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2003.11.12
総選挙後の政局
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11月9日の第43回衆議院議員選挙の結果を一言で言えば、民主党が大幅に議席を伸ばし二大政党化への流れをつくることに成功したが、自公保絶対安定多数体制を突き崩すことまではできなかった、ということだろう。小泉体制は完全とは言えないが、国民の信任を得た。
よく言えば、有権者のバランス感覚が働いたということができよう。同時に、二大政党制への第一歩が踏み出された。二大政党制形成をめぐる自民党小泉・安倍体制vs民主党菅・小沢体制の戦いは痛み分けに終わり、決着は次の国政選挙に持ち越されることになった。。
与党三党の獲得議席数は275。内訳は自民237(マイナス10)、公明34(プラス3)、保守新4(マイナス5)。与党は12議席減らしたが、絶対安定多数の269を上回り、小泉内閣は一応の勝利を得た。小泉首相が特別国会の首班指名選挙で再選されることは確実である。小泉政権は少しだけ後退しながらも生き残ったのである。
他方、野党は、民主党が40議席増やして177を獲得した。大健闘である。だが、野党全体の伸びはわずかだった。共産党9(マイナス11)、社民党6(マイナス12)となり、野党三党合計では議席増17にすぎない。与野党の勢力関係の変化は劇的なものではなかった。しかし、野党内の構造変化には大きな意味がある。二大政党化が飛躍的に促進されたのである。
今回の総選挙を動かした最大の要素の一つは、民主党と自由党の合併だった。両党の合併により野党再編の動きが加速された。この動きが総選挙の結果に強い影響を及ぼした。
繰り返すが、民主党が40議席を増やしたのに対して、共産党は11、社会党は12、合計27議席を減らした。結果的には、民主党は40 議席増のうち23議席を共産・社民両党から奪ったという結果になった。与党から奪った議席数は17に過ぎなかった。与野党の力関係という視点から見れば大きく変わったとは言い難いのである。
だが、民主党についてだけ言えば、大きく成長した。政権担当能力を身につけたと言って過言ではあるまい。40の議席増により民主党の菅・小沢体制は党内の信任を得た。次の総選挙における政権交代に向けて新たなスタートを切ることになった。勢いをつけた菅・小沢体制は小泉政権への攻勢を強めることになる。
次の政局の焦点は04年夏の参院選だ。
来夏の参院選に向けて、当面、イラクへの自衛隊派遣問題がある。アクシデントが起これば小泉政権への風当たりは強まる。
2003年末から2004年通常国会の焦点の一つに道路公団民営化問題もある。小泉内閣は道路公団民営化法案を次期通常国会に上程し成立をはかろうとするが、参院選を前にして自民党内の「道路族」の抵抗が展開されるだろう。その上、総選挙のマニフェストで「道路公団の廃止・無料化」を打ち出した民主党が反対に決起する。参院選を控え、通常国会の大幅会期延長は困難だ。小泉内閣は厚い壁に直面する。継続審議になれば参院選の審判を受けることになる。地方で支持を受けるのは容易ではない。
年金問題もある。厚生労働省=公明党vs財務省=自民党の路線対立がうまく調整できなければ、民主党を巻き込む三つ巴の戦いが起こる。民主党は「マニフェスト」にもとづき小泉政権を厳しく衝き、対決姿勢を強める。
小泉内閣にとって通常国会は難問山積である。
総選挙後の政局の最大の焦点は04年夏の参院選だ。総選挙戦の最終盤で苦戦中の自民党候補の中には「選挙区は私に、比例区は公明党へ」と訴えた者がいた。自民党候補自らが政党名を書く比例区で「公明党を」と求めることは一種の自民党の自殺行為である。こんなことを繰り返せば、04年夏の参院選で自民党は手痛い結果を招くだろう。
【以上は四国新聞11月11日朝刊に「森田実の政局観測」として掲載された小論です】
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0639.HTML