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ビキニ事件が日本の原水禁運動の出発点になったと言われるが、「禁」と「協」
の対立という非常に分かりにくい運動になった。半世紀たっても「平和勢力」は
分裂したままだが、戦争大好き勢力は自衛隊半世紀を記念して、「有事7法」だ
けでなく、憲法も「大連立」で変えようとしている。平和のためにはいがみ合う
が、戦争のためには容易に翼賛化するこの体質。
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静岡新聞【2004年03月01日(月)】
きょうビキニ事件50年 核廃絶へ誓い新た
一九五四年三月、米国が国連信託統治領だった太平洋マーシャル諸島のビキニ
環礁で行った水爆実験で、焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員
や同諸島住民らが被災、多数の日本漁船が放射能汚染を受けた上、日本列島も放
射能雨に見舞われたビキニ事件から一日で五十年になる。事件は、核戦争の恐怖、
原水爆禁止(原水禁)運動、広島・長崎の被爆者援護、地球環境汚染問題などの
原点として社会に大きな影響を与え、今なお多くの問題を投げ掛けている。
半世紀前の冷戦下、旧ソ連との水爆開発を競う米国はビキニで三カ月間に六回
という核実験に着手。史上最大の最初の実験を三月一日に行った。放射性降下物
「死の灰」が広範囲に拡散し、同船乗組員二十三人のほか、これまでの調査で同
諸島住民一万人以上が被ばくしたと推定され、昨年末までに千八百人余りが被災
による健康被害の認定を受けた。
一連の核実験で当時、太平洋のほとんどが放射能汚染され、被ばく魚を漁獲し
た日本漁船は八百五十六隻(政府確認)に上った。一船二、三十人規模の乗組員
から推定して一万人以上が被ばくの危険にさらされたとみられる。こうした被災
実態を平和団体などが調査しているが、全容は不明なままだ。
事件によってそれまで野放しだった原爆被爆者の医療問題にも社会の関心が向
き、のちに被爆者援護法の成立につながった。皮肉にもビキニ被災者は同法の対
象外のまま。しかし、第五福竜丸元乗組員二人が近年、被災後の治療と関連する
肝炎治療をめぐって船員保険の再適用を申請して国に認められ、同法適用の問題
提起につながる事例として注目を集めるなど、新たな展開を見せている。
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静岡新聞【2004年03月01日(月)】
反核平和、焼津の叫び 政治色超え新たな動き
ビキニ事件から半世紀―。事件は放射能の恐怖を世界中に伝え、日本の原水爆
禁止(原水禁)運動など世界的な反核平和運動の原点になった。しかし、核兵器
廃絶の願いとは裏腹に核兵器の拡散は続いている。大きな役割を担った原水禁運
動は政党・団体の路線対立から分裂。後遺症を残す中で、近年、被爆地と焼津市
で個人参加による市民の新たな反核平和運動が動き始めている。
世界的な反核平和運動は半世紀、核兵器の国際管理体制を確立する大きな支え
となった。しかし、国内では原水禁運動の分裂後は市民運動としての影響力が回
復しないままだ。
近年、長崎では核兵器廃絶の一点で思想信条の違いを超えて市民が個人の資格
で連帯する官民一体の反核平和運動が生まれた。広島では被爆者が所属団体の枠
を超えて核兵器廃絶を訴える集いが生まれた。
ビキニデーの原水禁運動も分裂のままだが、地元焼津では政治色を敬遠する市
が事件を後世に伝える二十回目の「6・30市民集会」を六月末に開く一方、市
民が個人の資格で集う反核平和の市民学習組織「ビキニ市民ネット焼津」が昨年
から活動を始めている。
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静岡新聞【2004年03月01日(月)】
市民法廷、ビキニ裁く 静岡
ビキニ事件五十年を期に二十九日、静岡市内でビキニデー関連行事が行われた。
水爆被災事件調査研究会と3・1ビキニデー県実行委員会は静岡市民文化会館で
演劇仕立ての「ビキニ水爆核実験被災事件を裁く市民法廷」を開いた。
水爆実験を強行した米政府の国際法違反などを問う模擬裁判には、劇団静芸俳
優のほか証人として第五福竜丸元乗組員大石又七さんらが出演した。
同市池田のグランシップでは、原水爆禁止日本協議会の全国集会が開かれ、全
国から約千五百人が参加。同事件五十年の核兵器廃絶運動を広島、長崎の被爆六
十年につなぐ意欲を見せた。
同市御幸町のサールナートホールでは、県生活協同組合連合会が大石さんらを
囲んで生協組合員と「ピーストーク」をした。
http://groups.yahoo.co.jp/group/nomorewar/message/12147