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(回答先: 菅原道真事件の背景に見える暴力とテロリズム 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 2 月 20 日 20:58:53)
<独立スレッドにした方が良いネタでは?>
そうも思ったけど、天皇家の話題はわりかし楽しんでもらえたけど、一生懸命書いた「円の起源」なんか、ぜんぜんレスつかなかったし、今回のネタはあんまり広がりがある話とも思えなかったし、
かといってあっしらさんのスレにレスするのはチョッと敷居が高かったもんで。
<女性の「お尻にくっつく」のが好きなのかな?>
好きです。
このことは前に書いたことがあるような気がするんですけど。
覚悟せいよ。
<遣唐使は、唐から見れば「朝貢」でしょう。 もちろん。
遣唐使が、文化芸術を吸収するための非公式な存在だったということは、
実は私は初めて知りました。
高校教科書にはそのように書いてあるわけですか?>
高校の教科書はどうだったか忘れたけれど、、、。
正式な使節だということにすると、まず日本からの国書の出し主が問題になるわけです。天「皇」なんて呼称を使っているし、これは、中国「皇」帝からは許されないわけです。中国から見て、日本の最高トップはあくまで「王」(中国帝国の支店長クラスのこと)でなければならない。でも、その事実を日本国内では認めることは出来ない事情にある。「日本ってすごいんだゾー。世界で一番大きな国である中国にも頭下げてないんだゾー。」というタテマエを維持する必要があったらしいです。
(唐書あたりを読めばなんかその辺の日本のごまかしの証拠が出ているような気がします。そもそも考えてみれば、隋書ばっかり取り上げて唐書を全然取り上げないのも不自然だ。)
ここらあたりの問題は、聖徳太子(隋書ではアメノタラシヒコとかいう名前だったはず)と隋の煬帝とのやり取りのときに問題になり、小野妹子が困って煬帝の返書をなくした(ことにした)ことがきっかけで、その後に遣唐使を派遣する際の便法(ごまかし)の先例が確立したのではないかと思います。
<「朝貢」ですから、(以下略)>
西尾幹二は臆面もなく、「朝貢なんぞではなかった」、と書いていたと思います。(数年前に新しい日本の歴史とかいって自由主義史観とか称していた人達も基本同じ)
これって、私の分類では、自己認識が「1.b」に当たる人達です。日英同盟や日米安保条約が対等条約とか言う人達と重なります。
(日露戦争前の7人の茶坊主東大教授が主戦論を唱えたりしたのと基本的には同じ役割を果たす人達)
<ところで菅原家も帰化人です。
菅原家の先祖は浪速に住んでいて、その場所はいまの「天満さま」になったんじゃなかったかな?
浪速が地盤なわけですね。
だから遣唐使貿易のおこぼれにあずかった人も浪速にたくさんいたのでは?>
菅原氏は、やっぱり帰化人なのか。
ところで、半島系?それとも大陸系?
私の予想では大陸系ではないか、ということになります。(そういえば、梅には中国的な匂いがあります)
<浪速人は、道真を押し立て、藤原氏を打倒して浪速に遷都しようとしたのかもしれません。
それで藤原氏に返り討ちにあったということかも。>
いやあさすがです。
私はここまで、想像力を広げることは出来なかったデス。
<道真が太宰府におりるときには、
何年か浪速に滞在し、それから非常にゆっくりと太宰府に下りたはず。
各地で女遊びをして子供を作っていたのに違いない。
(ニニギノミコトやヤマトタケ(ル)ノミコトも各地の有力者の子女と遊んでいる)
だから各地に菅原の子孫がおり、また天満宮がある。
関係ないかもしれませんが、天満宮の近くには赤線も多いはず。
女遊びの暗示?>
北野と湯島は今でもそうだけれど、大宰府はどうかな。
大宰府は、外交施設であり、貿易窓口であることは間違いないから、半島や大陸からきた商人達の遊び場はあったはずだし、現地妻のような立場の女も周辺に住んでいたことは間違いないだろうね。
菅原家が大陸系の商業的な利権をバックにして伸びてきた勢力だと仮定すると、瀬戸内海の各地に華僑系の港を多く持っていたのではないか、との想像も膨らみます。(ちなみにロンドンもローマの商業定期市が開かれた拠点が開けてその後大きくなった。今のロンドン塔があるあたり。ユダヤ系の人に言わせると、「ロンドンって当時ローマの軍人についてきたユダヤ系の商人が作った都市なんだ」だとの説明になります。)
<道真が死んだら、京都で落雷火災が相次いだそうですが、
多くは道真派の放火(テロリズムだあ)でしょう。
そもそも藤原氏も放火専門の暴力団を雇っており、
その威嚇で対抗者をおい落としてきたと思う。
(名前をド忘れしましたが、何とかという武士がそうだと思う)>
伴氏の没落に決定打を与えた応天門の変の火災もやっぱ藤原氏とその子分達だったのかな。この場合は、どっちもどっちなほど陰謀家の戦いだったらしいけど。
<つまり道真の怨念の背後には、
浪速や瀬戸内地区の巨大な氏族があり、大きな地域ぐるみの闘争が見えるのではないかな。>
「浪速や瀬戸内海を基盤とする」といえば、蘇我氏の基盤とかなり重なるような気がする。個人的には、蘇我氏は華僑系だった、その後彼らは蘇我系だと名乗ることができなくなってしまった、という話と結び付けたくなってしまう。
<紫式部の「源氏物語」
彼女は、このむき出しの浅ましい現実に絶望し、
その絶望をテコにして華やかな恋愛物語をつむいだような気がする。>
やっぱ今の僕からいえば、
「源氏物語あたりを読めばわかるけどさあ、天皇家の家系図ってさあ、不倫だとか陰謀だらけで、実際の血筋なんかとはぜんぜん無縁だったんだよなー」ということを納得する材料として使いたくなるね。
浅学非才の身としては、なんだか想像をこれ以上膨らますのは怖いなあ。