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(回答先: マクロとミクロ? 投稿者 baka 日時 2004 年 3 月 24 日 22:54:59)
bakaさん、どうもです。
レスで書いた本旨は、米国がデフォルト宣言したとしても、バタバタしたり不安になることはないということを知ってもらいたかったことにあります。
あっしら:[日銀は自由にペーパーマネーを発行できる主体ですから、貸したお金が返済されなくとも困ることはありません。]
>とあります。
>これは、一見、矛盾した御言動とも受けとれるのですが、マクロ経済としては、日本
>経済に痛手はないが、ミクロな存在としての庶民は、例えば輸出企業とその投資家に
>比べて、損をしているという理解で宜しいでしょうか?
マクロとミクロの関係とも言えますが、マクロは抽象化したミクロ総合の見方ですから、このケースではその視点でみないほうがいいと思います。
このケースは、ミクロの経済活動をつなぐ交換手段である貨幣の“空虚性”や“不可思議”の視点でみたほうがいいと思います。
日銀の信用や日銀券(ペーパーマネー)に“経済力”の源泉があるわけではなく、財(もの)を造るレベルに“経済力”の源泉があるということです。
貸したお金も、交換手段(輸出入を含む)として使われることにおいて、他のお金となんら変わることはありません。交換手段として使われるお金の量が多くなれば、誰かが大きく得をすることになるとしてもミクロの経済活動は活発化し、その活動に従事することでお金を稼いでいる庶民もわずかながらと言えおこぼれにあずかることができます。
それで米国に貸したお金の“効用”は満たされたと考えればいいのです。
(米国政権が借りたお金を人殺しや圧政に利用していることはここでは脇におきます)
米国から100兆円が返済されないことで日本の経済活動が低迷するのであれば、日銀が新たに日銀券を供給して交換手段が市場で使われる量の不足を補えば済むことです。
お金はそれほど空虚なものでありそれだけの機能しか本質的にはもっていないのです。
タダで貨幣(交換手段ないし支払い手段)を発行できないミクロ(企業や個人)は、貸したお金を返済してもらえないと困ることになります。
米国がデフォルト宣言する可能性を認識したら、民間部門に米国債の放出を裏で促すようにしたり、その後も保有している人がいたらタダの紙切れですが日銀が買い取る必要があります。
あっしら:[“贈与”こそが贈与する人(儲けたい企業)の利益につながる論理]
>について、もう少し御説明頂けないでしょうか?
“贈与”という表現があまりにも比喩的過ぎたと反省しています。端的には給与のことです。
ひとの活動力を使うために支払う給与は最低限の金額はありますが、多い分は採算の範囲で青天井です。
(最低限の金額は、日々活動力を提供し続けるように生命体を維持できるものであったり、公的扶助を受けるより活動力を売ったほうが得だと思うものです)
最低限の給与額を超える部分の給与を“贈与”を呼んでみたとご理解ください。
交換手段(支払い手段)であるお金を稼いでいながら使わず貯め込んでいる企業や個人がいれば、経済全体の活動は低迷することになります。
銀行が「信用創造」に励んでいるときはそれが目に見えるかたちにはなりませんが、この間のようにデフレ不況であり銀行自身が過剰債務=不良債権に苦しんでいると「信用創造」は機能不全に陥り、稼いだお金を使わない企業や個人がいることがそのままGDPの縮小につながります。
この段階まで進んできた「近代経済システム」においては、企業が“贈与”したお金は廻り回ってでも自分のところに戻ってくるものです。戻ってこないとしたら、その企業の活動の仕方に問題があるということです。(売れない商品やサービスを供給しているということです)
銀行の「信用創造」や赤字財政支出を除外すれば、GDPを増大させる、すなわち経済活動を活発化させる手段は、輸出で稼いだお金(貿易収支黒字)を原資とする“贈与”の増加しかないのです。
儲けている企業が“贈与”を増やすことでさらに儲けられるようになり、とんとんの企業もなんとかやっていけて“贈与”を少しだけとは言え増やすことができるようになります。(四苦八苦している企業は“贈与”を増やす必要はありません)
企業の“贈与”が増えれば、活動力を売っている庶民もお金を使えるようになり、国家機構も徴税額を増やすことができます。
このような単純な経済論理さえわからないまま、「構造改革」や「インフレターゲット論」を声高に叫んでいても、日本人がすこしはましな生活をおくれるようにはなりません。