放映されればそれで良いわけだ。彼がブッシュのように強い軍隊と優れた科学者を持っていないのは、全人類にとって不幸中の幸いである。
さて、この現代のムッソリーニが大先輩をどのように評価しているのか。次の資料に目を通していただこう。これはドイツのインターネット情報誌DW−WORLDの英語版に、2003年9月12日に載せられた「ベルルスコーニ、ムッソリーニについてのコメントで大嵐を起こす」と題された記事だ。(英文)
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【翻訳、引用開始】
ベルルスコーニ、ムッソリーニについてのコメントで大嵐を起こす
イタリアのシルビオ・ベルルスコーニ首相は、かつてのファシズム独裁者ムッソリーニを「優しいリーダー」だったと述べて、新たな議論を巻き起こした。
このイタリアの首相が欧州議会のドイツ代表議員をナチス強制収容所の看守に例える問題を起こしてから2ヵ月後、スキャンダル・メーカーのシルビオ・ベルルスコーニは再び、イタリアの過去の暗黒部分についてこじつけの解釈をして、批判者も同盟者をも喧喧諤諤の論争に巻き込んだ。
英国の雑誌Spectatorのインタビュー記事の中で、ベルルスコーニは、かつてのイタリアのファシズム独裁者であり第二次大戦中ナチスの独裁者アドルフ・ヒトラーと同盟を結んだベニト・ムッソリーニの行動を、大いに弁護した。ムッソリーニが「優しかった」かどうか尋ねられたとき、ベルルスコーニはこう答えた。「ムッソリーニは誰一人として殺さなかったんだ。ムッソリーニは人々を休日に国内での『追放処分』にしただけだよ。」
後でインタビューアーがムッソリーニを倒されたイラクの独裁者サダム・フセインと比較したとき、この首相は「俺は本物のイタリア人として愛国者として振舞ったのだ」と述べた。そして「俺はムッソリーニを再評価するつもりじゃなかった」と言った。
このイタリアのリーダーはまた同時に反対者を攻撃し、彼の言葉をねじ曲げていると非難した。そしてこう付け加えた。「何で政府の指導者の俺がいつもいつも非難の集中砲火を浴びなきゃいかんのか、さっぱり分からん。」
コメントは国を揺さぶる
このイタリアの首相の最新のたわごとは怒りを引き起こし、戦後の民主主義を反ファシズムへの意思一致によって作ってきた国民の逆鱗に触れた。
ムッソリーニは、「イル・ドゥーチェ(首領)」という名でも知られているのだが、1922年から1943年まで鉄拳で統治し、ドイツのヒトラーと手を結んでイタリア帝国を作ろうとした。彼は1938年にイタリアで初めて反ユダヤ法を導入した。そしてそれはおよそ7千人のユダヤ人をナチの強制収容所に送る道をつけたのだ。
金曜日に野党の左翼政党は激怒し、第二次大戦での長いレジスタンス運動の結果生まれた民主主義の方向に、ベルルスコーニが進むことは無いだろうと断言した。マルガリータ党の委員長であるピエルイジ・カスタグネッティは、この首相の言葉は「信じがたくショッキングだ」とロイターに語った。元共産主義者で左派民主党の上院議員セサレ・サルビはベルルスコーニのコメントを「まさに大恥さらし」と呼び、ムッソリーニの犠牲者たちが「復讐を求めて叫ぶ」と言った。イタリア・ユダヤ人協会のアモス・ルザットは「ベルルスコーニのコメントに私は深い憤りを覚える」と言った。
ベルルスコーニの同盟者たちも彼の弁護は困難だった
このイタリアの首相の大失態は自分の党の党員や、ムッソリーニのファシズム運動に土台を置く極右国民同盟のメンバーをも、議会で大慌てさせることになった。多くの者がその狼狽振りを隠そうとしなかった。
「反ファシズムは団結のための価値基準だ」と、ベルルスコーニの政府の重要な同盟者であるキリスト教民主同盟党首のルカ・ボロンテは言った。「それは多数派を団結させ、野党と政府を団結させる。それは国を団結させる。この団結を投げ捨てるのはナンセンスだ。」と。
ベルルスコーニ連立与党のいくつかの政党は、首相の言葉を曲解して大騒ぎをしていると非難して、彼の弁護に努めた。
「私は首相がニュース製作会社によって報道されたようなファシズムについてのコメントをおこなったとは信じたくない」と共和党の党首ジオルジオ・ァ・マルファは言った。国民同盟のジアンニ・アレマノは「これは報道ミスであると思う」と語った。
金曜日のイタリアの新聞は、ベルルスコーニの最新の失言に大見出しに掲げ辞任を要求した。普段はベルルスコーニ寄りの日刊紙イル・テムポですら「彼(ベルルスコーニ)はムッソリーニを正直な人だと呼ぶことだけはしなかった」と見出しをつけた。新聞ラ・レプブリカは「ベルルスコーニはファシズムを解放した」という見出しの記事を載せた。
ベルルスコーニいわく:俺は俺だよ
このドタバタ劇は、イタリアがこの6月にEU議長国の席について以来の、ベルルスコーニの一連の失言の最新のものである。この6ヶ月間のEU議長国の地位はこのイタリアの首相にヨーロッパの舞台での栄光ある役割を与えているのである。
欧州のリーダーとしてのベルルスコーニのレビューは、ベルリンとの不和を引き起こしたかの悪名高いナチス呼ばわりによって、悪評を買ってしまった。それは、イタリアの副大臣がドイツの観光客について侮辱的な発言をした後ベルリンとローマの間の非難合戦が起こった。そしてドイツのシュレーダー首相がイタリアでのバカンスを取りやめるまでに至った。ベルルスコーニは謝罪を拒否した。先週、スペクテイターのインタビューの前半部で、ベルルスコーニはイタリアの裁判官は「精神的に混乱している」「他の人々と人種が違う」という言い方をして怒りをあらわにした。
このしゃべりすぎの首相は、自分ではメディアによって誤った引用をされ誤解されていると主張しているのだが、今回もまた落ち着き払っていた。「俺は自信があるよ。俺は根拠の無い批判でしょげたことなど一度も無いんでね。」イタリアの新しいAGIの係官は今週ベルルスコーニの言葉を次のように引用した。「俺は人々の反応するのを見て楽しんでいるんだ。そして俺はずっと俺だよ。」
【翻訳・引用終わり】
http://www.dw-world.de/english/0,3367,1433_A_969380,00.html
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この資料の終わりの方にも書いてあったが、実はこのヒト、この「優しいムッソリーニ」発言のちょっと前、2003年7月にEU議会で彼を批判したドイツのシュルツ議員に対して「私はナチス強制集要所の映画を作る監督を知っているから、あなたを看守役として推薦しよう。あなたならハマリ役だ。」と発言し、ヨーロッパじゅうが大騒ぎになったのだ。
まさに言いたい放題。ムッソリーニへの敬愛ぶりは言うことなしだが、それにしてもヒトラーとナチスはちゃっかり非難のネタに使っておいて、自分の大先輩を持ち上げようというのだから、したたかだね、このオッサン。
さて、イタリアの第2次大戦後の政党政治史はかなりややこしいので、私が長々と書くより、次のサイトをご覧いただいた方が早い。(日本語)これには2000年以降は書いていないが、それ以前の歴史が簡潔にまとめられている。
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論文 − デ・ガスペリと戦後イタリア政治体制の形成
http://www.law.ryukoku.ac.jp/~takahash/html/thesis/post_ww2.html
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ベルルスコーニに関して主要なことを書くと、1994年に「フォルツァ・イタリア(がんばれイタリア)」という名前の保守政党を結成、その年の総選挙で各右派政党を糾合して政権を握った。と思ったとたん自分自身と身内の汚職がばれて2ヶ月もたずにつぶれた。そして7年後の2001年、右派連合「自由の家」を率いてブロディ(現EU委員長)率いる左派連合「オリーブの木」をお得意のテレビ戦術で破り、首相に返り咲いて今日にいたる。それにしてもイタリアの政党の名前は素敵だ。マルガリータとかオリーブの木とか。「がんばれイタリア」ねえ。まあ、サッカー場だけにしたほうがいいんじゃないの。サッカーといえばこのオジサン、ACミランの元会長で、会長時代にはサッカー選手も選挙の応援に駆り出されたらしい。
ところで、一口にベルルスコーニ与党、と言ってもなかなかややこしい。彼が党首であるフォルツァ・イタリアはイタリアの最大政党ではあっても単独では到底過半数を取ることはできない。イタリア国会の詳しい構成については次のサイトに行ってほしい。(日本語)
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外務省(イタリア)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/italy/data.html
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彼の政党は、ファシスト党の流れを汲みムッソリーニの孫娘が国会議員である南部の国民同盟(元々はイタリア社会運動)、北部独立論者で元々国民同盟とは犬猿の仲であるはずの北部同盟、本来ならフォルツァ・イタリアとは水と油のキリスト教民主中道党と、「左翼との対決」という1点のみでかろうじてまとまって、呉越同舟の連合政権を作っているのである。その国内政策は全くうまくいっておらず、EU内でも経済停滞が最も深刻な国の一つである。
イタリアの現在の政治状況を表す面白い資料がある。(日本語)ベルルスコーニの不倶戴天の敵、元首相で現在EU委員長のブロディとの確執について書かれてある。ぜひ読んでいただきたい。
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EU委員長とEU議長国(伊首相)との水を油の6ヶ月
http://www.iti.or.jp/flash53.htm
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しかしそれにしても、どうしてイタリア国民はこんな下劣な大金持ちを首相に選んでしまうのだろう。もちろんテレビという最も影響の大きいメディアを駆使しているせいもあるが、どうやらそればかりでもなさそうだ。
次にご覧いただくのは「web宮崎正弘」のホームページからだが、イタリアを悩ます不法移民の問題についてなかなか鋭い指摘をしている。
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国際情勢を一刀両断:不法移民とイタリアの右傾化
http://www.nippon-nn.net/miyazaki/world-situation/
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この不法移民については、同じ南欧のスペインに住んでいると非常に良く分かるのだが、国民はやはり相当に気にしている。上の文章では宮崎氏らしく中国移民を主に取り上げているのだが、中国人よりもはるかに多くの北アフリカ、旧ユーゴ系、アルバニアなどの不法入国者が後を絶たない上に伝統的にジプシーの問題がある。ジプシーでは、スペインも同様だが、ルーマニアからの集団移動が近年目立つ。
スペインではペルー、エクアドル、アルゼンチンなどの中南米諸国からの人々はもちろん、モロッコ、アルジェリア、サハラ以南の黒人諸国からの不法移民がこの数年間で3倍から4倍に増え、東欧系、パキスタン人なども街に溢れている。やはり彼らもスペインを足がかりにして他の欧州の国に移動したがっている様子だ。外国人による犯罪も増えている。もちろん中国人も多くバルセロナで日本料理店を経営しているのは大半が中国人なのだ。ただし右翼諸氏が心配するほどには在住している中国人による刑事犯罪は少ない。しかしアラブ系には、特に今回のような「テロ」事件が起こったりすると、ますます警戒心が強くなってしまうだろう。
イタリアにはこれに加えて「南北問題」が厳しい。工業化が進み農業も盛んな豊かな北部と、乾きやせた土地にしがみついて伝統的な生活を強いられる貧しい南部の格差である。北部の人間にとっては南部人もまた外国人と同様であろう。
イタリアは元から治安の良いとはいえない国なのに、これほど不法移民が増えてくれば、またそれが欧州全体の不法移民の「窓口」になっているならば、国民の心はやはり内向きになっていくのだろう。そこに、ベルルスコーニのような心地よくナショナリズムをかきたててくれる「テレビスター」が指導者として登場する余地が出てくるのかもしれない。自分の身の回りにいるのは得体の知れない外国人や南部出身の貧乏人であり、ベルルスコーニがどれほど不正な蓄財とメディア独占を図り国際的な恥を振りまこうが、なにせ身近にいる「ベルルスコーニ」はブラウン管のスターなのだから。
ナショナリズムといえば、本来なら仲の良いはずの無い北部同盟と国民連合が手を組んでいくためにはどうしても「全イタリア」を強烈にまとめるイデオロギーとシンボルが必要になるだろう。それがやっぱり「ムッソリーニ」というわけだ。しかしベルルスコーニがムッソリーニを「イタリア統合のシンボル」として使っていくうちに、ミイラ取りがミイラになるように、しだいに自分自身がムッソリーニになっていってしまうのではないだろうか。いや、もうすでにほとんどそうなっているのだろう。
最後の資料は「ネオ・ファシストが政府になだれ込むとき(ジェノバのコンテキスト)」と題されたEdmund Zimmermanの文章である。掲載サイトはBad Subject(英語)。これは2001年にジェノバで行われたWTO総会で、警官の発砲で死者まで出した反グローバリゼーション活動について述べた文章で、本文は長いので一部だけ訳しておこう。
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「ネオ・ファシストが政府になだれ込むとき(ジェノバのコンテキスト)」
Edmund Zimmerman
【前略、訳出・引用開始】
ファシストと排外主義の政府
ベルルスコーニは、法制度からの自分のビジネスの防衛と自分が監獄から逃げること以外は、あらゆる政治的ビジョンを欠いている。彼はイタリアを治めるという仕事を二つの極右派の政党に、最低の国民的支持と最大の頑固さで、手渡した。中道左派連合は1994年にベルルスコーニの最初の汚職政治の後からイタリアを治めていた。それに対して選挙での勝利を収めるために、彼は、北イタリアの排外主義的でホモ嫌いの「北部同盟」と呼ばれる奇怪なギャング集団と同盟を結んだ。そして同様に彼は片方の手でネオファシストの「国民同盟」を歴史の異物になるところから救い上げた。新たな産業改革大臣であるウムベルト・ボッシに率いられる北部同盟は、アフリカや東欧からの移民ばかりか南部からの移住者をも恐れ忌み嫌っているのだ。彼らはイタリアの共和制から多くの地域を分離するように求めてきた。一方で彼らは近隣のユーゴスラビアがこの50年間のヨーロッパで最も悲惨な殺し合いの中で解体したような事態を予想して自ら武装しているのだ。ボッシの一党にとって幸いなことに、ミスター・ベルルスコーニは、議会での賛成票と引き換えに、その危険な要求に対する信頼と共に大臣の座を提供したのだ。
イタリア・ファシズムの蘇生は、ベルルスコーニが国民同盟の中にイタリアの利益の旗印をよみがえらせたときにおとずれた。国民同盟は1946年にムッソリーニの手下どもの灰の中から生まれた。そしてタンジェントポリ【訳注:汚職都市の意味、1992年に捜査が開始するマフィアがらみの巨大な汚職事件】に関する法的な調査がその暗黒部分と極悪の活動に光を当てるまでは常に選挙で5から6%の票を得てきた。1990年には全国でわずか3.9%の得票にまで落ちた。「掘り出し物買い」のエキスパートであるベルルスコーニのメディア・ボーイたちは、国民同盟のジアンフランコ・フィニを選び出し、そして彼を情熱的な保守主義のイタリア・バージョンに仕立て上げた。これは、フィニが1992年にムッソリーニのローマ行軍70周年の集会でムッソリーニを「イタリア史上最大の政治家」と発言したにも関わらず、成し遂げられた。フィニは同時に、集会ごとにのナチのスキンヘッドを全面に出してローマ市長に対する野蛮な攻撃を繰り返した。しかし彼らの新しい名前、国民同盟と、新調された軍用ブーツで彼らの得票は上がり、そして今、フィニはベルルスコーニの右腕である。
たがを失ったファシズムの再興の危険が間近に迫っていることを理解するためには、ジェノバでのデモ隊に対して並べられた無数の警察官と半軍隊的な勢力の活動だけでななく、あの悲惨な結果を紹介し脚色する国家(つまりベルルスコーニ)にコントロールされるメディアの機能を考える必要がある。ジェノバでの暴力の先導者についてのネオ・ファシストの見解はすべて、70年代と80年代にファシストのギャングたちによってなされた右翼暴力の歴史的な記録と匹敵するものであるに違いない。通信大臣のマウリヅィオ・ガスパルリは、農林大臣ジョバンニ・アレマンノや副首相フィニとともに、騒然たる70年代の間に"Fronte Della Gioventu"【訳注:「青年戦線」とでも訳すか?】に所属していたことを記す政府の公式人物紹介を、全員が自慢している。その若いファシストのギャング集団はその暴力性と人種主義で有名だった。ジェノバで非暴力の抗議者たちの集まりを襲ってテロ行為を働いた警官たちは、"La Facetta Nera"(「小さな黒い顔」)という"Fronte Della Gioventu"の歌を好んで歌った。この歌は30年代のムッソリーニによる残虐なエチオピア支配を、排外的人種主義と強姦のメッセージと共に、記念するものなのだ。
【訳出・引用終わり】
When Neo-Fascists Storm into Government (A Context for Genoa)
Edmund Zimmerman
http://eserver.org/bs/58/zimmerman.html
Bad Subject
http://eserver.org/bs
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