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(回答先: 三内丸山遺跡(青森県)と並んで津軽海峡を挟んだ地域が、縄文文化の中心だったことを示す出土品 投稿者 処方箋 日時 2004 年 4 月 01 日 15:48:48)
処方箋さん、フォロー有り難うございます。処方箋さんの東北古代史に関する先日の一連の投稿は大変興味深く拝見いたしました。私も、東北・北海道史を無視すれば日本列島史は不十分なものになると思っております。
さて、北海道南茅部町の遺跡からの出土品が焼失した事件を記憶しています。その際に失われた出土品の一つの焼失前の姿を処方箋さんのupされた写真で拝見しますと実に独特な造形であったことが分かります。球形の体部の上に逆円錐形の部分が乗り、そして頂部は解放されています。更に表面に塗られた漆は3300年を経たとは思えない艶やかさを保っています。
何に用いたものでしょうか?急須のようでもあり、香炉のようでもあります。
こうした姿形の土器は他にも存在するのでしょうか?亀ヶ岡式の土器の中に似たようなものがあったようにも思いますがどうでしょうか。