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(回答先: 劣化ウラン弾「健康に害ない 川口外相 投稿者 たくげん 日時 2004 年 1 月 18 日 13:28:21)
★「国際的には、危険があるとは判断されていない」と言うのなら、なぜ放射線測定器を携行させる必要があるのか。(シジミ)
http://www.diplo.jp/articles01/0102-3.html
ロバート・ジェームズ・パーソンズ(Robert James Parsons)
ジャーナリスト、ジュネーヴ
訳・安東里佳子
劣化ウラン弾について世界保健機関(WHO)で調査報告をまとめようという計画は、これまでに何度も発表されては延期になり、現地コソヴォの国際人道援助機関からの圧力を受けると復活し、といったことを繰り返しながら未だに実現をみていない。いわゆる「バルカン症候群」が大問題となってからも、WHOは今年1月、たった4ページの覚書を公表しただけで、それで問題がほぼ片づいたような顔ですましている(1)。この覚書の主眼は事態を収拾し、世論を安心させるところにあったから、そこに盛り込まれた情報は曖昧で、どうみても現代の科学知識と相反するような記述すら見受けられる。そして、仮に放射線が発されたとしても、それは許容レベルにとどまっていたと断言する。つまり、「劣化ウラン弾の爆発との関連でバルカン帰還兵の白血病への罹患率が増えているというようなことは、科学的に言って考えられない」という。
保健分野の世界的権威であるWHOが、このような文書を作成したとは信じがたい。例えば「汚染除去作業」を「合理的」として推奨しているが、数百平方キロメートルにわたって拡散し、数十万トンの土と混じり合った、目に見えない数兆個の放射性粒子を回収しろなどと、本気で言っているのだろうか。
実は、WHOは1959年に国際原子力機関(IAEA)と取り決めを交わしていて、放射線と公衆衛生にかかわる問題は、IAEAの承諾なしには取り扱えないことになっている。しかも、実際に承諾が出されることは皆無に近い。
50年代、アメリカのアイゼンハワー政権は核兵器につぎ込まれる途方もない予算を正当化するため、軍事研究がいかに民生利用に波及効果をもつかを強調した。こうして、54年に「平和のための原子力」計画が誕生した。人々は、これで「クリーン」な電気が生み出される上に、請求書を気にする必要がないぐらい電気が使い放題になるのだと聞かされた。
これを聞いて、まったくと言っていいほど軍事研究に携わったことのない多くの科学者も、46年にノーベル賞を受けたハーマン・ジョゼフ・ミュラーの研究を思い出した。彼の発見は、電離放射線に恐るべき突然変異誘発性があることを示していた。「平和のための原子力」がうたう原子力発電所は、この放射線を民間人の居住地域に出現させることを意味していた。42年に最初のミリグラム単位のプルトニウムを分離した「プルトニウム・グループ」のチーフ、ジョン・W・ゴフマン博士は、「科学的実験にもとづく合理的な基準に従えば、絶対に安全な放射線量など存在しない」と激しく訴え続けた(2)。このような反対を前にしたアメリカは、56年に国連の関連機関としてIAEAを創設した。この機関の任務は、要するに原子力産業を推進することにある。
57年にWHOの主催により、放射線が遺伝子の突然変異に及ぼす影響についての国際会議が開かれた。会議の前提にはミュラー博士の実験があり、これが会議で発表され、後に出版された関連研究論文にも反映されていた(3)。しかし59年、この議論は打ち切りになる。そして、WHOは IAEAと次のような取り決めを交わす。「当事者の一方が、他方当事者の利害に係わるか、係わる可能性のある分野における計画または活動への着手を企図する場合、共通の合意によって問題を解決すべく、前者は後者と協議しなければならない(4)」。以降、WHOが公衆衛生と放射線との関係に係わる問題を取り扱おうとしても、IAEAはこの「共通の合意」という義務を盾にして、ほとんど片端から妨害してきた。
劣化ウラン弾についてのWHOの覚書が計画倒れになっているのも、同様の理由による。未だに継続中の包括的調査の対象は、「有毒な重金属」である劣化ウランとされている。調査対象が放射線にまで広げられたのは、劣化ウラン問題が世界中の新聞の一面トップで取り上げられた後のことだった。その追加調査は、英放射線防護委員会(湾岸戦争症候群にかかったイギリスの帰還兵から激しい非難を浴びている機関)と、当然ながらIAEAの専門家が手がけるようになるだろう。コソヴォ入りした国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や世界食糧計画(WFP)、国連人道問題調整事務所(OCHA)、国際移住機構(IOM)等の人道援助機関は、国連の関連機関という立場上、公衆衛生に関する問題については必ず WHOに照会しなければならず、調査報告が出るのを待ちわびている。
人体に危険のない「許容」放射線量の現行基準は、米国防総省原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査を根拠としている。この調査は、広島や長崎の被爆者を対象にしたもので、その主要とは言わぬまでも重要な目的は、戦争兵器としての核兵器の威力を計ることにあった。調査は50年に始まった(その詳細は65年まで公表されなかった)が、爆撃直後に生き延びた被爆者のかなりがすでに死亡していた。また、調査対象には比較的たくましい若者が多く、放射線の被害を受けやすい子供や女性、高齢者は含まれていなかった。
そして、この調査は、数十年後に発病した癌の進行を見ることなく、短期間で終わった。その上、調査に携わったのは生物学の知識のない物理学者たちだった。当時、彼らは DNAの機能はもとより存在さえも知らなかったから、激しい強烈な爆発そのものの威力と、呼吸器、消化器、あるいは外傷を通じて体内へ浸透する劣化ウラン粒子の放射線のように、ゆっくりと着実に進行する内部被曝の影響を区別できるはずもなかった。
低線量放射線の影響はあまりにも極微であり、調査の必要はないというのが核ロビーの言い分であった。その理屈に立って、広島や長崎のような強力な放射線の被曝調査の結果が粗雑に解釈された。つまり、もし例えば100という量の放射線を受けて生き残った被爆者のうち1000人が病気に冒されたのだとすると、50なら500人で、0.5にもなれば1人で収まるだろう。というわけで、それ以下の線量なら被害者は出ない(5)。
UNEPの調査報告
ところが、妊娠中に放射線を浴びた母親から生まれた子供を調査したイギリスの研究者アリス・ウォーカーが、微量の放射線でも人体に危険があることを明らかにした。彼女は70年代にアメリカのハンフォード核兵器工場の従業員を調査し、同じ結論に達している。98年、衰えを見せない91歳のウォーカーは、45年の被爆者を対象とした過去の調査をジョージ・W・ニールとともに検証し、現行基準の根拠とされた調査に誤りがあることを反論の余地なく立証した(6)。この現行基準こそ、劣化ウランに被曝した人々にWHOが当てはめた「耐容一日線量」だった。同様の観点から、微量放射線の影響に関する数々の研究(7)(原子力エスタブリッシュメントが異議をとなえている研究)を著したイギリスのクリス・バスビー博士も、慢性的な内部被曝がDNAを組織的に破壊し、細胞の突然変異を招いて癌にいたらしめるメカニズムを説明した。
許容線量の国際基準はこれまでに何度か、国際放射線防護委員会によって引き下げられてきた。委員会が出した数値は次いでIAEAに採用される。基準の改定は最近では65年、86年、90年に実施されている。90年の改定では、以前の5分の1に下げられた。しかし、アメリカはこの基準を現在にいたるまで受け入れていない。つまり、湾岸戦争に派遣された兵士が受けた放射線量が「安全」とされているにしても、それは他の諸国の基準に照らせば5倍の量ということになる。
この分野のアメリカの最高機関は、原子力委員会(AEC)である。形の上では民間機関とされるが、現実には軍の最高司令部の意向を受け、核技術の開発を全面的にコントロールしている。つまり、あらゆる主要な電離放射線源が、その危険性の調査にまったく関心を持たない人々と機関に委ねられているということだ。AECの委員として最も傑出していた科学者はジョン・ゴフマン、カール・Z・モーガン、トーマス・マンキューズ、アリス・スチュワートの4人であったが、いずれも微量放射線の発癌性を示す調査結果を示したことで解任された(8)。要するに、今回の WHOの覚書はこれまでの否認の歴史の流れから出てきたものであり、ユーゴの劣化ウラン弾をめぐる対応は、この歴史の最も新しい一ページでしかないのだ。
コソヴォ紛争の最中の99年5月、国連は予備調査のために、紛争に関連するすべての機関の代表を現地に派遣した。各機関がまとめた報告書は、他の機関にも配布された。調査には国連環境計画(UNEP)も参加していたが、その報告書は握りつぶされた。この報告書は外に漏れ、99年6月18日にスイスのフランス語日刊紙ル・クリエとラ・リベルテが記事にしたため日の目を見た。報告書は、クラウス・テプファーUNEP事務局長の参事官、ベッカリー・カンテがまとめたもので、爆撃による環境汚染を警告し、中でも劣化ウランの危険を訴えていた(9)。
紛争終結直後の6月、欧州委員会からもコソヴォの環境汚染に関する調査報告が公表されたが、情報源(現地あるいは外部の専門家、著作、研究論文など)はあくまで隠されている。劣化ウランについては、まったくと言っていいほど触れられていない(10)。汚染の種類を示す簡略なリストに「劣化ウラン」という項目があって、「ユーゴスラヴィア−憶測による」と書かれているだけだ。この調査団はカンテ報告の存在を知らなかったものと思われる。しかしながら、彼らの報告書に散見される記述を突き合わせると、約80カ所の被弾地点はカンテ報告のリストと見事に重なる。
このすぐ後、UNEPは最終調査に当たる作業グループ、バルカン・タスク・フォース(BTF)を設置した。テプファー事務局長から議長に任じられたのは、ぺッカ・ハーヴィスト元フィンランド環境大臣である。彼の意見ははっきりしている。劣化ウランは汚染全体の一部をなしており、その調査を除外すべきではない。放射能汚染としての調査はいけないというのであれば、毒物汚染ということで調査を実施する。
BTFは調査報告(11)を書き上げ、99年10月8日にジュネーヴで発表する運びとなった。あるジャーナリストが、公表前の報告書のコピーを求め、BTFの事務局があるUNEPジュネーヴ事務所を訪れた。ところが、テプファー事務局長の腹心のロバート・ビセット報道官が出てきて、BTFとの接触は一切認められないという。そして、ハーヴィストBTF議長の記者会見は、予定を変更して10月11日にニューヨークで開かれることになる。コソヴォの劣化ウラン弾問題を追うジャーナリストは皆ジュネーヴに足場をおいていたから、調査報告の責任者へ質問する機会を封じられた形だ。
辻褄の合わない中身からもわかるように、当初72ページあった最終報告はビセット報道官の手で2ページに切り詰められた(省略された部分は後日、UNEPのウェブサイトに掲載された)(12)。結論および勧告として、すべての汚染地点への接近を禁じることを求めておきながら、別の箇所では汚染地点は特定できないと述べているのである。カナダの専門家、ロザリー・バーテルは、コソヴォの車両のエア・フィルターや損傷を受けた戦車、劣化ウラン弾の想定被弾地点から試料を採取することをBTFに求めていたが、現地に一度だけ赴いた調査団が持ち帰った試料には、これに相当するものは含まれていない。
地図に表された情報
この間、ジュネーヴには、この問題の直接の関係者が次々に出入りした。UNHCRのバルカン特使、デニス・マクナマラは、難民が「安全な環境」に帰還していると報告した。しかし彼の言う「安全」は「軍事的に安全」という意味であり、2000年7月12日に国連ヨーロッパ本部で開いた記者会見の際も、「NATO(北大西洋条約機構)によれば劣化ウラン弾に問題はない」ことを強調している。人口・難民・移民問題担当のジュリア・タフト米国務次官も、ジュネーヴの国連経済社会理事会に向かって「人道戦争」の成功を自賛した。このタフト国務次官は別の記者会見(1999年7月14日、国連ヨーロッパ本部)の折に、劣化ウラン弾が何なのか知らないと口をすべらせたことがある。
IAEAのデイヴィッド・キッド報道官は、IAEAには劣化ウラン弾についての調査権限はまったくないと主張し、何にせよ劣化ウラン弾は無害であると言い切った。WHO欧州地域事務所のケイト・バヴェストック博士もまた、危険はまったくないと繰り返した上で、「劣化ウラン弾が戦場において問題を引き起こす」ことを認めている。さらに、国連事務総長バルカン特使に任命された元スウェーデン首相カール・ビルトは、劣化ウラン弾の事件を「無用の騒ぎ」と一蹴した。
2000年3月、劣化ウラン弾の被弾地点を印したコソヴォの地図が1月にNATOからUNEPに提出されたという情報が、アメリカの反核NGOミリタリー・トキシクス・プロジェクトによって伝えられた。この情報はオランダ外務省筋も確認した(13)。3月20日、世論の突き上げを恐れたテプファー事務局長は、ジュネーヴで緊急対策会議を開いた。しかし、時すでに遅し。会議当日の朝、スイス唯一の独立系フランス語紙ル・クリエに、問題の地図が載ってしまっていた。
翌日、ハーヴィストBTF議長が記者会見を開き、地図を公表した。彼は事態の収拾を図りつつも、10月の報告書の勧告を繰り返しただけだった。つまり、汚染地点への接近を禁止した方がいいと述べ、その一方で、手持ちの地図は汚染地点を特定するほど正確ではないという。報道発表では、いつまでたっても準備中のWHOの調査報告と、英王立協会が BTFに求めた(その後は話題に上ることはなかった)別の調査の存在が強調された。
公表された地図は、A10戦闘機から発射された30ミリ口径の対戦車貫通体の着弾地点を示すとされるが、そこには問題がある。28カ所の標的は、イタリアとドイツの部隊が駐屯するアルバニア国境近くに集中していた。この辺りはかつてチトーが、アルバニアの指導者エンヴェル・ホジャによる「国土回復運動」を恐れ、地下にコンクリート製の大規模な軍事施設を建設した地帯である。チトー時代にこの施設を見学したスイスの軍事研究家ジャック・ランゲンドルフは、30ミリ口径の貫通体では施設のコンクリート壁にたいした打撃を与えられないだろうが、劣化ウラン弾搭載のクルーズ・ミサイルなら効果があるかもしれないとする。またイギリスの研究家、デニス・フラハーティによれば、今回の戦争の目的のひとつは、このようなミサイルに10発までの貫通体を一度に打ち込む新技術BROACHを使い、地下のトーチカに対する威力を試すことにあったという。
アナン国連事務総長の強い要望を受け、2000年7月、NATOからテプファーUNEP事務局長に新しい地図が渡された。そこには112カ所の攻撃目標と、推定される弾薬の種類がリストアップされている(NATOとペンタゴンの情報システムからすれば考えにくいことだが、約20カ所については弾薬の種類が「不明」とされる)。ハーヴィストBTF議長は、この地図のことを9月まで知らなかったらしい。地図の存在を知ったハーヴィスト議長は、直ちにコソヴォにおける現地調査の実施を求めたが、テプファー事務局長は10月24日のコソヴォ選挙前に調査することを禁止したと推定される。憂慮すべき新事実が現れた場合、戦争中のような大量の住民流出が懸念されるからだ。
ともかくも、WHOの報告を待ち疲れたUNHCRは、独自の人事通達を出した(14)。妊娠中の女性職員のコソヴォ派遣を禁じ、この地域への赴任を打診する職員には別の選択肢も示さなければならない。また、コソヴォ勤務を経験したすべての職員については、「汚染」による発病に対する補償に備えて「現地任務を経験」との記載を人事簿に残す必要がある。フレデリック・バートン副弁務官によれば、一般市民に汚染の危険を警告しようとする UNHCRに対し、アルバニア系指導者だけでなく、NATOと国連コソヴォ暫定統治機構(UNMIK)の幹部も激しく抵抗した。
ロザリー・バーテル博士は、劣化ウラン弾をめぐる「無用の騒ぎ」が、今も続く果てしない物語の一コマにすぎないと述べている。「無用の騒ぎ」の行方を見守らねばなるまい。
(1) 「劣化ウラン弾−覚書257号」(2001年1月12日付、世界保健機関、ジュネーヴ)
(2) 研究論文 << Radiation Induced Cancer from Low-Dose Exposure >> からの抜粋で、John W. Gofman, M.D., PhD. の署名の下で1999年 5月11日付の公開書簡中に引用された。
(3) 「人間における放射線の遺伝子的影響:WHOが招集した調査グループの報告書および同グループの複数メンバーによる研究報告」(WHO、ジュネーヴ、1957年)
(4) 国際原子力機関と世界保健機関の取り決め。1959年5月28日の第12回世界保健総会で、決議WHA12.40号として採択。「世界保健機関 基本文献 第42版」(WHO、ジュネーヴ、1999年)収録。
(5) Rosalie Bertell, << The Hazards of Low Level Radiaition >>(博士のウェブサイト http://ccnr.org/bertell_book.html 参照)
(6) << A-bomb survivors : factors that may lead to a re-assessment of the radiation hazard >>, International Journal of Epidemiology, Volume XXIX, No. 4, Oxford University Press (Oxford), 4 August 2000, pp.708-714.
(7) Including Wings of Death : Nuclear Pollution and Human Health, Aberystwyth, Green Audit 1995.
(8) Jay M. Gould, directeur, and Benjamin A. Goldman, assistant director, Overview : Deadly Deceit, Low-Level Radiation, High-Level Coverup. Radiation and Public Health Project, New York, December 1989.
(9) Bakary Kante, Senior Policy Advisor to the Executive Driector of UNEP, << United Nations Inter-Agency Needs Assessment Mission to the Federal Republic of Yugoslavia : Environment and Human Settlements Aspects >>, United Nations, May 1999.
(10) << Assessment of the Environmental Impact of Military Activities During the Yugoslavia Conflict : Preliminary Findings >>, June 1999, prepared by The Regional Environmental Centre for Central and Eastern Europe, Szentendre, Hungary, for the European Commission DG-XI - Environment, Nuclear Safety and Civil Protection (Contract No. B7-8110/99/61783/MAR/XI.1).
(11) << The Kosovo Conflict : Consequences for the Environment & Human Settlement >> United Nations Environment Programme and United Nations Centre for Human Settlements, Geneva, 1999.
(12) http://www.grid.unep.ch/btf/ あるいは http://balkans.unep.ch
(13) ル・モンド・ディプロマティーク http://www.monde-diplomatique.fr/cartes/uakosovo の地図を参照
(14) UNHCR人事部の通達書類
(2001年2月号)
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