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【発信箱】「戒める」と言われても=与良正男
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やれやれ。自民党のプロジェクトチームが憲法改正草案策定に向けてまとめた「論点整理」と題する報告書を読んで、思わずため息をついてしまった。
それによれば、今の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3原則は堅持しつつ、新憲法の前文には、「わが国の歴史、伝統、文化、国柄」「健全な愛国心」「誤った平和主義、人権意識への戒め」などを盛り込むべきだという。底流にあるのは「戦後民主主義の否定」なのだろう。
私だって、権利ばかりを主張するような身勝手な風潮はあしきことだと思っている。でも、「戒め」と言われてもなあ。まさか、「○○を戒める」と書くわけではなかろうに、これをどう条文化するのか。文章力も想像力も足りないのか、私には見当がつかない。
要するに、この人たちは、平和運動や住民運動、あるいは昨今で言えば、「市民の自立」といったものが嫌いなのだと思う。だいたい、「戒め」などという言葉が出てくる発想自体、狙っているのは「国の統制」ではないのかと私は疑うのだ。(つい最近も、個人情報保護法が、いつしか官による“報道規制法”に変わってしまったことを思い起こそう)
論点整理には、前文に「日本の目指すべき方向と理念」を盛り込むべきだとも書いてある。
それが見えないから、私たちの国は今、混迷しているのではないのか。国民を戒めるより先に、まず、その「方向と理念」とは何か、とことん議論を。少なくとも、明るい未来像を提示してもらわないと、「健全な愛国心」なるものも生まれはしない。(政治部)
(毎日新聞2004年3月16日東京朝刊から)
http://www.mainichi.co.jp/eye/hassinbako/art/040316M137_0202101E10DF.html