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(回答先: どうも。私の妄想的仮説-カザールの白人コンプレックスが全世界の悲劇を招いた 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 3 月 04 日 23:56:51)
どうにも。
かざーる(もしくははざーる、はざりあとも国内では表記)国はそもそも力のみで他を制圧した雄萬・取る子とは別ものであります。クリ未ア半島の東、桐スト教圏と位すら無圏に挟まれるようにして位置し、双方の中立国としてあるべきと主張、椅子きり教、意すら無から宗教指導者を呼び、双方の意見を統び納得の上、はざーる国教に湯田や教を定める。はざーるにはほどなくして、湯田やに改宗するものが増え始め、その時湯田やにはイタリア系ドイツ系などさまざまに人種が込入する。
しかしそもそも湯田や教、湯田や系とは何か?どこから入りこんできたか?
アヴぁール族、モンごル系民族の事等、スらヴ系の伝承に耳を傾けると面白い。
ロードおぶざリングなども面白いかもしれない。広大無辺に白紙の地図を用意して、偏らない情報に耳を傾けていないとどうにもつまらない結果しか見えてこなくなる。
私は事実これだけは知っているという信念のピースの一部分から想像していかないと、何ごとも本質に迫っていくことは出来ないと思うから一言だけ。
キーワードは縄もん人。縄もんは既に弥生など比にならない高水準の生活。絹を着ていたという事実。縄もん人は湯田や人と共栄していた。こちらは精神的なものを与え、向こうは力を貸してくれた。付き合いも有り双方血の繋がりも得た。あの蛇尾での星と言われるものはもともとは日本にあったのもので現在も然り、もともと湯田やのみのものではなく、あれは古代カンながら道の教紋である。(余談だが、余りリスはそれのシンボルとして適しているものかと最近にわかに感じる。清メイ紋が桔きょうであるように) 縄もん人は世界を股に掛けた。騎バ民族が日本に入り、縄もんは東北に追いやられたというが、もともと日タカミは縄もん世界では最高の聖地である。まったく他の血を受け入れず純血を守り抜いてきた筈のスメラミ族の祖は歴史の狭間で途中湯田やの血が混血されている。それはもしかすると厩王子なる人物が現れたとする時代、にょ帝が即位したあの頃かもしれないし、そうで無いかも知れない、が、とにかく縄もんと混血した湯田やの血がかなり長い年月を隔てた現スメラミ族、国家の象徴とする顔に伺える。それは湯田やに改宗すれば湯田や人と言うように、日ぽん人すべての象徴として間違い無いのであり、いまや過去に何があったかなど誰も何も"文句"を言う必要性がないのだ。
つまり年月を経て和の力が取り込んでしまったのだ。伝えられる日ぽんの文化は環を育み、万物を取り込むだけの力があるのだよ。すべてこちらから発信してふたたび帰ってくる。世界の隅々の文化は全てこちらでチェックされ良いものは輸入される。形は変えても現代でもそれは変わらない。それは言葉であれ、音楽であれ・・・。
日本人程海外のあらゆる人種の特徴を顔に見れる国は無いですよ。