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(回答先: 何故、東アジアで日本だけが中華から抜け出せたのか? 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 2 月 20 日 13:53:02)
スパルタコスさんへ
日本だけが、中華から抜け出せたのか?
多分、我々の先祖が、他の民族と比べ、少し現実的だったことと、偶然の所産で、抜け出せたのでは、と、日頃から、考えています。
現実的だったことは、現代まで受け継がれ、”とりあえず”、”そうはいっても”という言葉を使うことの多さに表れているように、思われます。
”とりあえず”飯が、先だ。
中国文明が作り出した大思想も、我々の先祖は、うまくいっている考え方だから、どちらかと言えば、”とりあえず”導入し、ほとんどの人は、思想の語ることを、まねはするけれど、真に、信じきったのでは、ないのでは?
聖徳太子は、当時、権力闘争にあけくれる、皇族、豪族の間に、仏教を導入しました。このとき、おそらく、強烈な恐怖をまきちらす中国が実践している思想だから、むしろ、取り入れることで、皇族、豪族の間の闘争も、上手く収まるのでは、ということで、皇族、豪族の、いわば、意見集約、そして実践の音頭取りをしたのだと、思われます。
このとき、中国思想そのものを、信じきったのではないのだと、思われます。どこかに、”とりあえず”導入して、上手く行けば良い、という思いがあったのではないでしょうか?
聖徳太子から、数十年後、聖武天皇が、大仏典を建立するとき、大仏典となるすぐ脇に、神社を建て、大仏典建立が成就することを、祈願されたそうです。
つまりは、仏教は、非常に大切な教えだけれど、その教えを、100%信じきったわけではなく、たぶん、”ともかく”うまく行ってほしい、そのためには、何でもする、という、現実性というか、何か、別の動機に支えられた思考が、あったのでしょう。
同じように、儒教を導入するときも、”とりあえず”が、どこかに残り、ほとんどの人は、信じきったわけではないのでは?
−−−−
現実的な判断ができる面が、残ったから、おそらく、いわゆる典型的な封建制は、アジアでは、日本だけで発達したのではないでしょうか?その田を、毎日面倒見る人が、その田を、占有し、さらに所有するのは、自然なように見えたのではないでしょうか?(藤原のころから、なし崩し的にはじまり、そして、所有を、公に認めてもらうために、源氏政権が誕生したといわれています)。いわゆる律令制度は、世界的にみても、割合早い時期に、崩壊し、次の封建制が続きます。
もし、皇帝権力を正当化する思想が、強烈過ぎれば、田は、やはり皇帝の所有で、人民は、田を皇帝から借用するという考えから、逃れられなかったのではないでしょうか?
”とりあえず”よさそうなことは、取り入れます、と。
その背景の思想など、面倒なことは、ちょっと後回しにして。
乱暴にいうと、古代から、現代まで、我々には、けっこう図太い、現実主義が流れているような気がします。
こんな見方、いかがでしょうか?