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(回答先: 綱領改定についての報告・第2章「現在の日本社会の特質」(しんぶん赤旗) 投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 16 日 08:24:39)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-01-15/00_03.html
世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ(第三章)
つぎに、「第三章 世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ」であります。ここでは、世界情勢を、二〇世紀の変化と到達点(第七節)、社会主義の流れの総括と現状(第八節)、世界資本主義の現状の見方(第九節)、国際連帯の諸課題(第十節)といった順序で分析しています。この分析を、世界の構造の変化という角度から整理してみたいと思います。
植民地体制の崩壊は、世界の様相の大きな変化を生み出した
第一の角度は、植民地体制の崩壊が引き起こした変化であります。
改定案は、二〇世紀の変化の第一に、植民地体制の崩壊をあげています。大事なことは、このことが、世界の構造の全体にかかわる大きな変化・変動を生み出したことであります。
第一点。二〇世紀の初頭には、地球上の大多数の諸民族が、植民地・従属諸国として国際政治の枠外におかれていました。いまでは、これらの国ぐには、独立国として国際政治に積極的に参加しており、そのこと自体が、二一世紀の新しい世界情勢をつくりだしています。
第二点。この変化のなかで、植民地支配を許さない新たな国際秩序が生み出されたことは、きわめて重大であります。これによって、独占資本主義の諸国のあり方も大きく変化せざるを得なくなりました。
第三点。国際政治の舞台で、非同盟諸国会議、東南アジア諸国連合、イスラム諸国会議機構(OIC)などの諸組織が果たす役割と比重が大きくなりました。国際連合のあり方も、これまでの大国中心から、本当の意味で国際社会の全体を代表する方向での新たな発展が求められるようになりました。
第四点。イスラム諸国の登場と発展に端的に示されているように、異なる価値観を持った文明と文明のあいだの共存という問題が、いやおうなしに世界の日程にのぼってきました。
これらがその変化・変動の主要な点であります。二一世紀には、この方向でのさらに大きな発展が予想されます。
二つの体制の共存という情勢が新たな展開を見せつつある
第二の角度は、二つの体制の共存という関係からみた世界構造の変化であります。
資本主義が世界を支配する唯一の体制だった時代から、二つの体制が共存する時代への移行・変化が起こったのは二〇世紀であり、そのことは、二〇世紀の最も重要な特質をなしました。しかしこの時代的な特徴は、ソ連・東欧での体制崩壊で終わったわけではけっしてありません。むしろ二つの体制の共存という点でも、新しい展開が見られるところに、二一世紀をむかえた世界情勢の重要な特徴があります。
改定案がのべているように、ロシアの十月革命に始まった社会主義をめざす流れは、今日の世界で、いくつかの国ぐにに独自の形で引き継がれています。とくにアジアでは、中国・ベトナムなどで、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始されています。これは、中国は人口十三億、ベトナムは人口八千万、合わせて人口が十三億を大きく超える巨大な地域での発展として、世界の構造と様相の変化を引き起こす大きな要因となっています。それが、政治的にも、経済的にも、外交的にも、二一世紀の世界史の大きな意味を持つ流れとなってゆくことは、間違いないでしょう。
「社会主義をめざす国」の規定をめぐって
この問題ではいくつかの質問がありました。
一つは、“中国・ベトナムなどを「社会主義をめざす」流れと評価しているが、そこで起こっているすべてを肯定するのか”という質問であります。
私たちが「社会主義をめざす」流れ、あるいは「社会主義をめざす」国と規定するのは、その国が社会主義への方向性を持っていることについて、わが党が、わが党自身の自主的な見解として、そういう判断をおこなっていることを表現したものであります。
これまでにもいろいろな機会に説明してきましたが、この判断は、その国の政府や政権党の指導部の見解をうのみにしたものではなく、実証的な精神に立っての私たちの自主的な判断であることを、重ねて指摘しておきたいと思います。
わが党は、その国の人々が自ら「社会主義」を名乗っているからと言って、それを単純に受け入れて「社会主義国」扱いするという安易な態度はとりません。このことは、わが党がソ連問題から引きだした原則的な教訓の一つであります。どの国についても、それは、私たち自身の実証的かつ自主的な判断によるものであります。
この判断は、方向性についての認識・判断であって、その国で起こっているすべてを肯定するということでは、もちろんありません。改定案自身が、これらの国ぐにの現状について「政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも」と明記している通りであります。
ただ、他国の問題を考える場合、日本共産党は、社会の変革過程についての審判者でもないし、ましてや他国のことに何でも口を出す干渉主義者でもないことに、留意をしてもらいたいと思います。社会主義へのどういう道をすすむかは、その国の国民、その国の政治勢力がその自主的な責任において選ぶことであります。私たちはあらゆる国の状況について積極的に研究し、吸収する価値のあるものは吸収します。しかしそこに、自分たちのいまの考えに合わないところがあるとか、自分が問題点だと思っていることを解決するのに時間がかかっているとかを理由に、あれこれ外部から批判を加えるというのは、日本共産党のやり方ではありません。
私たちは、その国の政府や政党から公然と攻撃や干渉を受けた場合には、公然と反論します。そうでない限り、それぞれの国の国内問題については、全般的には内政不干渉という原則を守り、公然とした批判的な発言は、事柄の性質からいってもともと国際的な性格を持った問題、あるいは世界への有害な影響が放置できない問題に限るという態度を、一貫してとってきました。
これは、日本共産党が数十年にわたって守ってきた対外政策の原則であります。この態度は、いろいろな国、いろいろな文明との共存の関係を発展させるうえで、重要な節度だと私たちは確信しています。
もう一つの質問は「社会主義をめざす」国に北朝鮮をふくめているのか、という質問でした。七中総でもお答えしましたが、私たちが、現実に社会主義への方向性に立って努力していると見ているのは、中国、ベトナム、キューバであって、北朝鮮はふくめていません。
帝国主義論の新たな発展がもつ実践的な意義
第三の角度は、世界資本主義の矛盾の深まりであります。
経済的な諸矛盾については、綱領改定案は、第九節の冒頭で、世界資本主義の現状を「巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾」からとらえ、その代表的な現れとして、現実に世界で問題になっている七つの諸矛盾をあげています。ここは短いけれども非常に重要な部分であります。後でものべますが、この分析が、第五章「社会主義・共産主義の社会をめざして」における生産手段の社会化の必然性の解明にもつながるし、また、世界的な体制変動の諸条件の分析にもつながることになります。
つぎに世界資本主義の政治的諸矛盾の問題ですが、七中総の報告のなかで「独占資本主義=帝国主義」という見方が、現代の条件のもとでは一般的には成り立たなくなったこと、したがって、すべての独占資本主義国をその経済体制を理由に一律に「帝国主義の国」として性格づけることは妥当でないことを、指摘しました。これも二〇世紀における世界の様相・構造と力関係の変動のなかで、何よりも植民地体制の崩壊という大きな変動のなかで起こったことであって、そこをよく見ることが必要であります。
この点で、実践的に重要な問題として、二点を強調したいと思います。
一つは、政党が、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、その呼称・呼び名には、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする批判と告発が、当然の内容として必ずふくまれているということであります。
そこから、改定案は、植民地支配が原則的に許されない現在の国際秩序のもとで、ある国を「帝国主義」と呼ぶためには、その国が経済的に独占資本主義の国だというにとどまらず、その国の政策と行動に、侵略性が体系的に現れているかどうかを基準にすべきだ、という立場をとりました。
これは現実の世界政治の分析でただちに必要になる基準であります。
改定案は、この基準で、アメリカの対外政策が、文字どおり「帝国主義」の体系的な政策を表していることを解明し、そういう内容を持って「アメリカ帝国主義」という規定をおこなっています。そうであるからこそ、綱領のこの規定は、アメリカの政策の核心をついた告発となっているのであります。
かりに、いまの世界で、「帝国主義」とは、経済が独占資本主義の段階にある国にたいする政治的な呼び名だというだけのことだとしたら、いくら「帝国主義」といっても、その言葉自体が政治的告発の意味を失い、そう呼ばれたからといって誰も痛みを感じないということになるでしょう。
もうひとつ大事な点は、この問題は平和のためのたたかいの目標と展望にかかわってくるということであります。レーニンの時代には、人民の闘争や情勢の変化によって、独占資本主義の国ぐにに植民地政策を放棄させたり、独占資本主義体制のもとで帝国主義戦争を防止したりすることが可能になるなどとする考え方は、帝国主義の侵略的本性を理解しないものと批判されました。実際に当時は、こんなことは実現不可能な課題だったからであります。
現代は、まさにその点で情勢が大きく変化しました。たとえば改定案は、「民主的改革」の方針の「国の独立・安全保障・外交の分野で」のところで、八項目の平和外交の方針を提起しています。その大部分は、レーニンの時代だったら、独占資本主義のもとで非帝国主義的な平和政策を夢見るものとして扱われたであろう課題であります。しかし現代では、これらの課題は、国際的な平和・民主運動のなかでも、実現可能な課題として、追求されているのであります。
これらの点をはじめ、綱領改定案にもりこまれた「帝国主義論」の新しい発展という問題は、現代の世界情勢の分析に、大きな実践的意義をもつことを強調したいと思います。
二一世紀の世界像をめぐって
つぎは、二つの国際秩序の闘争をめぐる問題であります。
改定案は、二〇世紀の重要な出来事として、国際連合の設立をあげ、それとともに、「戦争の違法化」が世界史の発展方向として打ち出されたことを、高く評価しました。国連憲章は、各国の内政には干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、各国の勝手な軍事行動は、侵略への自衛反撃以外は認められない、などの諸条項を定めましたが、これはまさに「戦争の違法化」という方針を具体化し、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設をめざしたものでした。
この国際秩序は、国連憲章のなかで目標として宣言されてはいますが、まだこの地球上で全面的に実現されるにはいたっていません。この平和秩序を、めざすべき目標というだけでなく、世界の現実にかえることが、二一世紀の平和と戦争をめぐるたたかいの大きな争点になっていることを、正面からとらえる必要があります。
改定案は、この立場から、「国連憲章にもとづく平和の国際秩序か、アメリカが横暴をほしいままにする干渉と侵略、戦争と抑圧の国際秩序か」、この二つの国際秩序の選択という問題を、世界平和のたたかいの中心課題として提起しています。
この対決は、いま、ほとんどあらゆる国際問題で現れていますが、最大の焦点はいうまでもなくイラク問題であります。この問題は、文字どおり、世界の見方、国際秩序のとらえ方がもっとも鋭く問われる舞台となっています。
小泉首相は、自衛隊派兵の決定に際して、「国際社会」への貢献をしきりに唱えました。小泉首相がいう「国際社会」とは、アメリカ一国の利益を世界平和の利益のうえに置いた、アメリカ中心の「国際秩序」にほかなりません。
これにたいして、自衛隊派兵に反対するわが党や平和・民主勢力がいう国際社会は、多数の独立した主権国家と異なる価値観を持つ多様な文明によって構成されている現実の国際社会であります。この国際社会では、どんな超大国にも、自国の利益を世界平和の利益のうえにおく勝手横暴は許されないし、国連憲章にもとづく国際秩序が何よりも尊重されます。
「国際社会」という言葉は同じでも、その中身は、これだけ違っているのであります。
このように、イラク戦争をめぐる対決は、世界でも日本でも、まさに二つの国際秩序の選択が、二一世紀の世界政治の焦点だということを、もっとも具体的な形で日々に示しているのであります。
そして二〇世紀から二一世紀への人類史的な流れを的確にとらえるならば、二つの国際秩序のどちらが切り開くべき未来を代表し、どちらが前時代から引き継がれた過去を代表しているかは、すでに明らかではないでしょうか。(拍手)
以上、世界情勢の章についてのべてきましたが、最後に一言したいのは、改定案がここでのべている命題の一つひとつが、野党外交で私たちが得た胸躍るような実感の裏づけを持っているという点であります。(拍手)
二一世紀の世界の激動的な展開の方向を広い視野で見極めながら、国際分野での活動に取り組んでいきたいと思います。(拍手)