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いまNHKで、奥さんと井ノ上さんの葬儀の中継が行われています。
まず最初にお断りしておきますが、
ぼく自身、お二人には、深く哀悼の意を表すものです。
どんな人の死も、悼まわれるべきであり、その生は敬われるべきでしょう。
このことをまずお断りしたうえで、
いま全国に報じられているNHKの放映に、妙な違和感を感じざるを得ません。
これがニュースでの紹介ならともかくとして、
「中継」として、葬儀を頭からそのまま流すことに対してです。
これまでにこんなことが、いったい何度あったことでしょうか。
葬儀のはじめに、まず天皇からの勲章授与が伝えられました。
さきほどもコメントしましたように、
空気醸成の最も「シンボル的な儀式」が、挙行されたわけです。
天皇制は、空気が作り出し支えている日本社会のピラミッドであり、
その最頂点から二人の外交官は正式にポジショニングされたことになります。
その後二人の功績が紹介され、小泉首相により弔辞が読まれました。
小泉さんはその途中、言葉をつまらせて泣きました。
その涙は、いったいどこから噴き出してきたのでしょうか。
実際は危険なのに「安全」と言い切り、
アメリカのイラク占領政策に日本が加担することが問題となったとき、
「問題ない」と断言し、問題が生じてしまった悔恨の思いからでしょうか。
それなら、それなりに納得することもできますが、
もしも純粋に「テロの犠牲」と思っていたとしたら、これは怖い話です。
小泉さんは弔辞の中で、次のような言葉を力説しました。
「日本国民の誇り」「功績を忘れず」「その遺志を受け継ぎ」…。
これこそ「集団主義」のキーワードです。
ぼくの目には、実際的には「小泉政治」の「犠牲」になった二人が、
次なるステップへの空気醸成に、巧みに「利用」されているように見えました。
原始的な「集団主義」やシンボリックな「天皇制」の誕生に関して、
南茅部町の巨大な縄文遺跡から、分かってきたことがあります。
縄文時代の竪穴住居は「個」それも「女性」を基本とするものでした。
気候が暖かい時代は、大きな住居に小さな囲炉裏。
しかし寒い時代を迎えると、囲炉裏がだんだん大きくなっていきます。
さらに寒くなってくるや、今度は住居を小さくしていきます。
小さな住居に大きな囲炉裏。これで寒さを克服したのです。
それまでは住居の中に「個のシンボル」として立てられていた柱が、
住居が小さくなるや邪魔になり、村落でまとめて管理されることになります。
そのころは、気候もいよいよ厳しく、村落間でのいさかいも始まり、
その結果、村落(集団)のシンボルとして「柱」が意味を持ち出します。
かつての柱は「個」の存在をシンボライズするものでしたが、
集団社会の「柱」が誕生するや、「個」は疎んじられていきました。
そしてその後、弥生の勢力が日本列島を支配していくことになります。
そしていま「日本国家の柱」としてあるのが「靖国神社」というわけです。
今日のNHKの中継を観ていて、そこに「御柱の儀式」を感じました。
こうして徐々に、不気味な空気が作り出されていきます。
今回犠牲になられた二人に対しては、深く哀悼の意を表しながらも、
こうした空気を、当たり前のものとして受け止めているメディアと社会に、
とても怖いものを感じてしまいました。
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