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綱領なき革命・経典なき密教―現在進行形としての寺山修司
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投稿者 愚民党 日時 2004 年 1 月 25 日 15:46:23:ogcGl0q1DMbpk
 

綱領なき革命・経典なき密教―現在進行形としての寺山修司

                                     塚原 勝美

はじめに

 この史的前夜とは中央アジアを発火点とする第三次世界大戦を前にしての夜と夜の夜。

花嫁衣裳は火事の色。90年代の世界基調色はこげ茶色であった。いまや火事の色。

そして第2次世界大戦敗戦国としての日本の戦後価値観は大経済主義であったが、いま音を立てて瓦解。

価値と人生そのものが地滑り的に移行。演劇思想としての寺山修司から文学思想としての寺山修司総体が

現出してきた。日本で文学思想とは哲学のことである。

31日、藤沢駅で十三(とさ)の砂山のチラシをまいた。近くには前日に続いて革命的共産主義者同盟の中核派

の情宣隊が反戦闘争の呼びかけと署名活動を展開している。自分はひとり。情宣隊の隊長は私と同年輩。

いま全学連には学生が続々と集まっています。佐世保闘争では機動隊とぶつかりました。そう笑みを浮かべな

がら話す。私は29日にシアタ−Xに劇場下見に行ったついでに新宿の模索舎によって前進新年号を買って年

頭論文を読んだと話すと、隊長のヒュ−マニズムに満ちた笑顔はさらに深まる。

その笑顔の底には長年の過酷な革命運動で慟哭の悲しみと非情なニヒルを経験してきたはずだ。

私に万有引力の根本さんの顔がよぎる。

 

 いま自分たちの芝居では学生は終え高校生が参加してきています。そう話すと隊長はどうしてですか? 

と質問する。私は、さあ自分を表現したいという情熱が湧き上がっているのではないでしょうか、そう答える。

隊長は昨日も朝10時から夕方5時まで駅頭で立って署名活動しているので、今日は疲れているようだった。

明日は正月1日である。明日もやるんですか?そう質問すると隊長は明日は仕事ですと答えた。

なら明日は私がこの場所でひとりでやろう。川原乞食の芝居屋が革命党のプロレタリア戦士に負けるわけに

はいかない。

 チラシを受け取ってくれた年配の上品な白髪の女性が話しかけてきた。寺山修司さんですか、わたし短歌をや

っているんですが、先生が寺山さんの歌が好きなんですよ。私は質問する。そうなんですか、寺山さんは人気あ

るんですか? 婦人が答える。ええ好きな人が多いですね。私は営業する。ぜひ、東京の両国で遠いですがみ

にきてください。婦人が答える。東京は遠いですね。私はチラシを見せながら説明する。28日は昼間やりますの

で、是非。婦人が答える。昼間だったらいけるかもしれません、友達の分ともう1枚ください。婦人は去っていった。

隊長の方を見ると署名しようと若い人が集まっている。若い情宣隊員には人が集まっていない。人を寄せ付けな

いインテリ特有の匂いがあるからである。あの隊長は大船駅でも数年前から情宣をふたりでやっていた。昨日は

3人だった。今日は4人。それだけ組織が盛り返していることがわかる。遊行舎に組織はできるのだろうか? 

ふと私は思う。いまはひとりで決起しなくてはならない。芝居が終わると劇場費・スタッフ支払いが待っている。

支払いを成功させるためには観客を動員するしかない。そのためには宣伝である。

 さて中核派情宣隊は4時半頃引き上げた。本当はいろんな団体と競合して宣伝するほうがお祭り的になって

チラシのはけもいいのだが、しかたがない。隊長があいさつにきた。来年もよろしく。握手をした。いよいよ

革共同の情勢到来ですね、わたしはおせじを言った。革共同とは革命的共産主義者同盟中核派の略語。

 

 ひとりでチラシをまくがやはり受け取りが悪くなる。気合を入れなおした。若いカップルが話しかけてくる。

あの、へんなことを聞くんですけど、この近くにホテルはないでしょうか? みると女の子が照れ笑いに崩れて

いる。私はいつもチラシを置いてもらうホテルを教える。チラシまきとは私の俳優修行でもある。そこで現在の

人々の姿態を学習するのだ。あなたが好きなんです、そう心で念じてチラシを差し出すと若い女性が受け取る

のである。テレパシ−ではないがこれは発見だった。女とは心の感受能力を持った動物なのだろうか?

いままで私は女とはどうしてもセックスをやりたい肉体編の対象にしかみてこれなかった。それが自分の限界

だった。ふとシ−ザ−さんの言葉を思い出した。心のセックスもあるんですよ。それは心と心の会話という意味

なのだろうが、昨年の私にはまだ理解できなかった。宣伝しながら考える。確かに自分は考えそして感じる心を

持っている。ならば女性ももっていることは確かだ。なぜその心をめがけてアプロ−チしなかったのだろう?

女性の心とは何か? それを今まで考えたことはなかった。あまりにも幼い無知な男であったことに気づく。

 

1) 寺山修司を読む

 私は新聞をとっていない貧乏人。だからたまに新聞を読むと入力装置が生きいきと起動する。しかし本も最近

読んでいないから、たまに本を読んでも入力装置が起動しない。読書とは関連における想像力にある。

つまり一冊の書物を読む読書人はさまざまな書物を読んでいるから、その文章を読んでいるとき、同時的にさま

ざまな読書による入力装置が起動して関連付けとしての連関メモリ−が起動している。それが思考である。

つまり読書とは思考世界なのである。ゆえに読書をしていない人間は思考起動としての文章を書くことが困難に

なる。書物は編集された世界である。編集とは裏方の側面であるが、読書人の無意識にその裏方の側面が入力

されていく。活字は舞台であり俳優であろう。

 私は馬鹿だから寺山さんの書物の批評などはできない。寺山さんの本を読むとは自分を語ることになってしまう。

それがモノロ−グではないダイアロ−グへの方向感覚であれば、寺山さんから少しでも学んだことになるだろう。

 

2001.12.31

http://kayaman55.hp.infoseek.co.jp/terayama01.htm

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寺山修司を読む-2

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 泥の中から出て来ながら、蓮は美しい花を咲かせる。

 だが、その蓮の花の鮮やかな赤色を、反逆者の血のしぶきと見るか、

生身の喩えと見るか、エロチシズムの煩悩と見るかは、私たちの自由と

いうものでなければならない。

 私が、死という言葉を口にしなくなったのは、ある夜、祖母と近くの蹄鉄

屋の源二郎という毛深い男が、寝ているのを見たときからである。

 赤い蹴出しからころがりでた祖母の下半身は、私の思っていたよりもは

るかになめらかで色白く、しかも祖母の鳩のなくような喜びのしのび声は

雨戸のすきまから覗いていた少年の私をふるえあがらせた。

死ななければ見られないと思っていた地獄が、こんな間近で見られるの

とは、何という素晴らしさだろう。

 私は、そのとき何の宗派にも属さぬ、自分のためのたった一人の密教

の徒になっていたのかも知れない。

                     寺山修司 - 空海

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 綱領なき革命・経典なき密教という寺山修司の原光景なるテ−ゼは山岳仏教をきりひらいた空海を論じた

この文章に発見される。寺山修司哲学とはゆえに個人こそが根拠地であるとするのである。

綱領なき革命とはひとりの革命の徒であり、経典なき密教とはひとりの密教の徒である、そのような現在を生

きている人間こそに現実原則とさまざまな真理は内在し物語が発生する。それゆえにダイアロ−グとしてアク

セスする接続回路を赤い情熱が疾走する。

 思想の望郷・文学編を読んで私はやはり近代を思った。同じ東北の文学者である石川啄木と太宰治への批

判はかつて吉本隆明が日本共産党員詩人であった壷井繁治の戦争協力詩の存在その転向を鋭く追及したよ

うな厳しさがある。詩人の批評とは革命綱領をめぐる党派闘争の兄弟殺しにも似ている。

 鶴見俊輔たち思想の科学研究会が編集した『共同研究・転向』は、1962年に初版が発行されて以来、60年

代・70年代・80年代の革命家たちに読まれてきた。それは論理的に社会科学から展開されている。

それよりもすざましい兄弟殺しとしての階級が登場するのが文芸批評である。かつての70年代までの文芸批評

は階級闘争が必ず生み出す兄弟殺しとしての党派闘争ががあらわれていた。

しかし寺山修司の文芸批評はおのれの個人的な独自的な思想の根拠地を生み出すためにあった。

 寺山さんは近代陣形の内面である壁に囲まれたとげとげしい四角の精神の呪縛から自由の基地を作った人

であると思う。その言葉には綱領なき革命・経典なき密教が呪術のように内在化されている。ゆえになかなか概

念化できないのである。自分を物語らねば寺山さんの言葉にアクセスできない。ハルキ文庫『石川啄木を読む-

思想の望郷・文学編』は十三(とさ)の砂山の台本にある言葉の原光景が説明されている。鏡花を読む、そのフ

ァイルは土俗と密教が混在し、誘発された。寺山さんの台本の言葉はある土俗伝説ある文学ある消された住民

の歴史が圧縮されている。そして批評の動物的眼光は詩人特有の鋭さがある。

 これまで私がまともに読んだのは83年国文社発行の寺山修司演劇論である。その本は共同研究・転向ととも

に朽ち果ててしまった。2年前、いつか美術展へオブジュ作品として出そうと、アパ−トの外へ野ざらしに置いて

おいたから。1971年私は栃木県矢板市という場所で革命の活動家をやっていた。19歳になろうとしていた。

自主上映会のマドンナ室井とも子さんが、アジトにしていたわたしの4畳半のアパ−トに来て、宇都宮県立文化

会館で『書を捨て街に出よ』が上映されるから見に行かない、とさそわれたが、私はいかなかった。後で室井さ

んから感想を聞いたら、とてもおもしろかった、そう言っていた。

 私は今年の3月で49歳になる。92年から演劇をやりはじめ、これまで白石征さんやシ−ザ−さんの演出によ

る寺山修司演劇に出演してきた。やはり元天井桟敷の三上宥紀夫さんの演出による舞踏にも出演してきた。

その舞台実践を通過しながら、いよいよ個人的に寺山修司と対話する30年遅れのあほだらこそ私である。

しかしこの長い迂回をえた出会いこそ重要である。自分なりに寺山修司哲学とアクセスできるほのかな確かさに

感謝している。

2002.1.1

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寺山修司を読む-3

 1月2日。午後2時から夕方6時半まで藤沢駅北口に立つ。ひとりで十三(とさ)の砂山のビラまきである。

風は冷たかった。予想していたとおり通行する人々は多かった。鎌倉から帰る人、デパ−トに福袋を求めて

買いに行く人、遊行寺に行く人。家族連れの人々。ビラをまきながら私が確信したことは寺山修司の歌は、

第2次世界大戦からやがて到来するであろう第3次世界大戦の時間における代表的な歌として1000年残

るだろうという予感である。寺山さんはこの過去となる空間の代表的歌人となるはずである。石川啄木に継

ぐ歌人として。

 言うまでもなく、演劇人口よりも短歌人口の分野が圧倒的に多い。そして現在、寺山修司の文庫本を購入

している人々は演劇人ではなく歌を愛する人々であり、若者たちである。そう寺山修司はいまの現在進行形

としての言葉をめぐる文学なのだ。とくに歌人から寺山さんが圧倒的に受け入れられている現象を見逃すこ

とはできない。それは歌人であり獄中にも入った角川春樹の力であるかもしれない。獄中から角川春樹は寺

山さんにささげる歌をつくっている。

 何度でも言うが日本の哲学は万葉集から出発した文学のなかに胎動している。それは近代でも同様だ。

寺山さんの演劇と映像は歌論集・能楽論集として位置を示していくだろうという予感がある。

 

 日本文学評論のうちで、歌論は最初に成立し、それ以後も近世までは歌論がその中心的位置を占めている。

それは和歌が長く生命を支えてきたのと一致している。

                                歌論集 能楽論集 日本古典文学大系

                           

 年配の女性が聞いてきた。藤沢グランドホテルはどこですか? 私は方向を説明する。ビラをみて、その婦

人は寺山修司さんですか? わたし、短歌をやっているのですが好きです。そう言葉をかけて去って行った。

街頭に立つということは演劇公演に向けた市場調査でもある。今日だけで950枚を配布した。若者を中心に

あらゆる世代が寺山修司の名前に興味を示しビラを受け取っていく。そのような体での実感はやはり街頭に

立つしかない。舞台とはすでに企画した段階から始まっている。舞台とは観客によって幕はきって落とされる

のだが、春に向けて準備をしている重たい雪をかぶった土中の名もない草々のように、観客にはけして見え

ない仕事の是非こそが舞台を成功させる。

 今日は昨年の秋に遊行寺で公演した『小栗判官と照手姫』の関係者にも出会った。ひとりは丹後の局を演

じた浅井さん。今日は仕事の帰りです。そう言って息をはずましていた。彼女の出演を私は願っている。

もうひとりは観客誘導をしてくれた渡辺さん。彼は父と鎌倉へ行った帰りだった。人がいっぱいで途中で帰って

きてしまいました。私は彼のお父さんと握手をした。そして彼とも握手して別れた。街頭に立つということは、気

概を公演を打つのだという情熱のあり方をみせることでもある。動かなければ誰も動いてはくれない。

 天井桟敷が圧倒的な観客を動員した事実は制作であった九条今日子さんの力による。それまでの演劇人口

とは俳優座・文学座・民芸の芝居などを定例会で鑑賞するという全国観劇運動が組織していた。労働運動と文

化運動の蜜月である。音楽ではコ−ラスの全国うたごえ運動である。これも労働運動における文化運動であっ

た。60年代の労働者運動とは多彩であり実にエネルギッシュだったのである。しかし寺山さんは労働運動の活

動家よりも短歌をつくる人口の方が多いのを知っていた。ゆえに観客動員のメディアを拡張することができたの

である。大組織に頼らないためには間口を広げたところで観客を動員しなくてはならない、それが宣伝戦におけ

る革命をなしとげたのである。徹底したポスタ−はりとビラ配り。天井桟敷と唐十郎・紅テントの宣伝の基本は、

劇場おりこみではない。ひとりひとりに劇団員が配布するビラ配りであり、東京中の喫茶店にポスタ−を貼りの

お願いいく選挙戦スタイルだったのである。

 寺山さんの映画『書を捨て街に出よ』は全国高校生詩人たちを結集して作った映画であると言われている。

後期天上桟敷には続々と高校生詩人たちが結集してくる。つまりその根拠地とは圧倒的人口を擁した詩歌の

少年・少女たちであった事実。この圧倒的エネルギ−は当時の高校生政治活動家よりも勝っていた。寺山さん

は饒舌な論理を展開しおのれのアジテ−ションに陶酔する政治少年・少女より詩歌によってしか自己を外に表

現することしか知らぬ高校生詩人の方に持久としてのエネルギ−が胎動していることを、当時、鋭い嗅覚で感

知していた。なぜならそこに万葉集以来の大河が流れていたからであったと思う。

 私は無知であったが過去の時間は現在より豊かさが流れていたのだ。未来とはこの豊かさの喪失として進む。

未来とは貧困でもある。現在とは豊かさの消滅でもあり、死と一緒に同伴する道行きのことでもある。文明とは

また喪失。ゆえに寺山さんは泉鏡花から説教節に向かっていくのは、万葉集の血をもった歌人であったから。

全国の歌人の結社は劇団よりも多い。そして無名の歌人は無名の俳優よりも多い。この事実こそ綱領なき革命

経典なき密教の山岳である。

 エレベ−タの扉が開くとそこは恐山だった。寺山修司哲学とは山岳の風土がある。そして街頭に立つとは山岳

からの風に吹かれることかもしれない。藤沢駅頭は太平洋からの風でもあった。私はその風に吹かれビラをまき

ながら、寺山修司は1000年残るだろうと確信していた。シ−ザ−さんは、寺山さんは自分の神だと言った、そし

て、シ−ザ−さんは寺山修司の言葉を100年残す気概で奮闘している。おそらく、シ−ザ−さんは経典なき密教

の呪術的言語の秘密を知覚しているに違いない。それが、シ−ザ−さんの全体演劇の内容である。

 私は綱領なき革命の秘密に向かっているのだと感知した。秘密とは迷宮でもある。そこではおのれの体で習得

した経験を全体化することである。それこそが今日的な情報の共有化でもある。おそらく宣伝・扇動とはここにあ

る。天井桟敷の黒子だった舞台監督の藤原さんに言われたことがある。劇場おりこみなど誰もみないぞ、そんな

の公演が終了してから帰宅途中の駅のゴミ箱に捨てられるだけだ!それより手渡しだ! それ以来、私はビラ配

りに宣伝のあり方を転移させた。つまりビラ配りとは現状に分岐を生み出す。舞台の俳優とは観客のものである。

ゆえに演出家は存在する。黒子とは宣伝・扇動においてあるモ−メントを形成していく。

 運動とは何か? 万葉集の読み人知らずである。読むとは同時に言葉をつくる人でもある。

寺山修司を読むとは現在進行形の寺山修司の言葉をつくる行為に他ならない。それが寺山修司演劇の全体像

でもある。 そして寺山修司演劇運動の実践的要素とは、 迫る第3次世界大戦の史的前夜において、 この過

渡期世界の宿命からおのれの想像力の自由塁をつくることでもある。 歌人たちはその必要を演劇人以上に、

感知している。ゆえに寺山修司に向かっている。

 やがて登場する高校生歌人・詩人たちといかなるアクセスができるのか? そして、できないのか?

制度が戦争徴兵制度を準備している現在、いま再び政治の季節になることは間違いない。30日31日と街頭宣

伝で出会った中核派情宣隊は今日登場していなかったが、 日本共産党の宣伝カ−がうなりをあげて街を疾走

していた。 市場経済という資本主義経済システムは終わりを永遠に先送りする経済システムである。その再生

として世界戦争があることは、過渡期世界の宿命だ。 この制度を選択してきた民衆の宿命こそ世界戦争体制

への編入としてもある。 おのれが戦場に行くのか? をめぐって、 若者たちの世界意識は起動する。おのれ

の生命にかかわる事態を前にして人は動き出す。 

 この世界と自己の命のあり方を問う葛藤こそが、これまで青春文学と呼ばれてきた。政治の季節は同時に文

学の季節でもある。 60年代後半に類似した熱い季節がやってくる。 

寺山修司文学に内在する寺山修司哲学とは何か? その全体像は、やがて来る季節によって刻印されるはず

である。 現在進行形としての寺山修司の前夜、私は藤沢駅頭を離れ、東京のどこかの駅頭に立っている準備

をする。それが無名の草々の動物的本能でもある。 徳川幕藩体制300年にもおよぶ商人たちの不屈の執念

と情念そしてモラルによって、第2次世界大戦敗戦後の日本は世界資本主義経済大国のアメリカUSAに継ぐ

2番手にまで踊り出た。しかしユ−ロ経済圏の出現と東アジア経済圏からの孤立は、いよいよ日本「商」の光芒

が喪失するときを迎えた。

 そこで現出するのが恐山の風である。風は海から山岳にも吹く。江ノ島に恐山が空にそびえている白昼夢。

ソビエトは消滅したが恐山は消滅しなかった。それが山岳であり民衆芸能でもある。

綱領なき革命・経典なき密教それをソビエト運動ならぬ恐山運動とも言う。 

十三の砂山は総力をあげた公演となるだろう。

寺山修司1000年の出発こそこの過渡期世界における限定された現在進行形としての行為は、

つねに限界の危機から次なる寺山修司哲学にアクセスする想像力を起動する。それが行動の反復でもある。

96年から6年を費やし遊行寺で毎年公演を結実させてきた苦闘は、次なる苦闘を呼び出すためにあった。

2002.1.2

 
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