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いまも腰に入ってる銃弾が、「戦争はするな」と痛むんだよ---------戦争体験者中西仁郎さんと語る
(北大農学部自治会新聞より)
以下、アクロバットのPDFファイルです。大変読みづらいのですが、心打つものを感じたので画面から起しておきます。
http://www1.odn.ne.jp/~adu56780/np2-1.pdf
--------------------------以下、記事------------------------------
自治会学校(4月13日―――多分2003年、転載者竹中)で新入生ら
4月13日、農学部一年生各クラスの代議員と執行委員を中心に、先の大戦で日本軍の兵士として中国で戦った経験をもつ中西仁郎さんのお宅を訪問してきた(農学部自治会の新入生歓迎企画)。
中西さんが自らの戦争体験を語り始めたのは、最近になってからという。
中西さんは2000年11月に心筋梗塞で倒れ、一次は非常に危険な状態になったが、何とか一命を取り留めた。そのとき病床で、残された命で自分がやらなくてはいけないことは、自らの体験を若い人に語り伝えることだと思った、と、まずはじめに私たちに語って聞かせてくれた。
私は、「一人でも二人でも良い。話を聞いてくれるなら話す」と語る中西さんの誠実な姿勢を見て、自分も、中西さんがある意味で命を懸けて自分達に体験を伝えてくれているのだから、真剣に応えなければならないと思った。
中西さんの話は戦争を体験した人だからこそできる、リアルで貴重な話だった。
一年生:僕達の感覚からすると、「天皇陛下万歳」というのはピンとこないのですが、当時はどんな感じだったnですか。
中西:小さい頃から「天皇陛下のため」ということをたたき込まれ、周りもみんなそうだから少しも疑わなかった。疑いようがない。教育の力は怖いものです。
一年生:「赤紙(あかがみ)」が来たときにはどんな気持ちでしたか。親兄弟との分かれを思ったりして心が揺れませんでしたか。
中西:心の揺れはまったくなかった。ごく当たり前のこととして受け入れ、軍隊に行きました。
中西さんの部隊160名中、元気に帰ってきたのはわずか2人。34人は負傷し、残りの120名以上は戦死した。中西さんも戦場で被弾し、左腰には今も鉄砲玉が入っている。
左腰は今でも痛み、死んで行った戦友がその傷を通して「もう二度と戦争はするなよ」と教えてくれているように感じるという。
自衛隊がインド洋にまで出ていって、アメリカの「報復戦争」に事実上参戦しているだけではなく、有事法が簡単に制定させられそうになっており、「戦争放棄」を謳った憲法の改定までもが時間の問題となりつつある今の状況を前にして、中西さんは私たちに、とても危ない流れだと訴える。
有事法は戦中の「国家総動員法」と同じだ、と中西さんは言う。「有事法が制定されたら私の若い頃と同じになる」と。
自らの体験に裏打ちされた中西さんの感性は私の胸に強く響いた。戦争体験者の現在に対する感覚、危機感を目の当たりにして、自分は全くぼけていたなと思わされた。
戦争をリアルタイムで体験した人が、今の社会状況についてどう感じているのか。私は、今どういう社会にいるのかを考えて行く上で、中西さんをはじめとする戦争体験者の観点から、多くのことをン学ぶことができるし、また、学ばなければいけないと思った。
有事法が国会で審議され、戦争政策が進められるいま、過去から学び、現在を見る眼を養わなければならないと、強く感じる。
―――――――――――――以上-------------------
他、辺見庸氏講演記事あり。参照の価値あり。