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(回答先: Nobles Obligeについて --- マルハナバチさんへの返答 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 10 月 19 日 19:41:01)
勉強になります。しかし、、
>最後に知に偏するとやまいだれが付くという貴指摘は全く正しいと思いま
>す。健全な道徳観を基盤にもたない知、さらに言えば健全な体力の裏付け
>のない知もやまいだれの危険を常にはらみます。人間の脳も所詮は内臓な
>ど他の器官と同様、正常に機能する上で適正な血流に依存しています。全
>身が正常に機能していない状態で不十分な血流の下では、脳もろくなこと
>を考えないようになります。思想とは結局一個の肉体というフレームワー
>クの中に閉じこめられた精神の所産に過ぎません。「心技体」とか「健全
>な肉体に健全な精神が宿る」とか言うのは古今の真理です。Nobles
>Obligeの大前提が文武両道であることもこの真理の反映といえるでしょう。
>武道でなくても適正なスポーツを継続することはアプリオリに正しいこと
>です。
最初に話してくれた、マルハナバチさんの知にやまいだれの話も、また
戦争屋は嫌いださんの上記の話も全く納得で勉強になります。小生も、長
い人生で、高校時代にスポーツから離れた意外、ズーッと長い間スポーツ
に親しんできました。今でもスポーツジムに通って身体を鍛えている筋肉
おじさんです。
若い頃、大学でアジ演説などを聞く時、肉体から離れた空疎な言葉の羅
列にウンザリしたものです。
ただ、しかし、世の中には障害を持った人や、病気などで身体を自由に
動かせない人はたくさんいるわけで、そう言う肉体的な制限を持った人で
も地に足の着いた知の営為と言うものがあると考えたいと思っています。
要は、単なる肉体ではなく、怠惰な心で知に偏した時にやまいだれがつく
のではないかと考えています。
Nobles Obligeについては、難しいテーマですね。単に特権階級に宿る
だけのようにも思えません。幕末、高杉新作の奇兵隊で自己犠牲の精神で
戦ったのはほとんどが町人や商人、農民です。草莽の志士として命を掛け
て戦ったのも下級武士が多かったようです。当時のエスタブリッシュメン
トで活躍したのは勝海舟くらいで他は自己保身の腰抜けだったと感じてい
ます。
むしろ、特権を持っているものにはNobles Obligeが宿るのは難しいの
ではないのかと思うのですが、ロマン的な話として、あって欲しいとは思
いますが、、。