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注口土器からヘビが…
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投稿者 処方箋 日時 2004 年 4 月 04 日 16:29:55:lkpL4Fj8ypCy2
 

(回答先: 3300年を経た漆の艶に驚きを覚えます。 投稿者 シジミ 日時 2004 年 4 月 01 日 23:31:28)

シジミさん、今日は。

> 私も、東北・北海道史を無視すれば日本列島史は不十分なものになると思っております。

同感です。
大学受験用「日本史」で間に合わせてしまうと、「単一民族」幻想と「万世一系天皇」幻想に浸り、「貴族には幸せだった平安時代」などを夢想するように見えます。

膨大な時間の流れの中での証拠の散逸と、その時々の権力者による事実の歪曲で、「日本列島史」の真実を探る試みは、しばしば困難を極めていますが、各地の研究者の地道な努力と相まって、ネットを通しての情報交換が有益と考えますので、今後とも宜しくお願い致します。


■ 注口土器の作成年代

 ▼ 縄文時代(約12000〜2300年前)を6つに分けるのが今の考古学の主流です。
   その中で、縄文後期(約4000〜3000年前)には、注ぎ口のある、急須のような形をした注口土器が作られ、液体を貯蔵する壺も定着しました。
   この時期に、美しく飾られた《精製土器》と文様の少ない《粗製土器》の明確な区別もできました。土器の形状は変化に富んでおり、香炉形土器など特殊な精製土器が作られました。


■ 注口土器の使用目的

> 何に用いたものでしょうか?急須のようでもあり、香炉のようでもあります。

 ▼ 北海道茅部郡南茅部町の垣ノ島A遺跡出土品のように、洗練された形状と手間の掛かる漆塗りのものは、精製土器と分類されています。
   精製土器は、丁寧に作られており、文様などの装飾が為されているという点以外にも、必ず突起を持つという特徴があります。世界的に見て、突起を持つ土器は殆ど例がないそうで、精製土器は単なる生活用具ではない事が伺われます。
   突起があることで使い難くなると思われるため、別の価値観が予想されます。
   それで、注口土器は、山葡萄や山桑などから作った果実酒を、祭祀の時に入れて使ったというのが、通説とされています。

 ▼ 青森県三戸郡階上町の滝端遺跡出土の急須状の注口土器(縄文後期後半〜晩期初頭)からは、切断痕のない一匹分の蛇の骨が発見されました。蛇は、体長1m 程のアオダイショウと見られます。
   「ここの住人は蛇を骨酒あるいは漢方薬として飲んでいたのかもしれない。」とは、現地・階上町教育委員会の方の推理です。

 ▼ 滝端遺跡やその近辺の縄文時代遺跡からは、抜歯された人骨も発掘され、縄文社会の風習としての抜歯が認められます。
   成人になる通過儀礼として、あるいは肉親の死に遭遇した悲嘆を共に分かちあうという意味で、抜歯したようです。 
   「抜歯すると大量に出血するし、痛いから麻酔も必要になる。注口土器は、止血剤や痛みを和らげる麻酔薬を入れたものではないか。その証拠には、弥生時代になり、抜歯の習慣が廃れてくると、注口土器も次第に作られなくなっていく。」と指摘する研究者もいます。

 さて、シジミさんはどう思われますか?


■ 注口土器の様式分類

> こうした姿形の土器は他にも存在するのでしょうか?

 ▼ 福島県相馬郡新地町の新地貝塚から「磨消縄文に瘤つき」が特徴の注口土器(縄文後期〜晩期)が多数出土し、「新地式土器」と名づけられて、東北南部の縄文時代後期末の標式土器となっています。
   垣ノ島A遺跡出土の注口土器も、「新地式に相当」と認定されているようです。高さ 11.5cm、胴体部の直径 10.4cm です。

   ここで「新地式」は、土器表面の微隆線による紋様と瘤から「磨消縄文にボタン状の瘤つき」を分類するだけです。
 垣ノ島A遺跡出土の注口土器の持つ@ダルマ形やA朱漆塗りは、「新地式」を特徴付けるものではありません。

 ▼ 垣ノ島A遺跡と同様、噴火湾沿岸の北海道山越郡八雲町の野田生1遺跡出土の赤彩注口土器(縄文後期、約3500年前)は、高さ 28cm、胴体部の直径 22cm の大型です。
   垣ノ島Aのと同様に、「磨消縄文にボタン状の瘤つき」の「新地式」で、水銀朱による光沢のあるA朱漆塗りです。

   野田生1のは、腰高の壷の上に半球を伏せた形です。現在出土している注口土器の中では、垣ノ島Aのと形状がかなり似た@ダルマ形です。
 注口部が括れより下部にあり、液入れ口が頭頂部にあることも、同じです。


[野田生T遺跡出土の赤彩注口土器
北海道立埋蔵文化財センター所蔵 国指定重要文化財]

   最大の違いは、野田生1のは、より大きな液入れ口がもう一つ、頭頂部の脇に付いていることです。また、野田生1のは側面に吊り手が幾つも付いています。
   青森県十和田市滝沢出土の注口土器(縄文後期)も、液入れ口が2つあります。

   野田生1のは、頭頂部の液入れ口に洒落た摘まみ付きの蓋がありますが、垣ノ島Aのも、元は蓋がついていたのかも知れません。

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