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(回答先: 「救出費用負担論」は“後だしジャンケン”でしかない! 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 20 日 19:03:41)
どうして、人質になった犠牲者に、そこまで日本国民が費用を請求したいのか、が、私には良く分かりません。何だか、人質になった犠牲者にどうしても罰を与えたい様な考えが日本国民の前提条件にあるのでしょうか。先ず、帰国の処置について言えば、政府の勝手な判断で、むしろ強引に日本まで帰国させられたのだから、帰国に本人の意志があったかどうかという事を考えれば、その帰国旅費の請求には大きな問題があると思います。安全なアンマンなり、ドバイで日本政府に解放されても十分であっただろうと思います。その後は、本人が家族と話し合って帰路の旅程を手配して自己責任で帰るべきだったでしょう。その為に兄弟がアンマンまで出迎えに行っていたのではないでしょうか。つまり、政府の強引な帰国処置は、まるで日本国政府が政府の都合で勝手に決めて、勝手に実施したことです。また、今回の救出劇には、日本政府が全く効果的な対応が出来ていなかった様ですから、その対応の過程で税金を無駄に使っていなかったか、よくよく国民が検討して費用の使途について細かく評価する必要があります。バクダットで解放された時に外務省の係官が本人の意志を良く聞いて、その本人達の意志に基づいて、その後の被害者達の行動を公僕として支援する必要があっと思います。聖職者協会のクバイシ師が日本外務省に引き渡したのは残念だったと悔いたのは、その後の外務省の対応を見、帰国後の反応を見ると、私も残念な、悔いの残る処置だったと思います。私は、米政府のパウエル国務長官の人質になった3名に対する心からの賞賛の言葉が1番適切だったのではなかろうかと思います。どうして日本政府の係官や国会議員にはこういう人道支援に対する正しい評価の言葉が浮かばないのか、こういう理性的な発言が出来ないのか、と不思議に思っています。日本国民は人質事件の対応で、本質的に何が違うのだろうかと不思議に思っています。日本人には時代遅れのお上意識が強過ぎるのでしょうか。仮に、どうしても救出費用(解放費用かもしれない)を払うなら、帰国旅費と病院検査料の一億分の三を、3名から集めて支払ったら十分でしょう。しかし、この程度の料金なら、むしろ請求しない方が、面倒な事務処理費用を削減できますから、国益になります。