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(回答先: あの、懐かしいワープロ専用機・オアシスで作った文書データをパソコンで読み込みたいとかないですか。(^^; 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 2 月 27 日 22:55:58)
「ワープロ友の会」過去FILE【ワープロ難民なんて言葉もありました。これは一つの悲劇です。(^^;】
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/wordpro_file.html#hajimari
山村基毅
1 はじまり [2002年12月6日記]
電器店、量販店が、すでにワープロを置かなくなっていることに気づいたのは、今春のことだった。
4年前に買ったワープロが故障し、修理に出すついでに、そろそろ新製品も購入しておこうかと近くの量販店に赴いた。ところが、「ない」のである、ワープロが。
店員の対応は、実にそっけないものであった。
「もう、(ワープロは)置いてないですよ」
現在使用しているパソコンを買ったのが2年半前、そのときは、この売り場にも何種類かのワープロが置かれていたのだ。そう告げると「もう、メーカーでも作ってないのでは?」と心細いことをいう。
さすがに青ざめてしまい、すぐさま新宿、池袋、さらには秋葉原の量販店、電器店を回ってみた。そして、どこにもワープロが売られていないことを思い知ったのだ。
*
同じ時期、週刊誌「サンデー毎日」(2002年6月30日号)の取材を受けた。
「ワープロ難民を救済せよ!」(平野幸治氏)と題されたこの記事は、実によく私たち「ワープロ族」の苦難を掬いとってくれていた。ワープロに愛着を覚える人は年配の方々が多い。こういう人たちは、原稿執筆のため「だけ」にワープロを使っているのだから、パソコンは必要ないのである。ところが、そのワープロが店頭から消えてしまっている。それも、いつの間にか、である。著者は、電器店、メーカーを回り、けっきょく需要と供給の関係から、ワープロは絶滅の危機に瀕しているとの結論に達するのだ。
この記事中、「ワープロ難民」たる私は、取材に対してワープロ讃歌を唱えている。有名人では、作家のなかにし礼氏と北村薫氏も「ワープロ讃歌」を載せられているから、まんざら私の意見が自分勝手なわけではない。
もうひとつ、この記事で私は《目下、ライター仲間と「ワープロ友の会」結成の準備をしている》と紹介されている。これじたいは本当のことだが、実のところ、いまだ会員2名という情けない状態なのである。ま、熱心に仲間集めをしなかったのだから当然のことなのだが。
さて、そこで、この場を借りて私の「ワープロ遍歴」を述べるとともに、改めて「友の会」を募集しようと思っているのである。
「友の会」といっても、何か面倒な活動が在るわけではない。最低でも、自身のワープロ体験を述べてもらうことぐらいか。ただ、匿名でも可である。
切実な思いを抱かれている方だけでなく、多少とも興味をもつ方はご連絡ください。
*
ちなみに、私は、いまだに仕事で執筆する原稿はもちろん、メモ程度の文章に至るまで、あらゆる原稿をワープロで書いている。パソコンはインターネットとメール用、なおかつ11月からはホームページ作成用に利用している。これはワープロでは無理だから。
ああ、そうだ。メールについては、ワープロも併用している。そもそも私は「パソコン通信」時代からのメール愛好者だから、ワープロによるメールはけっこう大事なアイテムなのである。
そして、ここにアップしている文章も、あくまでワープロで作成している。
この文章を打っているワープロは、シャープの書院シリーズで「MR−2 SERIE」という代物だ。ハードディスク付きという優れ物で、1998年9月に購入、歴代ワープロでは12台目になる。
2 ワープロ以前 [2002年12月13日記]
「物書き」の仕事をはじめたのは、1982年だった。私はまだ学生だったが、ある編集プロダクションの「フリーライター募集」という広告に作文を送ったところ、すぐさま仕事を依頼されたのである。
後になって判明したところによると、多少の文章力さえあれば主婦や定年後のサラリーマンのほうが「安く」使えるということだったらしい。学生の私などは、まさにうってつけなのだろう。実際、私は「書いたものが金になる」ということが嬉しくて、原稿料などいくらでもいいと思っていたのだから。確かに、そこの原稿料は、今から思うと信じられない額であった。当時の私にそのことを判断する術はない。
月に400字原稿用紙換算で100枚前後を書きつづけた。内容は、ほとんどが映画館や遊園地といったタウン情報、それに大学情報(タウン誌やリクルートの新聞が多かったせいだ)、ときおりカメラ片手に女子大生のインタビューなども行なった。
使用していた用紙は、そこのプロダクション仕様の200字詰原稿用紙。このとき、初めて200字詰の原稿用紙を知った。
筆記用具は、初めは万年筆を使っていたが、すぐに鉛筆に変えた。なぜなら、私はとにかく書いては消し、書いては消しを繰り返すので、万年筆だと紙くずが出過ぎるのだ。鉛筆は、HBからB、そして2Bへと移っていった。
このころの執筆前の儀式は、10本ほどの鉛筆をきれいに削る。それを目の前のペン立てに突っ込む。大きめの消しゴムを手元に置き、そして書きはじめる。書く場所は、部屋の机が主であったが、夏は、当時はクーラーはおろか扇風機も持っていなかったので、喫茶店に居座って書いた。冬は、ほとんどコタツである。
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この仕事から、学校を卒えてすぐにルポライターの看板を掲げるまで、多少の時間を要し、それ以後の数年間は、笑ってしまうような耐久生活を強いられることになるのだが、それは別のテーマとなるので触れない。
とにかく、学生の身分を失う直前に、名前と住所を記しただけの、肩書のない名刺を作った。そんな海の者とも山の者ともつかない若僧に原稿を依頼する奇特な編集者が、2、3人は現れてくれた。そのおかげで何とか糊口をしのげていた。
*
こうして、ほとんど「フリー(ライ)ター」という立場で仕事をして、およそ1年ほどが経ったとき、ある編集者の仲介でノンフィクション作家、吉岡忍さんの仕事を手伝う機会を得た。あるルポルタージュの取材部分の手伝い、いわゆるデータマンというヤツである。
吉岡さんは、当時、東芝のワープロを使っていた(本稿を書くため、電話で確認したので確かである。TOS−WORDという機種だったそうだ)。
最初の打ち合わせのとき、さりげなく、でも、ちょっとだけ自慢げにプリントした原稿を見せてくれた。
それを見た瞬間、大袈裟ではなく、私は「おおっ!」と声を上げていた。まったくの印刷物だった。その2年前に友人たちと作った同人誌(和文タイプである)より、よほど美しく見えた。
これが、私とワープロとの初めての出会いである。
1984年のことだった。
3 最初のワープロ [2002年12月22日記]
ノンフィクション作家の吉岡忍さんから「ワープロというもの」があることを知らされ、俄然、私は関心を抱いた。
きっと、初めは誰でもそうだと思うのだが、見栄えの良い原稿だと中身も素晴らしいかのように錯覚するのである。私はかなりの悪筆であるから、ときに自分でも判読できないような文字が並ぶこともある。だから、きれいな字で書かれた原稿は羨ましかった。
もしかすると、ワープロというものは物書きにとっては福音なのかもしれない。ある日、私は吉岡さんのところへ相談に行った。
いろいろとワープロに関して講義を受けたのだが、実のところ、詳しい話は覚えていない。ただ一言、話を聞き終えてもなお逡巡している私を見て、吉岡さんが「これから、どんどん進歩していくし、値段も安くなるはずだ。どのあたりで買うかを悩むんだったら、早くに買って慣れてしまったほうが得だよ」と言ったのは覚えている。そのころ、ワープロのような高価な機材について「買い替える」という発想はまったく持っていなかったから、この意見は新鮮だった。
そして、私は「ワープロというもの」を購入することに決めた。
なお、改めて吉岡さんが当時使っていたワープロについて聞いてみたが、価格が当時で100万円を超えていたらしい。画面はCRTディスプレイ。辞書数が2万2000語。ワープロの辞書数は、かなり早い時期に10万語を超え、あっという間に100万語は突破しているから、今から思うと玩具のごとき変換機能である。漢字の変換については、「恋愛」「不倫」「乳房」という語は変換できなかった。
「なのに『御名御璽』なんて言葉が変換されたんだから、作り手の思想が現れているよね」
プリンタの文字は24ドット。記憶媒体は8インチフロッピー。起動の際にはシステムファイルを使っていたと記憶している。
その後、吉岡さんは、富士通のオアシスに変わり、ウィンドウズ95が出て以降はパソコンへと移ったそうだ。
*
買うと決めたとき、まず私が考えたのが予算である。
何しろ、暇な時間ばかりを抱えたルポライターである。100万円などという高いワープロは買えようはずもない。
電器店や量販店に何度も出向き、陳列しているワープロに触ってみた。
1985年ごろ、一般的なワープロは黒っぽい画面に緑の文字の出るCRTディスプレイに、キーボード、それにプリンターという組み合わせであった。私が「良いな」と思ったものは、60万円ほどの価格がついていた。
とても手が出ない。
ただ、そろそろラップトップ型も出回りはじめていた。それでも30万円ほどである。
とりあえずラップトップ型へと照準を絞り、メーカー、機種、もちろん価格を比較していった。電器店の店頭で、店員に話を聞いたりして、メーカーはシャープにすることにした。変換のスピードや方式が、気に入ったからである。といって、是が非でもというほどではない。そのあたりは「感じ」としか言いようがないのだ。この段階で、予算は10万円台と決めていた。それで買える機種がなければ諦めようと思った。
10万円台のものが、いくつか見つかった。正直言って、「かろうじて使えるかな」と思える機種よりも、さらに2段階ほど落ちるものばかりだった。
さて、それでも購入するかどうか……。
私は、悩みに悩み、そして選びに選んで、ついに購入した。
シャープの「書院WD−210」であった。確か、14万円ほどではなかっただろうか。
これがまた呆れてしまうほどの「トンデモ機」であったのだが、それは、実際に打ちはじめ、使いはじめて気づくことになる。
大きな段ボール箱を持ち帰った私は、ただただ嬉しくてしようがなく、そこまで思考が回る余裕はなかった。