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「ワープロ友の会」について【その2】
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/121.html
投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 2 月 28 日 16:59:37:WmYnAkBebEg4M
 

(回答先: 「ワープロ友の会」過去FILE【ワープロ難民なんて言葉もありました。これは一つの悲劇です。(^^;】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 2 月 28 日 16:44:16)

「ワープロ友の会」について【その2】
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/wordpro.html

山村基毅

4 ワープロ受難          [2002年12月30日記]
 閑話休題。
 先日、こんなニュースを見かけ、「ついに来たか」という思いにとらわれてしまった。
 見出しは、こうだ。
《ワープロ機の生産に幕/シャープが撤退》(共同通信・02/12/28)
 うううむ。記事の中身は……?
 このほど、シャープが日本語ワープロ機の生産と出荷を取りやめたことが分かった、というのだ。そして、これによって大手のすべてのメーカーがワープロ市場から撤退したことになり、ワープロという代物は誕生から25年で姿を消すことになった、とある。
 東芝が1号機を発表したのが1978年だから、まさに、ちょうど25年となる。
 シャープが断念したのは、3年前に発売した新しい機種の売れ行きがふるわなかったせいとある。東芝も一昨年に生産を中止し、昨年はNEC、富士通、カシオ計算機も撤退しているから、この3年の間に一気にワープロ機の息の根は止められた、ということになるのか。
 ま、流れとしては、いずれこうなるだろうことは予測していた。ただ、実際に来てみると、なかなかに複雑な気持ちになってしまう。
 ワープロ機の生産に幕を引くことは、私たち「ワープロ難民」にとって苦難の時代の幕開けでもある。
     *
 先週、知り合いのライター、花崎真也氏からワープロ機を譲ってもらった。
 シャープの「書院」で、型はWD−A340である。辞書数23万語、フロッピーディスクドライブが一基、それにICカードスロットが二基ついている。年代物なのは確かだが、機械じたいは丁寧に使っていたせいか、新しい。
 試し打ちをしてみたが、ちょっとキーが重い感じがする程度で文章を書くうえでは何の支障もない。もちろん、辞書数はどんどんと増えつづけているから、変換キーを押してもなかなか変換されない文字は多い。が、それは登録していくことで解消されるだろう。あと、フロッピーディスクドライブの動作音に雑音が混じるのは気になるが、騙し騙し使っていけば2年は保つのでは、と見た。フロッピーディスクドライブがイカれはじめたWD−A570が手元にあり、捨てるに忍びなかったのだが、これでやっと成仏させられるだろう。
 しかし、年末の大掃除をも乗り切った、古いワープロたちが部屋を侵食しはじめており、2003年は何とかしなければと意を新たにしている。

5 ワープロを買う          [2003年1月5日記]
 いよいよ、ワープロを購入した。
 シャープの「書院WD−210」である。
 辞書数3万4000語。これに複合語4万6000語と固有名詞1万語が加わり、一応は収録語9万語というのが売りになっていた。
 なお、当時のワープロは、漢字に第一水準、第二水準という区分けがなされ、要は簡単な漢字と複雑な漢字という程度の意味だが、このワープロは第一水準までしか収録されていない。だから、旧字の類いは一切使用できないし、たとえば「躊躇」なんて文字もなかったはずだ。
 さて、この機械が「トンデモ機」であると気づいたのは、まさに机上に置いて打ちはじめてからだった。
 まずは、画面。
 文字表示の画面が、ドットマトリック液晶表示で、何と12文字×1行なのである。冗談ではなく、本当の話である。
 液晶の腕時計のような薄緑を基調とした画面に12文字が1行だけ表示される。打つたびに、その文字がどんどん左側に消えていき、新たな文字が表示されていく。
 もちろん、店頭でも打ってみたんだよ。いろいろな機種を打ち比べてもみた。そして、これを選んだのである。
 このあたりの、考えの至らなさを今になって自省してみると、単に舞い上がっていただけかもしれない。のっけからフリーランスとして世間に出た人間は、機材など職場環境への投資、必要経費という発想が皆無なのである。いや、他の人は知らないから、単に私だけかもしれない。
 鉛筆と原稿用紙程度なら、たかが知れている。あとは旅費であるとか、取材相手と飲んだ際の飲み代であるとか、そんなものしか必要経費として考えられなかった。
 そこに10数万円の「ワープロ」である。それも1985年だ。
 相当に思い切った買い物ではあった。
 やはり、店頭でキーを打たせてもらったとき、私は浮かれていたのだろうと思う。いや、浮かれていたのだ。
 家で段ボール箱から取り出し、机に置いて、文字を打ったときに、愕然としてしまった。
 また、この機械、何と外部記憶装置がついていないのである。つまり、フロッピーもカードも使えない。内部に記憶されるだけである。それも4300字、つまり400字原稿用紙10枚程度を本体メモリに記憶させるだけなのである。
 これは、痛かった。12文字×1行よりも、むしろ、こちらの記憶容量の少なさのほうが問題だった。
 つまり、一つの仕事をすべて終えてから、次の仕事に進まないといけないのである。
「ワープロ」と名づけられてはいるが、機能は「タイプライター」なのである。なにしろ「1行印字」という機能さえ付いているのである。どういう機能かというと、まず書式を設定する。たとえば、A4用紙縦入れで、1行を30字に設定したとする。で、文章を打っていく。一文を打ち、変換キーか改行キーを打つ。30字を越えたとき、つまりは1行を越えたとき、勝手にプリントをはじめるのである。
 凄いですよ。私は映画などで観た、アメリカの作家のタイプライターを打つ姿を思い浮かべた。
 もちろん、今なら笑ってしまう、こうした「日本語における」タイプライター機能でさえ、当時としては驚くべき機能だったのは事実である。
 仕事で使用するには、原稿用紙に手書きにするのには敵わなかった。だから、私は再び鉛筆を一ダースも買い込んだのだ。
 では、このワープロに何の意味もなかったかというと、そうでもない。というより、以後の私のワープロ遍歴を生み出す、その種子を植えつけたのは、この「書院WD−210」なのである。
 私は、それまで英文タイプライターをやってなかったので、キーボードにまったく慣れていなかった。キーボードを「あいうえお かきくけこ……」と、できるかぎりのスピードで打つ練習をしたのである。まるでスポーツの特訓めくが、1行印字の機能を使って、時計でタイムを計りながら、文字を打つ練習をしてみた。
 この初ワープロのすぐ後に2台目を購入するのである。

6 そして2台目へ           [2003年4月2日]
 久しぶりにワープロ友の会について書きましょう。
 前回は1行表示のワープロを初めて買ったところまでだった。
 あのワープロは、機能の優れたタイプライターといった程度のものではあったが、とにかく、キーボードで文章を「書く」ということをかなりの時間をかけて身につけていった時期でもある。
 これは正直に言っておくが、このワープロで仕事用の原稿を出したことは、ほとんどない。いまから考えるとオカシナ話だが、プリントした原稿を手書きで原稿用紙に書き写したりしていたのである(妹尾河童さんの仕事ぶりは、こういう形らしいが)。
 ひとつには、どうしても、ワープロ文書が「完成原稿」だと思えなかったこと。そして、もうひとつは、当時はいま以上に編集者から「書き直し」を命じられており、翌日まで、あるいは半日後に、ときには編集部で書く、というケースが多々あった。となると、400字を打つのに2時間も3時間もかかるワープロではどうしようもないのである。そんなとき、鉛筆で書き、消しゴムで消す原稿用紙の威力が俄然発揮される。
 そして、もう一点、原稿用紙だと「どこでも」直せるというメリットがあった。いまでも私は筆箱を持ち歩いているが、これは当時の名残である。この筆箱と原稿用紙さえあれば、とにかく手持ちの原稿を書き直すことは可能なのである。
 そこで登場するのが、ファックスなのである。物書きの間でのワープロの普及は、ファックスの普及と連動していると私は考えているのだが、そうした指摘はあまりなされていないようである。
 2、3度経験してみればすぐに分かることだが、ファックスで原稿を送る場合、手書きの原稿用紙だと実に見にくいし、なおかつ、枚数が嵩むのである。受け取ってみると、とてもじゃないけど読めないことが多い。とくに万年筆で書かれた原稿は、判読不能のことがある。
 ところが、これがワープロだと、手書き文字より一回りも二回りも小さな文字がくっきりと送られる。そして、たとえばA4の紙だと、私は35字×40行、つまり1400字で送っているが、まったく何の支障もなくやり取りしているのだ。手書きだと、まず、皆無といっていいほどありえないだろう。
 だから、ワープロがワープロのみで屹立し、一般に広まっていったわけではなく、ファックスなり他の機械と連動しながら普及したと考えたほうがいいのではないだろうか。とにかく、ファックスがあったればこそのワープロ原稿である。
 で、ここで、やっと2台目の話に移ります。
 実は、この機械も他人にあげてしまい、廃棄されていたため機種が特定できなかったのである。この原稿が遅れたのはそのせいだが、いまもまだ分からずじまいなのだ。
 まず表示部分が40字×4行ではなかったかと記憶している。液晶画面で、いわゆる緑地に濃い緑の文字の形式である。
 画期的だったのは、FDDが1基付いていたこと。これは、先の初代を使っていた経験からすると、人力で漕いでいた自転車がエンジン付きのバイクに代わったぐらいの衝撃があった。
 やりかけの仕事をフロッピーに入れて脇においておけるというのは、列車の複線、複々線を作り出しているのと同じわけだ。それは単線のダイヤの2倍になるのではなく、4倍、8倍と拡大していくはずである。と書くとちっぽけな違いに思えるかもしれないが、これはかなり大きい。
 だから、4行表示などという、ふざけた作りも気にならず、このワープロではずいぶんと原稿を書いたものだ。
 この時期、人に頼まれて無署名で書いた本などが、多々あるのはこのせいかもしれない。
 そこから、新たなワープロへと手を出すのであるが、それはまた次回に。

7 3台目を購入          [2003年6月27日]
 3台目のワープロの話である。
 購入したのは1986年。店は東京・池袋のビッグカメラであった。
 初めてのCRT付き。いわゆるブラウン管状のモニタだ。本体の色はグレーで、キーボード部分が本体にはめ込めるようになっている。画面の表示は40字の12行だったと思う。
 これまでは1行表示、4行表示と玩具のごときワープロだったため、一気に「機械」という感じがした。
 FDDは一基。CRTの上部にプリンタが付いていた。
 このころのワープロの多くは、システム・ファイルで起動させるというものであり、これも例外ではなかった。システム用のフロッピーをFDDに入れたままスイッチを入れる。と、機械が動きはじめると同時にシステムを呼び出し、それでワープロとしての機能を果たせるわけだ。システム・ファイルを差し込まずに電源を入れても、動かすことはできる。ただ、書式やユーザー登録の辞書やら何やらが白紙の状態で文章を打たねばならないようになっていた。
 さて、このシステム・ファイルの面倒臭さについてはあまり気にならなかったが、問題だったのは、漢字のJIS第二水準の入ったフロッピーが、けっこう高額だったため買えなかったことである。初期のワープロというのは、この第一水準と第二水準の漢字を区分けしていて、第一水準だけ搭載というものがけっこう多かったのである。私の最初の2台がそうである。
 第一水準は漢字2965字に、かな169字、英数字62字、特殊記号293字を足した合計3489字である。これは当用漢字などが中心であるが、難しい漢字、要は画数の多い漢字はあまり含まれていない。それは第二水準のほうである。こちらは3388字で、後に2字加わり3390字になった。
 確か「躊躇」などは、第二水準でなかっただろうか。また、旧字はすべてが第二水準だった。「広」の「廣」などだ。
 これは、けっこう大変だったんですよ。つまり、原稿に「躊躇する」とあっても、それが文字にならないわけだから、最初のころは「ちゅうちょする」と仮名書きにしておき、プリントしてから手書きで「躊躇」と変えていた。ところが、この仮名書き「ちゅうちょする」が画面上にあると、どうも視覚的に良くないのである。良くないというのは、名文家でも美文家でもない私でさえ「美しくない」と感じてしまうのだ。それで、つい「ためらう」とか書き直してしまう。第二水準の漢字を使わずに済む方法を選ぶようになったのだ。
 こうなると、極端に使用する文字が減ってしまう。これまた逆に、良くないのである。
 いろいろ試しましたよ。たとえば「◆◆する」としておいて、後から手書きで加える方法だの、「  する」と空白にしておき加えるだの。けっきょく、どれも一長一短、隔靴掻痒のまま原稿を書きつづけた。
 この機械で、私は1987年に初の書き下ろし単行本『戦争拒否−11人の日本人』(晶文社)を上梓したのである。それまでに50枚以上の文章を書いたことのない27歳の若僧にとって、420枚の原稿はとんでもないほどの高みに思えた。が、何とか登りきれたのは、たとえ息も絶え絶えになりながらも頂に立てたのは、ワープロのおかげであった。
 それは確かである。
 そうした稚い文章書きにとってのワープロの効能については、次回に。
     *
 毎日新聞(2003年6月26日付夕刊)に、作家の川上弘美さんが、ワープロ製造中止に対する「異議あり」というインタビューを受けていた。彼女は富士通オアシス派であるらしいが、まさに、私たち(?)「ワープロ友の会」が主張していることと同じようなことを述べている。
《とにかくフリーズしない》
《画面はシンプル》
《単機能のものが好き》
 ただ、「今後は?」の問いに《たぶん、あきらめて、パソコンに移行していくように思いますよ》と答えている。
 うーん、もう少し、強がりでも……。

8 ワープロと文章について          [2003年7月31日]
 3台目から4台目、さらには5台目を手に入れるまでは早かった。
 4台目もまたCRT付き、色は黒、3台目のワープロに比べると一回りほど大きかった。買ったのは1988年春。だから、3台目は1年半ほど使用したことになる。
 この4台目、何が凄いかといって、FDDが2基付いていたことである。これは、ちょっと珍しいですよ。その後もFDDが2基というワープロには、ほとんど出会ったことがない。シャープの書院に関しては、である。1基にシステム用フロッピーを入れっぱなしにしておき、もう1基にデータ用のフロッピーを入れる、という芸当が可能になったのだ。ただ、両方にデータ用のフロッピーを入れて、データのやり取りをすることは無理だった。あくまで、片方はシステム用。それでも、重宝しました。
 5台目は、同じ年の暮れ。というのは、ノートワープロというやつを購入したためである。色は黒、バックライトのついていない液晶。だから、緑色の画面だ。大きさはA4よりも大きかった。
 地方に取材に行っても原稿が書けるかな、と淡い期待を持ち、なおかつ、ちょっとカッコつけて。プリンタとFDDは別売、いざというときは両方をカバンに入れて旅に出ていたから、相当な重量だった。ただ、当時は、いまより地方に出ることがはるかに多かったので、これも重宝したのは事実である。旅先から原稿を送ったりもしていた。
 ただ、キーが小さいことには辟易していた。ノートワープロだから仕方ないかと思いつつ。
      *
 さて、文章を書くことに関してのワープロの効能についても述べておこう。
 私は、今にいたるもブラインドタッチができない。半目でキーボードを、半目で画面を見る、という技を使っている。
 なぜかと言うと、実は、それほどキーを速く打つ必要がないからである。頭の中が高速度で回転し、それに手を追いつかせていく、という文章作成レベルの人なら相当に速く打たないといけないだろう。が、私が文章を書くときは、けっこうスローな回転で、行きつ戻りつ、また行きつ、消したり加えたりしながら書いているのだ。だから、ペンで書こうが、ワープロで打とうが、ゆっくりと文字を綴っていくことに変わりはないとは言える。
 ただ、まったく、スピードを要しないわけでもない。たとえば、インタビューをしたテープを書き起こしていくときなどは、ある程度はスピードを要求される。でも、そんなときでも、けっこうノロいし、時間さえかければいいのだから、遅いことがあまり苦にはならない。
 じゃ、手で書けばいいのでは、とも思うが、それはそれ、やはり違うのである。
 最も大きな理由は、いままで何度も言ってきたことだが、私はけっして字が上手くはない。そして、ついつい略字を使う傾向にある。言偏を「冫」みたいに書いたり、ということである。なおかつ、平仮名さえも、崩していく。取材時のノートなど、一週間もすると自分でも判読不能なほどである。
 こうした文字で書かれている「原稿」は、正直、しんどい。書く、という行為は、実は書きつつ「読んで」いるのである。一方的に書くことなどはありえないのだ。だから、そのときの精神状態によっては、自らの原稿を見たくないときもあった。中身の空疎さが倍加して見えてくるからである。
 その結果、どういう現象が起きたか。原稿を書く作業を一日延ばしにしていき、締切ぎりぎり、さらには締切を遅らせてもらったりもしていた(もちろん、そればかりが原因ではないが)。
 ある日、ワープロの一台目を買い、玩具のごとき機械で文章を書き、プリントしてみた。そのときの思いは、複雑である。子どもに向かう親バカみたいでイヤなのだが、それ以前の徹底した羞恥心というか嫌悪感が、ほんの少し薄れているのに気づいたのである。客観的とまではいかなくとも、ちょっとだけ冷静に自分の書いたものを読めるようになった。
 オレはこれからも文章を書きつづけられるかな、と初めて感じたのも、そのときなのである。
 ワープロとは、だから私にとっては、単なる筆記用具以上のものであった。

9 「友の会」取材の顛末          [2003年8月23日]
 さて、先日、取材を受けた「Yomiuri Weekly」(2003.8.31号)が発売された。「ワープロ絶滅目前! それでも『死ぬまで使う』人々」と題された記事は見開き2ページ。中古ワープロ店の盛況ぶり、ワープロ製造中止、そしてワープロ派作家として加賀乙彦氏と北村薫氏の苦心惨憺ぶりが紹介されている。私については、末尾近くに、この「ワープロ友の会」を立ち上げようと企図したが《ほとんど反応がない》とボヤく、情けないコメントが使われている。
 現状をコンパクトに、かつ正確にまとめた記事だろうとは思う。

 何度も書くようだが、ワープロはとっても使い勝手のいい機械である。パソコンとワープロとを併用している私がそう感じるのだから、けっこう、同意見の人は多いと思う。
 この記事を見て、加賀氏も北村氏も同じようなことをコメントしているのを知った。
 改めて考えると、ワープロに惹かれるポイントは、その「シンプルさ」であるようだ。私は、取材時に赤と黒のボールペンにシャープペンシルが1本になったペンを使っている。が、実のところ、使用としているのはほとんどが黒のボールペン。たまに赤を使うが、まずシャープペンシルは使わない。そして、太さや書き味は、日常の筆記には耐えられないものである。これをカバンに入れておけば、とりあえずはどんな場でも利用できるかなと思っているだけで、家でペンを使うときは万年筆か、持つところが手にフィットする黒のボールペンを使用している。
 パソコンとワープロの関係とは、私の中ではこれと同等なのだ。
 文章を書くことだけに特化された機械、それがワープロである。その一点に関して、ワープロのほうが優れているのは当然なのだが、どうも、そういう議論にならない。加賀氏や北村氏、あるいは以前のなかにし礼氏など数少ない人が、どうにも小声で呟く程度である。
 もちろん流れとしては、「いまのところ」ワープロ絶滅の方向へと向かっている。それは事実だし、私も、そのことを押し留めるのは難しいとは思っている。
 ただ、北村氏が《自転車と自動車だって共存しているのだから》というように、同じ移動の道具であっても、その用途によって使い分け、生き残っていくはずである。
 いつか、ワープロ生産は復活するであろう、と私は確信している。もちろん、これまでと同形態のものではなく、同機能でもないワープロとなるはずだ。しかし、十分に「文章を書く」だけに特化させ、小回りの効く機械として。
 今回の記事は、ワープロ派に好意的ではあるのだが、最後の一文は、ちと気に入らない。
 こうだ。《哀愁のワープロ派は、静かに消えて行くのが似合っているのかもしれない》
 似合ってたまるか。

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