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日本にあるのは、もはやデマゴギーであって、デモクラシーではない。1999年、世界は滅亡こそしなかったが、滅亡に向かって歩み始めたとも言える。あの辺りから日本も本当にひどい国になった。石原が都知事になったのもこの年だ。
インターネットで氾濫する公衆便所の落書き以下の汚い言葉こそが、政府のお膝元である東京・神奈川の石原・松沢を支えているのではないか。もはや今の日本の右派は戦前の右派のような背負うものもなく、差別主義をむき出しにした和製アルカン・和製シェシェリ・和製ミロシェビッチでしかなくなりつつあるのだ。明治の藩閥政治家にはバランス感覚が、昭和の軍部官僚にはないが、彼らには「白人の世界支配を倒し、人種差別支配を倒す」という大義名分があった。今のインターネット右派に一体何が、どんな進歩的な意義があるというのだ?彼らは全くの反動でしかない。ネットであるが故に、自分の国家も企業も店も背負う必要がなく、ただ米軍に守られて「早く第三次世界大戦が起こらないかなあ。ボソ」「北チョンは死刑」というだけだ。伊藤博文はロシア恐れるるに足らずと豪語した軍人に、自分を斬ってから豪語しろ、と迫った。太平洋戦争に突入する際にも清水寺に飛び込むような悲壮な覚悟が東条英機にはあった。今の日本の右派はただ中国人や韓国人の前でブラジャーを着けて「お前らはこんなんじゃ」と紙を撒き散らしたり、ペニスで障子を破って「ほれほれほれ。どうだ。あ?」と言っているだけではないのか?
藩閥政治が倒れ、第二次大戦で破れ、99年の経済危機で誕生したのは、結局ファシズムではなく、真性ナチズムであったと考える。日本の右派ももはや人種解放思想をほり出して、先天的劣等民族を規定し始めたのだ。今の私は後になるほど世の中は良くなるという進歩史観を捨てた。むしろ、後になるほど人間は悪くなり、腐っていく。カイゼルの時代からナチスの時代へ、国王の時代からミロシェビッチ・タリバンの時代へ、反動の主張は一層暴力的で乱暴でむき出しの気違いじみたものになっていく。日本史を見る上で平安時代を最も平和な時代として基点にすれば、後になるほどどんどん世は乱れていっているように見える。人類全体では、段々破滅の方向に向かっていっているように見える。