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世界はペラペラとしていて薄っぺらいからこそ奥深い〜寺山修司のアイロニーに反応しなければならない〜(MIYADAI.com)
http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/665.html
投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 27 日 12:01:32:Sn9PPGX/.xYlo
 

(回答先: 綱領なき革命・経典なき密教―現在進行形としての寺山修司 投稿者 愚民党 日時 2004 年 1 月 25 日 15:46:23)

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◆ 世界はペラペラとしていて薄っぺらいからこそ奥深い
 〜寺山修司のアイロニーに反応しなければならない〜
  http://www.miyadai.com/index.php?itemid=41
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以前ここにアップした寺山についてのインタビュー原稿を三倍の分量に拡張したものを、 別の場所に載せました。 寺山修司『藁の天皇』新訂版(青林工藝社)解説

【高度成長経済、学園闘争、寺山修司】
■二十年以上前に他界した寺山修司をリアルタイムで体験していたのは、僕のような年齢
(2003年現在44歳)の人間まででしょう。たぶん僕前後が最後の世代です。寺山が他界
したときに僕は23歳で、それまで約十年間、リアル寺山を体験できました。
■僕の寺山体験は映画から始まります。麻布中学に入学したのが71年で、人力飛行機舎が
出来たのが72年です。麻布十番に天井桟敷の事務所があった頃ですね。学校の近所でした。
別に近所だったからじゃなく、僕は中学三年頃から寺山の映画を見るようになりました。
■この本の新しい読者は若い人が多いでしょうから、その頃の雰囲気を書き留めておくと、
中学に入った途端、中学高校紛争で数ヶ月のロックアウト(機動隊の装甲車が校門を窒い
で出入りが出来ない学校閉鎖状態)。中学三年(73年)まで激烈な紛争が続きました。
■最初は右も左も分からなかったのですが、学年集会や全校集会、そして文化祭のときの
大きなイベントなどの祝祭的な感覚に魅了されるようになりました。SFサークルの先輩
から導きで、アングラ演劇、アングラ映画、ジャズ喫茶なんかにはまっていきました。
■そこに寺山の映画も入ってくるのですが、こうした流れは、実は当時としてはある意味
で定番だったのではないかと思います。それは、寺山が主に活躍した1960年代から70年
代にかけての高度成長時代がどういう時代だったのかということに、深く関係しています。

【紙芝居、蛇娘、見せ物小屋】
■私が小学生の頃、週に一度紙芝居屋がやってきて、おっちゃんが「買わない子は見たら
あかんで」と言うので水飴を買わされました。年に何度か祭りがあって学校が半休になる
と近くの公園に蛇娘の見せ物を見に行って、駄菓子を頬張りながら目を丸くして見ました。
■蛇娘の見せ物といっても、若い人は知らないでしょう。「蛇から生まれた蛇娘。親の因
果が子に報い…」という口上も懐かしい芸能です。今は花園神社のお酉さまぐらいでしか
見なくなりました。何年か前に訪れた台湾で全く同じような芸能を目にしましたけれども。
■小学校には、年に一度か二度、旅回りをしているカブリモノの人形芝居の一座がめぐっ
てきて、生徒たちはみんなでそれを観させられました。私は、芝居の中身もさることなが
ら、そういう生活をしている一座の人たちに、強烈な興味を抱いた記憶があります。
■盆地の北辺にある池は自殺名所で幽霊が出る所とされ、東辺にある山の中腹に見える岩
の周辺も女の子が丸裸にされて殺される場所だとされていました。学校内にも出入り禁止
の地下部屋があって、空間は少しも均質じゃなかったんです。いわゆる民俗学的空間です。
■当時の私は「お祭り小僧」と呼ばれていて、誰よりもお祭りを待望し、お祭りでは騷ぎ
まくりました。また自殺名所や他殺名所だとされる所に友達を引き連れて探険しにいき、
トランス状態に陷ったこともあります。こういう性分はたぶん今でもあとを引いています。

【祭りからアングラへ】
■私は小六の秋に京都から東京に出てくると、そうした「感覚地理」が消えて愕然としま
す。でも入学した麻布中学が紛争校で、とんがった先輩たちが教えてくれたのを契機に、
アングラに浸ります。アングラが自分の欲求を満たしてくれることに気づいたんですね。
■中学3年ぐらいから寺山の人力飛行機舎の映画を見るようになりました。中2の時に池
袋の文芸地下劇場で見た『ゆけゆけ二度目の処女』と『現代性犯罪絶叫篇・理由なき暴行』
がきっかけで若松孝二の映画にはまったのが、アングラ映画に親しむきっかけです。
■さらに中3になって、新宿のアンダーグラウンド蠍座で見た足立正生の『銀河系』には
まり、その直後に、寺山の一連の短編映画を見て、すごい感激したんですね。僕が特に衝
撃を受けたのが『消しゴム』という作品です。作品の両義性に関心したんですね。。
■この作品には、「そうか、記憶が人を不自由にしている。だから消しゴムで消さなきゃ
いけない」というモチーフと、「でもそうやって記憶を消しちゃうと、自分は何者だかわ
かんなくなって、不自由になっちゃう」というモチーフの両義性があります。
■「記憶があっても不自由、記憶を失っても不自由、すごいモチーフだな」と驚きました。
もちろん『消しゴム』というタイトルが象徴的だけど、寺山作品にはあざといものが随分
あります。『消しゴム』も見直してみると、分かりやすすぎて不安になるほど、あざとい。
■もちろん、この作り物めいたペラペラしたあざとさは、寺山自身の世界感覚と関係した
ものでしょう。つまり、寺山自身が、世界を作り物めいたペラペラしたものだと理解する
ことで、はじめて「自由」になれるという感覚を持つ人間だったのではないかと思います。

【不自由のモチーフと都市化のアノミー】
■僕は寺山のモチーフは一貫して「不自由」だと思っています。寺山の個人的な不自由感
は、戦争中に父を亡くし、母らしく振る舞ってくれなかった母をもったことで、アンビバ
レンツ(愛憎相半ば)の感覚に囚われざるをえなかったことが、関係しているでしょう。
■でも『藁の天皇』を読めば分かるように、寺山の個人的な境遇を超えて、「不自由」は
時代のキーワードじた。そうした時代の気分は、ご自身がセクトの活動家だった高橋順一
さんの解説「寺山修司──永遠のアドレッセンス」を読んでも伝わってくるはずです。
■なぜだったのでしょうか。社会学者である僕はそれを伝統的な「アノミー理論」で説明
します。一口で言えば、急速な高度成長経済による共同体の空洞化のせいで、それまでの
共同体的な作法が通用しなくなるという混乱に、都市部に住まう若い世代が陷ったのです。
■ちなみにアノミーとは「前提不在」という意味です。それまで頼れた共同体的前提が不
在になるというアノミーが起こりました。そこでそれを埋め合わせるために、大人に抑圧
される若者の世代的共同性や、資本家に搾取される労働者の共同性が、持ち出されました。
■その事情はアングラにも刻印されました。アングラには二つの柱があります。一つは「反
体制」。もう一つ「反近代」。近代的な資本主義体制に対抗するのだがら当たり前だと言
うなかれ。本来のマルクス主義は十分に近代化した社会の、「その後」を見晴るかすもの。
■ところが、日本では近代化もままならないのに、近代的体制に異を唱えると称する者た
ちが、都市化よって急速に失われつつあった前近代の村落的共同性に憧憬する倒錯が起こ
ります。アングラの「反近代」はポストモダンではなくプレモダンをこそ憧憬したのです。

【大正・昭和モダニズムの伝統に連なるアングラ】
■実をいうと、同じことが大正や昭和にかけてのモダニズムの時代に一度起こっているの
です。モダニズムは「近代主義」と訳すと間違いです。一口で言うなら、近代化の眩しき
光を希求しつつ、急速に失われゆく共同体の闇への執着に引き裂かれる、心性のことです。
■具体的には、泉鏡花的なものであり、『新青年』的なものすなわち江戸川乱歩や横溝正
史に象徴される感覚です。若い皆さんにお勧めしたいのは、江戸川乱歩の短編「押繪と旅
する男」。川島進監督が十年前に映画化しています。私のいう意味がよく分かるでしょう。
■新旧の世界観がせめぎあう。都市建設の陰に妖怪がうごめき、国家建設に思いを託す帝
大生の故郷には古い因習に囚われた家族がいる。相反するものに引き裂かれて生きるのは
人間的です。モダニズムの時代にもアングラの時代にも共通して人間的な匂いがあります。
■しかし皮肉にも、光と闇に引き裂かれるモダニズムの時代は、急な移行変化のプロセス
途中だからこそありえました。モダニズムなるものは「不可能性の表象」です。モダニズ
ムの時代を回顧する私たちが、これを理想としてもたらそうとしても論理的に不可能です。
■なぜなら「近代化の眩しき光を希求しつつ、失われゆく共同体の闇への執着に引き裂か
れる」のは急速な移行変化のプロセスなればこそ。失われゆく闇が眼前に目撃できる時代
なればこそ。移行が進めば皮肉にも「失われゆく闇」が失われ、闇の記憶すら消失します。
■実はアングラも同じです。だから長くは続きません。具体的には1960年代半ばから70
年代半ばまで十年ほど。その頃、少女漫画や少年漫画には都市化が封印した共同体の呪い
が描かれ、現実にも各地の団地で、墓や祠を潰した呪いで(!)自殺が連続していました。
■アングラの時代が終わると、都市伝説は、潰した墓や祠の呪い(共同体の記憶による復
讐)から、匿名者と共在する不安(未来の空白による強迫)に移行します。具体的には、
マクドナルドの猫肉言説であり、口裂け女や人面犬であり、テレクラの白い車伝説です。

【アングラとしての寺山の時代性】
■アングラの十年間は、寺山が短歌から演劇を貫いて映画へと駆け抜けた時期です。寺山
が泉鏡花『草迷宮』を映画化したのが象徴的ですが、大正・昭和モダニズムの時代から60
年代アングラの時代までの「光と闇に引き裂かれた時代の心性」が見事刻印されています。
■その意味で、寺山には、モダニズムの伝統に連なる時代的な「失われゆく闇への執着」
がありながら、その一方で、先に述べたように家族的な不幸とも結びついた形で、近代化
から取り残された故郷の闇が、自分を不幸にしたという感覚(虚構!)もあります。
■だとすれば、短編映画『消しゴム』に見出されるアンビバレンツ──「記憶があっても
不自由、記憶を失っても不自由」──は、そのままモダニズム的な「闇への執着」と「闇
からの解放」に引き裂かれた両義的な心性を、象徴するものであることが分かります。
■この両義的な心性は、同時代の若者たちに共有されたものでもありました。さすがに妖
怪や因習が遠くなりつつあった60年代だけあって、「共同体(ムラ)からの自由」と「共
同体(コミューン)への自由」という具合にいささか抽象的な形をとることになりました。
■このいささか抽象的な、というよりは紋切り型の同時代的図式を、寺山は再び具体的な
事物や身体の水準へと差し戻すことで、今に至るも辛うじて古びることのない(微妙です
が)幾つかのモチーフに結晶させました。それを不自由の三つの次元としてお話しします。

【時間次元・空間次元の不自由】
■まずは「時間次元での不自由」について。寺山は「記憶」を持ち出しました。僕たちが
不自由なのは記憶があるからで、記憶から自由にならなきゃいけない。でも記憶がなくなっ
てはかえって不自由になるから、記憶を捏造しなきゃいけない。それが寺山の理屈です。
■モダニズムのアンビバレンスが同時代性を失っても、理屈自体は普遍的です。エンカウ
ンターや自己改造セミナーに熱心に関わっていた若い頃の僕は、(特に性愛についての)
記憶の大半が捏造されたものであることに気付き、寺山を思いだして感慨に耽りました。
■つぎに「空間次元での不自由」ですが、僕が「片輪的オブジェ」と呼ぶモノがあります。
寺山の芝居にも映画には定番の大道具・小道具があります。フリークス的なもの、サーカ
ス的なもの、葬儀屋的なもの、おじいさん時計的なもの、などです。
■僕が寺山映画と同じ頃にハマっていた足立正生の映画ならば、松葉杖とか、仏壇とか、
乳母車とか、壊れた自動車とか、非常階段とか、屋上などが、「片輪的なオブジェ」を構
成します。当時の僕は、こうしたオブジェや空間を偏愛していました(今もですが)。
■「片輪的オブジェ」とは、日常の空間に亀裂を入れるモノです。その亀裂を手がかりに
して、非日常の空間に入っていけます。その意味で、自由への扉です。「社会」──人間
関係的なもの──から、「世界」──ありとあらゆるもの──へと通じる秘密の扉です。

【個体次元の不自由】
■もう一つ「個体次元の不自由」もあります。中3の時に『書を捨てよ、町へ出よ』とい
う彼の初の長篇映画を見たとき、制服を着た少女たちが集団で歌うシーンで、すごく感激
しました。そこには、個体の不自由が共同体の自由に反転する瞬間が刻印されていました。
■制服は不自由の象徴です。とりわけ僕にとってはそうでした。麻布中学3年の時に、ク
ラスで2人だけ制服を拒否して、私服で通学する生徒がいました。その1人が僕です。学
園紛争が終わっても、中学三年から高校三年まで完璧に私服を通しました。
■ところが、「制服」を着でいる少女たちが、「集合的身体」を駆使することで、一挙に
不自由から自由へと飛躍します。「制服」も「集合的身体」も、軍隊を持ち出すまでもな
く青少年にとっての軛そのもの。それが、なぜか「自由への翼」として機能するわけです。
■巷でいう「思春期における心(の未熟)と体(の成熟)のアンバランス」のせいで、肥
大しつつある自我を持てあました「虚勢不全」の青少年が、身体の集合性の海の中に自我
の個体性を溶融させる「自己滅却」を通じて救済されんとする、普遍的図式が見られます。

【不自由なのは悪いことか】
■ここには寺山の作品に見られる「自由をめぐる両義性」が刻印さています。僕はそこに
魅かれます。要は「不自由なのは、悪いことなのか」ということです。逆転すれば、「自
由であることは、良いことか」ということにもなります。
■先の話でいえば制服を着た女子高生は不自由です。そういう個体の不自由ゆえにこそ、
集合的身体性を通じて自由を獲得することの強度(濃密さ)もまたある。そこを自覚的に
取り出したのが90年代にデビューした女子高生たちが歌って踊る「制服向上委員会」です。
■時間次元でも同じです。記憶に縛りつけられれば不自由です。でも記憶を消せば自由か
といわれればそうじゃない。記憶が不自由の源泉だろうが、「記憶のある自分」にとって
の自由に意味があるわけで、記憶を失った自分にとってそもそも自由もクソもありません。
■空間次元でも同じです。松葉杖とか仏壇とか乳母車とかフリークスとか、「片輪的なオ
ブジェ」として持ち出されるモノは、日常世界では不自由をこそ象徴するものばかり。で
もそれこそが自由への扉になる。不自由の側に最も近いものこそが、最も自由に近い。
■まったりした日常を生きる今の若い世代にも、自由が不自由で、不自由が自由だという
のは、モダニズムやアングラを超えて説得的な逆説でしょう。当時は中学生の僕にも分か
るくらいに典型的な形で逆説を提示してくれるのが寺山でした。それが僕の寺山体験です。

【世界はペラペラした作り物】
■高校生のときでしたが、寺山の短篇映画の上映イベントで、ナマ寺山が舞台で喋るとこ
ろを見ました。実にいかがわしく、またカッコイイんです。シークレットメッシュシュー
ズ(背を高く見せる靴)を履いてて、黒づくめで、長いマントを羽織って。
■いかにもカッコつけていながら東北弁を喋るギャップが凄い。そのいかがわしさが最高
でした。今から十年前、没後十周年の寺山ブームのときに、寺山の短歌は剽窃だらけだと
いう本が出てたけど、僕は笑っちゃった。そんなの当たり前じゃん。みんな知ってるよと。
■寺山は今までになかった物を作ろうとはしてない。誰でも知ってる物をあってはならな
い場所に置くとか、捏造された記憶に肯定的にこだわる人です。「オリジナル/コピー」
という日常的な二項図式の内側で勝負する人じゃない。中高生の僕にさえ自明でした。
■大学生の僕は8ミリ映画を撮っていましたが、映画製作に詳しい者なら誰でも、映画が
不自由なメディアで、百年たらずの間にやり尽くされてオリジナルな作法などあり得ない
ことを知ってるわけです。となれば、パクって組み合わせるしかないんですね。
■逆にそれを利用して、誰の何からパクったのかを「分かる奴には分かる」ようにしてお
いて、映画的な「記憶資源」を刺激しようという戦略もある。寺山も同一の戦略を駆使し
ました。こうした剽窃こそが寺山の「表出の根」に関わるもので、僕はむしろ肯定的です。
■さっき作り物めいたペラペラしたあざとさが寺山の世界感覚だと言いました。それと同
じことです。世界は凡庸な事物の順列組合わせで、万物はパターン認識の引き出しに収ま
る。寺山と同じく、僕自身も「そのように」思うことで、初めて「「自由」になれました。

【ペラペラしているのに「ありそうもない」】
■でも、世界がペラペラした作り物に過ぎないというのに、悲惨な戦争にかり出さて死ん
だり、自分を捨てた母親を憎んだり、このトルコ嬢(今でいうソープ嬢)のためなら死ん
でもいいと思ったりする。この、実にありそうもないアンバランスさこそが、日常です。
■世界のペラペラさにもかかわらずもたらされる悲惨な戦争で否応なく「死」に直面した
若者は、それまで生きた「社会」をどのように思い出すでしょう。ペラペラした凡庸な事
物の組合せだからこそ人は、「社会」のありそうもなさについて痛切な感覚を抱く筈です。
■社会学ではコミュニケーション可能なものの全体を「社会」と言います。古いアニミズ
ムの時代を別にすると、「社会」とは人間的なものの全体を意味します。「社会」を生き
る僕たちは、明日も「社会」が続くという前提の下で、喜怒哀楽を経験してきています。
■でも、明日も「社会」が続くことが自明ではなくなったとき、砲火をくぐる戦場の若者
は、余命少ない末期癌患者は、何を思うでしょう。自分が死ねば自分にとっての「社会」
が消えることに思いを致し、「社会」のありそうもなさに戦慄するのではないでしょうか。
■二十歳の頃、当時は不治の病だったネフローゼで死にかけた寺山は、その後もずっと「社
会」を、「深層を欠いたペラペラした作り物」であるにもかかわらず、いやそれゆえにこ
そ「ありそうもない虚構」として──福音として──捉えていたとのではないでしょうか。
■寺山の覗き癖も──彼が覗きの現行犯で逮捕された民家は私の家の近所ですが──、「社
会」を「ありそうもない虚構」と捉える感受性と表裏一体のものだったろうと、僕は思い
ます。「どんな美少女もウンコをする」という話に似た、ペラペラしたありそうもなさ!

【寺山の「覗き癖」が意味するもの】
■僕が社会学者で、あなたが読者で、彼女が美少女で、彼が校長先生だといった役柄は、
考えてみれば「ペラペラした虚構」に過ぎません。美少女がウンコをするだけでなく、社
会学者はビニ本を見てセンズリをかき、校長先生は女子高校生と3Pをしているわけです。
■つまり、僕が社会学者で、彼女が美少女で、などといった関係性は「実にありそうもな
い」。そのことは、僕の家の裏窓から僕の姿を覗いたり、美少女の用便する姿を覗いたり
すれば、すべてが「ペラペラしているからこそ、ありそうもない虚構」だと分かります。
■覗きのタメさんを追いかけた朝倉喬司のルボ『凝視録』は、副題に「為五郎 覗き=除
き人生」とある通り、覗きの快楽が、自分の存在を「社会」から消し去って純粋視線にな
るところにあると喝破しています。「ペラペラしたありそうもなさ」を享受する快楽です。
■役柄と責任を帯びて生きる僕たちは、ペラペラさどころか「社会」の重荷に打ちひしが
れています。でも、純粋視線になった途端、自分がいなくても回る「社会」見えてきます。
それが見えて初めて、「社会」の「ペラペラしたありそうもなさ」が浮かび上がるのです。
■その意味で、私にとっての「社会」と、「社会」にとっての私は、非対称です。自分が
死んでも、ペラペラで、ありそうもない「社会」が永久に続きます。そうした「社会」の
中に自分が存在するということ。これこそが最もありそうもない、想像を絶したことです。
■朝倉は、覗きの快楽は性的快楽に還元できないと言います。若い頃に覗き癖ならぬ尾行
癖のあった僕は、深く納得します。純粋視線となって、尾行する相手が誰と会い、何を買
い、どう振舞うかを観察する僕は、「社会」的偶発性のありそうもなさに震撼したのです。

【「調教系」女の子の3段階進化説】
■さて記憶の自由と不自由、記憶を失うことの自由と不自由といった両義性は、身近な現
実に見られます。僕は援交する子たちを二十年も追いかけていますが、最近つくづく思う
ことがあります。僕は十年前、記憶を失った子たちは傷つかなくていいと書いていました。
■ところが、追いかけてきて思うのは、記憶を失ったくらいのことでハッピーになるのは
難しいということです。例えば最近、援交も、SMも、スワッピングも、あらゆるプレイ
を経験した「調教系」の子が周りにもけっこういます。いくつか共通の特徴があります。
■第一の特徴は、当人が「え、周りもみんなしてるんじゃないの?」って。「やってねー
よ、あくまで少数派だよ」ってぐあいに(笑)、自分が何をやってるかという自意識が足
りない子が多いです。インターネット情報による針小棒大化メカニズムが効いています。
■第二の特徴は、一方で、過剰な流動性のなかで疲れていたり寂しがっていて、他方で、
ロマンチックなコミュニケーションに対する免疫がないから、僕みたいな年長世代のナン
パ師がエサにする「本当の愛」に引っかかりやすいです。パターンがあるんですね。
■まず第一段階では、純朴な若いカレシがいるけど、時々中年男とプレイをやりまくる。
それをカレシには話せないのを寂しく思います。第二段階では、プレイを極め、「本当の
愛」も探している僕みたいな中年男にハマる。自分を全部受け入れてくれるとか言ってね。
■でもそれで終わらない。僕みたいなのと付き合ってると「この人は幸せじゃないな」「こ
の人といると寂しくなるな」とか気づく。かくして第三段階に至り、中年男を卒業して、
再び、カノジョの過去を知ったら気絶するようなナイーブな男の子のところに戻ります。
■とはいえ、ムシャクシャすると中年男とプレイをやりまくるんですが、以前と違ってカ
レシに話せない秘密があることを寂しいとは思わなくなるんですね。でも間違っています。
卒業されてしまう中年男のヒガミとかじゃなく(笑)、分かってねえなと思うんです。

【不幸なのが幸せ、幸せなのが不幸】
■確かに僕は不幸です。でも不幸が幸せなんです。何でそれが分からないんだ。「宮台さ
んは何もかもやってて、すごく自由で幸せそうに見えたのに、全然幸せじゃないんだもん、
ガッカリしました」とかいってナイーブな方向に戻ろうとする。でも、それは違います。
■第三段階に至る子が出てきて少ししか経っていないからよく分からないけど、第三段階
みたいな形は長く続かないと思うんです。結局、第一段階みたいに寂しくなって、また第
二段階に回るんじゃないかな。そうなったときに、寺山的な逆説に気がつくんじゃないか。
■パタン認識の引き出し、つまり「記憶資源」があって、微細なことに情報を読み取る人
間は、幸せかっていえば、ある意味、不幸ですよ。素朴としての素朴になれないんだから。
でも、ある意味で不幸なのが、ある意味で幸せなんだっていうのが、寺山的逆説なんです。
■素朴なカレシがいる「調教系」の子も、経験豊富に見えて、若いので逆説に気づいてい
ない可能性があります。逆説に気づけば、第三段階からさらに進んで、素朴君とつきあう
か中年君とつきあうという差異は、実は本質的でないという境地に至れるんじゃないか。
■ただし年齢が若いがゆえの素朴さじゃなく、東浩紀の言うように若い子が世代的に「動
物化」した可能性もあります。やってることは自由奔放に見えても、感受性は素朴になっ
てきたと。十年前に比べて若い子が寺山に吸引されないのも、そのせいかもしれません。

【「寺山を継承する」とはどういうことか】
■90年代半ばにテレクラ取材で青森に行ったとき、三沢近辺でシーザーさんたちが市街劇
をやってて、ちょっと苦笑しました。1970年の阿佐ヶ谷や高円寺じゃないんです。寺山的
な意匠を反復すれば「寺山的」だと思ってるとすれば、いかがなものでしょうか。
■寺山の魂を継承するとはどういうことでしょう。「もし寺山が90年代に生きてたら何を
するか」を想像することこそが「寺山的」であるための前提じゃないでしょうか。90年代
の寺山ならポケベルやファックスや携帯電話やメールを使ったサイバー劇をやる筈です。
■そうやって、自分の周囲にある日常的事物や日常的身体の「関節を外す」というか、あ
えて間違った使い方をすることを奨励したはずです。そうやって、不自由であることの自
由や、自由であることの不自由を僕たちに「これでもか」と思い知らせてくれたでしょう。
■そういう意味で、僕は寺山の後継だと言えるのは、東京ガガガの主催者から映画監督に
なった園子温だけだと思います。彼自身の不自由な実存がコアにあるからだと思うけれど、
何とかして不自由を自由へと反転しようとしていて、日常の読み替えを試みています。
■自由になろうとする振舞いの自体の不自由さに、自己嫌悪に陥って潰れるようなところ
が、すごく愛らしい。人によっては寺山のバージョンダウンのように見えるかもしれない。
寺山のいう自由は、必ずしも自意識からの自由に限らず、もっと普遍的な問題だからです。
■確かに園子温のモチーフは自意識へと縮退しているように見えます。でもそれで良いん
です。やっぱり、時代時代の自由や不自由があります。寺山の時代には寺山の時代の、園
の時代には園の時代の、自由や不自由がある。昔は共同性モチーフ、今は自意識モチーフ。
■寺山も同時代の自由と不自由を問題にしようとしました。だから家出少年を集めていた
んです。そんな寺山なら、園子温のやり方を絶対に肯定するでしょう。結局「不自由の自
覚」が大切なんですよ。「不自由の自覚」をする人間は、アイロニーに敏感になります。
■だから、「自由なつもりでいる人間の不自由」だとか「不幸な人間の幸せ」だとか「低
俗であることの高尚さ」といった逆説の問題に、必ず行き着きます。逆説の切実さは、同
時代を生きていればこそです。だから、同時代を問題にしないわけにはいかないのです。

【寺山のナルシズム】
■自意識といえば、寺山は、中高時代に書いた学校新聞の文章などを、自分で編集して出
してきます。当時の僕が見ても、今の若い人が見ても、相当恥ずかしい。普通はそこまで
やらないだろうと思います。あまりにもナルちゃん(ナルシズム)丸出しじゃないかと。
■ところが、当時の僕も感じたことだけど、あれはあえてするベタさ」です。皆がベタだ
と思うことを承知でやって「そんなベタな!」って思わせるところに、寺山のフック(釣
り針)がある。あれをベタだと思う人々は、その時点で彼の戦略に引っかかっています。
■若い人のためにそこまで考えて物事をやるのが寺山の良い所です。つまり剽窃からベタ
さまで含めて、寺山はアイロニストです。素朴であっては人は自由になることはできない
と考える。だから「あえてする戦略的コミュニケーション」としてのアイロニーに賭ける。
■でも、最近の若い人は、「動物化」じゃないけど、戦略的な思考ができなくなっていま
す。だから、巷にあるようにせいぜい「寺山趣味」にシンクロするだけで、寺山の批評精
神の神髄であるアイロニーには、ぜんぜん反応できないていません。これではダメです。
■確かに寺山はナルシルティックです。たぶん地なのでしょう。寺山の演劇や映画に出て
いた天井桟敷の少年たちもナルシスティックです。ナルシスティックな自己観察は内向き
に閉じていく志向ですが、でもそこで終わってない。それはアイロニーがあるせいです。
■寺山的なアイロニーを経由することで、内側を見ることで、外側に突き抜けるような強
度(濃密さ)が生まれます。それは例えば『書を捨てよ、街に出よう』のラストに出て来
る、「これで映画は終わりだ」に始まる津軽訛りの少年の一人語りによって象徴されます。

【寺山のアイロニーのシンクロせよ】
■トモフスキーの歌に「トンネル工事の季節、さあ掘るぞ、掘るぞ、横穴掘っちゃダメ、
ただ下へ下へ、地球の裏に突き抜けるまで、まっすぐ下へ」という歌詞がある。物が豊か
で、何が良きことか分からなくなった成熟社会では、誰もが多かれ少なかれ内向きです。
■でも内向きであることを否定し、拒絶すると、単なる「動物」で終わります。だから、
掘るのをやめるんじゃなく、むしろ徹底して掘って、地球の裏側まで突き抜ければ、もは
やそれは穴じゃなくなるだろうと(笑)。寺山のナルシズムもまさにそういう感じです。
■寺山のナルシスぶりは、格好の可笑しさに表れています。確かに可笑しいが、その可笑
しさが単なる「自意識クン」っていう範疇に留まらない。それが寺山の資質のせいなのか、
同時代のせいなのか、良く分からないところが確かにあります。実際、微妙だと思います。
■先ほど、今の若い人が、寺山のアピアランス(見かけ)すなわち「意匠」に反応するだ
けで終わる可能性があると言いました。同じように、寺山作品を自意識的な言語ゲームだ
と受け取って、その中にいても良いんだ、と受け取る若い人が出て来る可能性があります。
■両方とも駄目です。不自由を象徴する「片輪的オブジェ」が自由への扉だというアイロ
ニー。自意識の穴を掘ることが世界へと突き抜けることだというアイロニー。『田園に死
す』のラストシーンにも同種のアイロニーがある。こういうアイロニーが寺山の本質です。
■自由になろうと思ったら、あえて不自由になれ。自意識から解放されたかったら、自意
識に徹底してこだわれ。何かから距離を取りたかったら、むしろ徹底して近づけ。これら
アイロニーは、僕の言葉でいえば、一括して「あえてする感覚」に貫かれています。
■分かりにくいものは分かりやすく、分かりやすいものは分かりにくい。寺山の一見した
ベタさもまた、そうした「あえてする感覚」の系列上にあると理解していただきたいんで
す。そうすれば、今の若い人にも寺山修司の本質が伝わるんじゃないかと思います。

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