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(回答先: 上野近くさんの投稿へのレス 投稿者 リーマン 日時 2004 年 1 月 07 日 00:47:00)
支配の秘訣は「隠された第3項」となること−暗殺のドミノ倒しと分断統治
リーマンさん。 あけましてあめでとうございます。
年末年始は不在でして失礼いたしました。
民俗学の本に出てくるような山奥におりました。
関連投稿
全く同感です
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/145.html
投稿者 リーマン 日時 2003 年 10 月 27 日 21:43:08:FagqpUDXKcu9o
被統治者に真実の像を結ばせないこと
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/676.html
投稿者 リーマン 日時 2003 年 12 月 26 日 08:04:45:FagqpUDXKcu9o
敬天愛人 西郷隆盛と銅像の由来
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/866.html
投稿者 上野近く
西郷隆盛を知らない我々は自分の真の姿も見えないという証拠
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/744.html
リーマンさんの見方は見事なものです。
もう性感帯が残っていません。
私は幕末明治時代関係から引退させていただこうかと思います。
(もともとそんなに詳しくないので。 こういう詳しい方の多い分野で投稿するのは恥ずかしい)。
これで終わるのも何なので、雑感ということで
「悪辣イギリス人」(人の良いケルト人やブリテン原住民のことではないよ)のやり方は,
「隠された第3項」
となることです。
世の中にはいつも多くの争いごとがあります。
当事者は普通は2つに分かれます。
ここに仲裁者が現れて紛争を仲裁することに成功すると、仲裁者は「顕在化した第3項)だということができます。
(弁証法と関係あるかどうかは存じませんが、こういう「第3項」を析出する歴史過程のことをいいたかったのでは?)
紛争のネタがあるときに、裏から手を回して、表に出ないように両方をけしかけ、
両方を消耗させることで実効支配を貫徹するというやり方。
これを「隠された第3項」と呼びたいと思います。
このような単純な(裏)弁証法みたいな理屈で動いているようです。
この観点からもう一度歴史を見てましょう。
坂本龍馬暗殺については幾つもの説があるそうです。
門外漢の私が実証的に物を言えるような分野ではありません。
あえてその上で言いますと、西郷黒幕説に魅力を感じます(多数説でも定説でもないはずです)。
竜馬は暗殺前に公武合体派に鞍替えしたそうです。
竜馬にこの線で動かれると、内戦の拡大に失敗することになると見たグラバーが、
島津を通して西郷に圧力をかけ、竜馬に暗殺させたという説ですね。
西郷は、グラバーの企みを熟知していましたが、薩摩藩は倒幕を決定していたので逆らえない。
そしで内戦を最小限にとどめる画策を行うと共に、竜馬を暗殺せざるを得なかったと。
悪辣イギリス人から見て、竜馬がなぜ暗殺されなければならなかったのかは上に書いたとおりですが、
哲学的(?)に言うと、
「国内をまとめて分断統治をしにくくする異物」
という判断を下したと見ることができます。
従って、西郷は、竜馬を暗殺しつつ、かつこれと同時に、根本的なところで竜馬の意思を引き継いだ。
だから、「すまん、これで許してくれ」、そういう声が聞こえるような気がする。
こう考えると、諸葛孔明も真っ青のとんでもない策士ということにもなる。
明治維新後、西郷が表舞台に出たがらなかったのも、何か分かるような気がします(気がするだけです)。
彼には全体の構図が明晰に見えていたからに違いない。
この後、少年時代からの大親友大久保を使って西郷を処分したというのは当たりかもしれません。
その大久保も、そして伊藤博文も順に処分されることになる。
このプロセスにどういう力学が働いているのか。
西郷は国内をまとめるだけではなく、
朝鮮との国交問題も平和的に解決してしまう可能性があった。
悪辣イギリス人はこれを絶対に許せなかった。
この理解が正しいと思います。
長州藩閥の人々は、倒幕前から上海を頻繁に訪れており、
明治時代になってからはわざわざイギリスまでご挨拶に行った。
そこで、明治政府は、近代産業を起こし、アジア全域に植民地を広げて近代産業を発展維持させるべきだという洗脳を受けて帰ってきた。
関連投稿
大日本帝国の植民地拡張サイクル
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/408.html
だからこその江華島事件なわけです。
そして大久保を使い、西郷に「征韓論」の咎を押しつけて葬り去った。
ここにも分断統治方針に対する異物である西郷を葬るべき決定的な動機があります。
このラインが大久保−伊藤暗殺へとつながっているようです。
(こう見ていくと、伊藤暗殺が本当に朝鮮民族のためになったのか、むくむくと疑問が沸いてきますが、それはまた別の機会に)
最後に、西郷銅像の碑文について。
私もこの碑文を上野公園で読みましたが、
やはり問題がありますね。
「然るに、明治6年6月いわゆる征韓論が閣議に上るや断固反対して、
大使派遣による平和的修交を主張し、内治優先論を固執する岩倉具視、大久保利通等の反対に敗れて辞官帰郷。私学等を興して後年青年の育成に努めた。」
「内治優先論」というのが変です。
この直後に江華島事件でしょう。
岩倉の本音は朝鮮(武力)開国論で決まっている。
内治優先で何で軍艦持って朝鮮にいかないといけないのか分からない。
「西郷隆盛の偉大な功業は、その信条たる敬天愛人の精神に発した仁愛と至誠没我の所産であり、
日本の代表的偉人として今なお敬慕される所以は実にここにあるのである。」
「敬天愛人の精神に発した仁愛と至誠没我」と征韓論。
リーマンさんのいわれるとおり、この二つの組み合わせに無理がありすぎる。
軍艦持っていって開国を迫るなんて無礼だと思わないのか?
征韓論のどこに敬天愛人の精神があるのか?
この碑文は良いのですが、一般国民はこういう無茶苦茶をなんで信じていられるのか?
答えは簡単。
「敬天愛人」は「臭い消し」にすぎない。
政治的暗殺にさらされた西郷をそのまま放置しておくと、国民に疑念が生じてくる。
言い換えると「怨霊」となる。
そこで「聖人」として称賛することで「血の臭い」を消す。
このような見え透いた謀略にだまされている国民に未来があるのか?という疑問を持ちます。
竜馬についてすら同様の疑問を感ずる。
竜馬については、薩長連合のことだけが大きくとり上げられているように思えます。
しかし、彼は最後に公武合体派になっていたのではなかったのか?
彼の構想力と説得力をもってすれば、
もっと平和的な形で明治政府を成立させる可能性があったのではないか?
これは「if」にすぎません。
しかし、彼の倒幕派の側面を強調する点に、
征韓論と似た感じの違和感を覚えます。