現在地 HOME > 掲示板 > 選挙1 > 750.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 70年代 投稿者 愚民党 日時 2003 年 11 月 24 日 01:59:11)
愚民党さん、
70年代ば左翼運動をして生きたということはすばらしいことだと思う。
なぜなら、それ以外の人たちが、権力の謀略や日共の幻想で骨抜きさされていた時代だからだ。
ほれから、マスコミが、真実ば伝えねぐなった。すべて権力発表さ依拠しはじめた時代。
おらは70年中期よりサラリーマン始めただども、左翼学生や労働者への暴虐無比の謀略が加えられていただあ。わが身さ加えられる思いばすいて歯軋りする毎日だった。
おらが思うに「内ゲバ」なんて数えるほどしかねぐ、ほとんどが権力の仕組んだ謀略だったんでねえの?
だっておらも友人さ左翼が一杯おっただども、「権力さ殺されないように」とつねにアドバイスば受けていた。帝銀事件の「平沢貞道を救う会」の森川哲郎さんも何度も権力さ謀殺されそうんなったとか言ってただ。
チヨダやサクラは諜報機関だったんだども、権力内の謀略襲撃部隊ってのは、今のケンコクギユウグン、その前の赤報隊(朝日銃撃殺人)さ通じることばにおわせるなあ。この流れは、特殊な訓練ば受けた連中にすいかでけっこねえ。権力がそれば知ってる。その前の69年70年ごろの自衛隊の青桐会(三島由紀夫ば実戦指導すたんだと)ってのがかなりくせものだったんだあ。
おらが覚えてるのは、1973年か74年ころに、藤原学(または杜学)っつう革マル派のメンバー計5人が車の中で殺された事件があっただなあ。こりゃあんまり残虐だったあ。車で移動すいとった5人さ路上で突然ヘルメット(確か青ではねぐ黒だったなあ)ばかぶった数名が5人の乗った車のドアば全部ハンマーかなんかで打ち壊すいてソトさ出られんようさすいては、そのときは中さ爆発性の高い爆発物なんかば放り込んでたんだ。ほんで車の中は火の海さなって5人ともあっというまに黒こげ死体さなった。遺体はみんな酸素ば求めて口ばぱかーんとあけてたそうだった。こっだらこつ、マスコミは単なる「内ゲバ」ってやってたども、おらはこりゃおかすい、ま全部の事件がおかすいんだども、と思っただ。
一体だれがこっだらむごいこつすんだべと思ってただが、こんときすぐには犯行声明が出なかったような気がするだが、しばらくすいて射精同解放派がおずおずと認めたんでねがったかな。
なんでこういうころし方が「左翼」ば名乗る者さできるだか?
敵対党派とはいえ「射精(社青)同解放派」が犯行声明ば出しとったけんど、彼らがこういう大掛かりな「殺し」ばできる物質的根拠も、労働者組織さ巣食って運動ばしている以上はでげね。これは70年の安保闘争(オラも参加すいた)でわかっただ。
ほんで革マル派は特殊な火器ば使用すいてることから自衛隊の陸幕二部別班がやったつってただな。おら、青桐会さつながる連中がかかわってたんだべな、今から考えれば思うだ。
それから警察が直接関与した事件(謀略)で証拠のあるのが、覚えてるのは二つほどある。それは山口県防府署の吉野明って巡査が中核派のメットばかぶって「もと」カクマルメンバーば誤爆すいたけんどもこれは吉野が被害者さ取り押さえられてばれた。それから水本君事件、あとは最近出てる「公安と内ゲバ」関係の本ば見ればわかる(おらもってねえけど大体推察がつくだ)。
ほんで、当時の情勢ば思い出すと、労働者もJRと全逓や日教組ば中心に殺された。学生は「暴力集団だから殺されていい」ってな雰囲気が作られた。これはマスコミのなせるわざといえばそれまでだろうども、実はそうじゃねえ。
これば許したのがほかならぬ日共と社民だ。社民は労働組合では戦闘的労働者さ「反ダラ幹闘争」でつきあげばくらう。すると、すぐさ権力さ泣き寝入り、つまり擦り寄って「実態暴露」して売る。日共もまったくおんなずいで、今のJR連合さそれは引き継がれてる打。
ほんでもって知識人はみんな沈黙。内ゲバさついて何か語るってことは、体制側にくっついた発現ばする立花隆以外は、「良心」があっても沈黙だあ。狙われっからね。誰さ、って言わなくても、誰だかはみーーーんな知ってんだ。
こうすいて世の中完全に権力(支配階級)の思うとおりさなったんだな。
世界権力もいいんだどもその手先がこの日本では実体とすいてどのような動きばすいたんだか、今後明らにされねばなんねな。
んだから、70年代80年代90年代ばこういう情勢の中で本当に権力と戦った人は、おら本物だと思う。