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(回答先: カーター・J・エッカート著「日本帝国の申し子」 --- 日本の植民地史の知られざる一面を著した本(『株式日記と経済展望』より) 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 2 月 19 日 15:27:17)
>九州はそれぞれ独自の慣習や言語を有してきましたが、これまでどの民族もモンゴルみずからの言語をもとに固有の文字を作ったことなどありません。蒙古、西夏、女真、日本、吐蕃などでは独自の文字を使っていますが、この者たちは夷秋(野蛮人)であり、語るに値しません。古典に、夷秋を中華に変えるとは申しますが、中華を夷荻に変えるなどという話は聞いたことがありません。
>歴代の中国では、わが国をもって箕子の遺風があり、礼楽と文物が中華に比肩するといっているのに、いま別に朝鮮固有の文字(諺文=ハングル)を作るのは、中国を捨てて、夷秋と同じくなることにほかなりません。すなわち「蘇合の香を捨て、蟷螂の丸薬をとる」ということです。これはまさに我々の文明にかかわる由々しき事態です。
ギリシャあっての西洋である。中国あっての東洋である。朝鮮も琉球もベトナムもカンボジアもタイもビルマもそれは認めるのではないか。何故、日本のみが中華から一歩抜け出したのか?
明治維新による日本軍国主義の侵略によって、中華=善=絶対から東アジアは弁証法の時代に突入した。中国が西洋の蛮族どころか、同じ東洋の蛮族にまで負けた。中国文明が東洋史上初めて相対化された。日本軍国主義という「悪」によって。
中国文明という「善」は中国・朝鮮を縛り付ける「悪」でもあった。中国・朝鮮を侵略する日本軍国主義という「悪」は中国・朝鮮を封建主義から解放し、社会を近代化する性質を内在させた「善」の面もあった。
19世紀に東アジアは、中華絶対主義の価値観は崩れ、善が悪に転化し、悪が善に転化するという流転の中に突入した。