現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件10 > 1212.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: <普通>の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー 【研究対象「史の会」の実像】 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 26 日 17:41:23)
6. 「史の会」のエスノグラフィー
6−1 史の会を支える3タイプの参加者たち
参与観察やインタビューを重ねるにつれ、史の会の参加者には大きく分けて3つの属性が見られた。史の会の大半(8割程度)は、サイレント保守市民、残りの少数派として市民運動推進派、戦中派(あわせて2割程度)があげられる。これらの意味は後に詳述するが、一口に「つくる会の運動」とは言っても参加者の意識、行動パターン、属性、プロフィールは多種多様である。本章では、史の会をモデルに参加者の意識の差異をインタビューやアンケートなどから拾うことによって「つくる会の内部世界像」を再構成したい。
6−1−1 サイレント保守市民
まず「サイレント保守市民」という言葉自体についてだが、これは完璧に筆者の造語である。じっと黙っている一般大衆を指して「サイレント・マジョリティ」なる言葉がたびたび使用されるが、史の会に参加する人々が日本国における本当に平均的な人たち(マジョリティ)であるかどうか、ということは判断しにくい。したがって、彼らがマジョリティかどうかではなく、サイレントであるという事実に注目してこのような言葉をつくった。
では、どういう点がサイレントな市民なのか。参与観察の結果、筆者が考えるサイレント保守市民の特徴を以下に示していこう。
本業>保守運動
史の会自体の活動を政治運動だと思いますか?というアンケートに対し、29名中、27人が「そうではない」と答えている。では、具体的にどのようなものかをたずねたところ、彼らからは「仲間との付き合い」「道楽」「ボランティアのようなもの」「学習活動のようなもの」「趣味のサークルのようなもの」という回答が得られた。このような回答から、大幅に時間や労力をさいてまで没頭する、というイメージの「政治運動」ではないという認識が伺える。むしろ、好きだから、気になるから参加する程度の関心であろう。
インタビューをする中でも、こうした意識は随所に見られた。T氏(44歳会社員)は次のように述べた。「(つくる会が最近「キリストの幕屋」という宗教団体の影響を非常に受けてきていることに対して)こういう運動っていうのは一般市民には無理ですよ。基本的にボランティアなんですから。逆に言うと、幕屋の人たちは信仰と結びついているから、すごく熱心。つくる会への入会だって家族ぐるみでやる。つくる会の教科書とか国民の歴史なんかを自腹で何十冊も買って、知人に配っている。今、つくる会の会員って8000人くらいに減ってきているんですよね。普通の人だったら年会費6000円払って、時折会誌「史」が届くくらいじゃ納得いかないですよ。わりにあわない。」
政治活動=市民運動そのものを明らかに否定する冷めた声も目立った。M氏(20)はインタビュー時に以下のように語っている。
「市民運動やってても、結局は政治の問題です、結果取れなかったら意味ないんですよね。なんか中途半端なことをやってる気がしてならない。教科書の内容が「正しい」から採択すべきだ、っていう自分たちの善人の理論だけをもとにして動かそうなんて甘いと思う。そういう死に物狂いの運動、それを支える理論、ハウツーみたいなものが左翼に負けちゃってるんですよね。僕はこういう問題で中途半端な抗議とかデモをするのは意味がないと思う。逆に言うと、普通の会社員や普通の主婦には市民運動はできないんじゃないか、と。市民運動とかボランティア活動が有効なのは、ごみ拾いしましょう、とかモラルを守りましょうとかっていう問題でしょう。やって自己満足を得られるかどうか、ですから。でも教科書採択っていう問題に関しては市民運動じゃ解決できない、政治の問題っていう気がしますね。」
またO氏(28)は、史の会の存在意義に関して次のように語る。
「初心者が最初に来ることのできる数少ない勉強会という意味で、存在価値はあると思う。それ以外の参加する理由は、単に雑談が楽しいから。強いて言えば、人脈作りかな。」
つくる会の基本姿勢として“アンチ「左翼(サヨク)」”がある。左翼の得意とする(と内部で思われている)市民運動を否定するのは、十分予想できた。ではどのような運動が実際に行われたのかといえば、講演会・シンポジウムへの出席、マスコミなどへの抗議文提出、自主的な勉強会開催などである。
つくる会の支持基盤層である「良識ある国民」は、同時に「生活者」でもある。平日は勤務しなければならない。なりふりかまわず、つくる会の運動を繰り広げるほどの情熱はない。なぜなら左翼のように、運動の根拠となる思想がはっきり定まっていないからである。国民の「常識」「リアリティ」こそがつくる会の運動の根拠だ。国民の常識からすれば、平日は働いて稼ぐべき時間である。また、たとえ休日でもデモに参加するのは極めて異例なことだろう。
このような点が、つくる会の「運動体」としてのジレンマだったのではないだろうか。右翼ではない、過激ではない、怖くない、一般の人でもわかりやすい、バランス感覚に富んだ「国民の」教科書作りの落とし穴は、運動をすすめる人たちの立場のあやふやさにあったのではないだろうか。普通の国民は「生活」に忙しいのである。
過激な運動を敬遠する
史の会では、よく「北朝鮮拉致問題」に関する署名活動が行われる。「この問題を早く解決するためにはより多くの方の署名が必要です。お願いします。」の声とともに、署名用紙がまわされる。これは、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(略称「救う会全国協議会」)の活動の一環である。史の会参加者は、それほど躊躇することなく署名をする。実際に、署名をする人たちはどのようなことを考えているのかを聞いてみた。すると幹部のT氏(44)意外なコメントを述べた。
「あれはやりすぎだと思う。ここ(史の会)に来れば、署名が必ずもらえると思ってやっているんだろうけれど、、。断りにくいですよね、あの雰囲気だと。むしろ私は、署名用紙を机の上に置いておいて、趣旨に賛同する人だけ自由に署名してください、っていう形のほうが自然だと思う。」
また、つくる会自体の変容(方針・支持者層)を憂慮する声もあった。発足当初に比べ、宗教色が強まってきたというのである。前述した「キリストの幕屋」信者の割合が増えているのが目に見えてわかるというのだ。なぜわかるのか、と問うたところT氏(44歳男性)とH氏(34歳女性)が頭の上で指をくるくる回した。
「幕屋の女性の信者さんは皆ほとんど同じ髪型をしているからわかります。長くのば
した髪を三つ編みにして上にあげているんです。だからすぐ分かる。」
「戦争論2のシンポジウム(2002年2月13日)でも、幕屋の人多かったですね。平
成10年のときのシンポジウムとは、参加者が明らかに違うって感じです。最初はも
っといろんな人がいて明るーい感じだったんだけどな。」(H氏)
「宗教が悪いといっているんじゃありません。ただ宗教色が強まると、ますますつく
る会が一般の人たちから敬遠されてしまうんじゃないかと思って。史の会は意図的に
幕屋の人たちは誘っていないんです。神奈川支部でいただく名簿でも家族で入ってい
るようなところは大抵そう(幕屋関係の人)ですから。」(T氏)
話を聞く限りでは、採択戦が終わったあとはどんどんマニアックな方向になってきた、というのが二人の共通見解であるようだ。
「つくる会のスタート時は、これから新しい風が吹く、っていう感じで皆ワクワクしていたのね。ゴー宣でも華々しく描かれていたし、特に若い人たちが興味をもってきてくれた。でも、内部での分裂が多すぎた。学者中心だと仕方ないのかもしれません。採択が終わったあとは、会員もだいぶやめてしまったし。今、史の会でも濃いメンバーばかりが揃ってしまってリベラルな意見が言いにくいんですよ。」(T氏)
最後には、筆者に来月(2002年3月)の「史の会」にはぜひ出席をするようにとすすめた。「あなたみたいな普通の人が最近少ないんです。」
「天皇」に対する特別な感情を持たない
つくる会発足当初もよく言われたことだが、「天皇ぬきの新保守」が大きな特徴である。
つくる会を支えるサイレント保守市民たちはほとんどが戦後生まれである。純粋な皇室崇拝はほとんど見られない。むしろ“伝統的な保守”のやり方に違和感を感じたからこそ、つくる会の活動をしている、という風に答える人もいた。
天皇制に関しては、M氏(20)が客観的に次のように語ってくれた。つくる会の内部分裂の原因はどこにあるか、を彼なりに分析している。
「皇室をどう扱うかっていうところですね。僕、大学のOBに言ったんですけどね、
小林よしのりの「戦争論」がバカ売れしたとき大喜びしてるOBに。「戦争論」は
戦争についてのみ語ったものだって。皇室論ぬきで保守思想をつくると、大変な混乱
になりますよ、変形保守、なんとなく保守が出てくるって。皇室についてきちんと語
っておかないと保守は保守自体のアイデンティティが保てなくなるって。案の定そう
なってる。とりあえず国益最優先、という形で広がってるでしょ?若者の支持を集め
られたのは成功だったけど。皇室論は保守派の踏み絵ですよ。別に僕も天皇100%!
っていう風に考えているわけじゃないんです。ただ、精神的なバックボーンとしても
う少し表現されてもいいかな、と思います。」
彼自身の皇室観はそれほど重点的にのべられていないが、筆者もM氏の分析にうなずけ
る部分があった。史の会で知り合った方たちの「皇室観」は皇太子夫妻の御子様誕生を
素直に祝う、というレベルにすぎない。左翼の皇室に対するアレルギー反応を「ばかだ
なあ」とWEBの掲示板で評する場面がみられたくらいだ。
さらに冷めた意見もある。O氏(28)は、保守活動に興味をもったきっかけとともにこう語る。
「学生時代は、学校が嫌い、教師が嫌いだったので、その流れから反日教組でした。で
も、反天皇に反対するけど、皇室が好きだったわけではない。ただの反抗期だから。」
インタビューや参与観察を通じて感じたのは、サイレント保守市民は戦争や皇室観を「理性」で語る、という点である。巻末資料のアンケート11〜15をご覧いただきたい。戦争体験者が29名中2名、平均年齢が39.8歳という集団において、戦争がどのように語られたのかが良くわかる。想定していた答えとして「戦争は悪ではない!」がある。彼らの批判対象である「自虐史観」教科書は「戦争は悪だ」と決め付けるので、そのことへのアンチとして上記のような反応が出てくるであろうと思っていた。しかし実態は予想とは違ったところに在った。戦争に対するアレルギー的な拒否反応はさすがに見られなかったが、感情的な書き方をする人はいなかった。「始まってしまえばやむを得ないが、しないに越したことはないもの」「国益の対立としての一形態」「過去のことなので知らない」
皇室観と戦争観をひとくくりに考察するのは、乱暴である。しかしひとつの傾向は明らかになった。彼ら(サイレント保守市民)は、主に戦争責任と結びつけて皇室を糾弾する左翼の理論に対し、真っ向から切りかえしをすることはほとんどない。それは「天皇万歳!」という伝統的な保守の皇室観にたいする違和感だともいえよう。父や母から、本から間接的に伝えられてきた個々の皇室観は、あくまでも「○○すべき」というものであって、自らの存在を賭けて戦うべき対象ではなくなっているのではないか。
T氏(44)はアンケートでこう答えていた。
「話しにくい人は、年齢・性別・階層等を問わず、狂信的な人・教条主義的な人・古典
派右翼のような人、オタク的な人、等は、苦手としております。」
Y氏(35)もこのように答える。
「あまり意識していませんが、民族派一辺倒や大日本帝国にノスタルジーを強く感じている人には、コミュニケーションに限界を感じます。」
経済的に余裕がある
巻末資料のアンケート19を参照されたい。史の会に参加できる人たちは、所得は高い方に属するのではないか、と予想した。日本の教育問題や政治問題に関心があり、月に一度でもこのような学習会に来ようとする人たちは、ある程度金銭的にゆとりがある人たちだと考えた。そこで、今の日本の経済状態をどう思うかを聞いてみた。(2001年6月30日時点)
さすがに「よい」という回答は得られなかったが、ふつう、という回答が半数(14名)いたのは驚いた。このことについて、T氏(44)にあらためて聞いてみた。
「普通の市民、とは言いますけど、やっぱり富裕層が多いですよね。どちらかというと企業を経営する側のほうが多い。左翼は“労組で団結して行動、賃金アップ”なんかを訴える方だから、右に比べて所得は少ないのかもしれません。」
アンケートを見ていても、日本の景気や経済について不安視する声というより「モラル
の低下」を嘆く声のほうが大きかった。
6−1−2 市民運動推進派
サイレント保守市民からは「積極的に活動している!」と思わている少数派を指す。史の会以外に政治活動を行っている人たちのことであり、具体的には北朝鮮拉致問題、夫婦別姓問題などがあげられよう。
属性は、サイレント保守市民と変わらない。ただ、「自分の手足を動かして運動する」ことに大きな意義を見出す人たちなので、フットワークは軽い。また保守系の人たちとのつながりが深いため、史の会に講師の招聘するのも彼らの役割である。
彼らの問題意識は運動をすることによって「手ごたえ」を感じ、結果に結びつけることにある。史の会やシンポジウムに参加して勉強するだけでは何も変わらないことを実感している人たちだといえよう。それゆえ、つくる会本部の運動に対する不信感は拭いがたく存在しており、以下のようなコメントをしている。
K氏(23)
「本当に採択をする気が有ったのか疑問に感じました。本気でやるなら市民運動と訴訟活動そして議員に対するロビー活動をやらないと駄目です。本部はその辺をほとんどやってませんね。これでは4年後も無理でしょうね。」
「やはり、一般市民に受けるような運動をやらないといけませんね。具体的に言うと教
育や福祉や災害対策や町づくりそして経済の問題さらに環境問題です。もう、天皇陛下万歳と言っているだけでは駄目ですね。」
Y氏(35)
「私はつくる会の会員ではありませんし、なりたいとも思いません。本気で採択戦に勝つつもりならば、もっと地道に、市民の目線で市民運動を推進するべきではなかったか、と思います。」
「壇上から人々を見下ろすのではなく、市民と同じ目線で運動を進めて行く努力をするべきであります。因みに小生は、一昨年の大晦日を以って保守派の運動を脱退し、昨年より自由革新派を立ち上げました。民族派・保守派が最後に守るべきは「文化」である、という姿勢に対し、自由革新派のそれは「個人の自由」という違いがあります。」
両氏には別々に質問をしたにもかかわらず非常に似通った答えが出てきた。
「市民にうける市民運動」を進めていくべき
旧来の保守主義(天皇万歳?)には限界がある
当初、筆者は「運動推進派」ということで2.に関しては伝統的な保守主義万歳の方たちだと思い込んでいた。しかし、抗議の仕方やとりあげるべき問題を見ると、むしろ左翼的な手法の踏襲なのではないかとも考えられる。一部の保守言論人や経営者側からのはたらきかけではなく、「一市民の目線で」運動をすることが必要、と述べている。彼らの言葉の中身は相対的に見て「右寄り」であると感じることが多かった。しかし、運動手法や運動をすべき主体、働きかける先には、「一般市民」が存在する。
サイレント保守市民と一線を画するグループではあるが、根っこの部分は同じではないかと考えられるのである。
K氏(23)が保守運動に傾倒していったのは、小林よしのり氏『ゴーマニズム宣言』がきっかけだということから、それほど古いことではないと分かる。また、史の会以外の政治活動を問うたところ、以下のような答えが返ってきた。
「昨年はY氏の選挙の手伝いをやりました。他に北朝鮮の拉致問題・藤沢の行政改革・教育問題など。昔はボランティアで赤い羽根募金とかやっていましたが、なんだか「結果」がしっかりと感じられなかったんでもうやっていません。地元藤沢で拉致問題について運動したり、地元で変な先生がいたら声をかけたり、とかそういうことのほうがやりがいがあります。」
“運動”そのものに情熱を感じるタイプであって、言葉の上では左翼・サヨクを批判するものの、それは彼自身に根付いた「保守思想」がそうさせているわけではないと読み取ることができた。
6−1−3 戦中派
戦中派とは、戦争を体験した世代を指す。アンケート実施日には2人出席。前述の若い層とは異なり、戦中戦後を通していわゆる伝統的な保守思想を持ち続けている方々である。数としては少数だが、毎回きっちりと出席されるため存在感はある。
戦争を実体験し、戦後を生き抜いてこられた方の言葉は重く、他の若い参加者に比べて発言にも「ゆるぎなさ」がある。
その「ゆるぎなさ」が顕著に現れるのはまず皇室観である。C氏(76)はつくる会の「新しい歴史教科書」について、おおかた支持しつつも、記述が不足しているところとして次のように述べている。(手紙より抜粋)
「世界中から畏敬と羨望をもって見られている万世一系、百二十六代、二千六百六十一年、連綿と続いている皇室を中心にして歩み、発展してきた日本の皇室、世界に誇る歴史がスッポリと抜け落ちている。」
また、インタビューにおいては、自身の保守思想の高まりについて次のように語った。
「仕事柄、海外に駐在したが、ブラジルの松柏学園での日系への教育に感銘をうけたことがひとつ。国旗や天皇皇后の写真が飾ってある。教育勅語を教育の中心においてあって、「日本人精神」がちゃんと受け継がれているな、と思った。
もうひとつは、台湾に仕事で訪れたときの「古きよき日本」を知る人々とのふれあい。鄭春河氏に「軍歌も忘れてしまったのか?」と宴会で言われてショックだったこと。なぜ日本は台湾を見捨ててしまったのか?とまで言われたこと。中国による統治はひどいと聞いている。」
戦中派の人たちに顕著なのは、自身の「戦争体験」が強烈に思想を方向付けているということである。C氏だけでなく他の戦中派の方と話していてもそうだが、メインテーマは「つくる会」の運動や教科書の内容ではなく、もっと大きな世の中の風潮(たいてい否定的に語られる)であることが多い。したがって、C氏が教育勅語こそが規範だと主張するのも納得がゆく。
「あるべき日本人像」は、戦前・戦中に存在した秩序ある国民であり、その秩序を形成するのは、絶対的な皇室であり教育勅語であったと。
筆者が本研究で目指すのは、そうした思想の是非ではない。ただ、戦中派の方々の語る言葉には迷いがない。他のタイプの方々よりもブレがない。このことは、次項で述べる「各タイプ間の温度差」につながっていく重要なキーポイントである。自らの立つ位置、思想、日本という国について“自分の言葉で語る”ことに後ろめたさや迷いを持たなくてよいということは、若い支持層の多い「つくる会」において孤立をも意味することがある。
6−2 各タイプ間の温度差
この項では、前項で見てきた3タイプの人たちの、「つくる会」への関わり方の温度差を考察してみたい。質的データによる場合分けになる。この手法には限界はあるだろうが、なるべくリアルに描き出したいと考え、インタビュー、アンケート、手紙などを用いて独自の考察をこころみた。
6−2−1新しい「保守」と昔ながらの「保守」
参与観察をしていて、まず気になったのが10代・20代の若者と戦中派の方たちに微妙な距離感があるということである。史の会自体が講義形式ということもあり、歓談する場所もないのだが、開始前や休憩時間、さらに終了後の飲み会にあっても、彼らが相互にうちとけ話をするシーンはあまり見られなかった。アンケートやインタビューでは、このようなコメントが見られた。
「(戦中派の人たちとは)見てる視点が違うっていうか、価値がかみ合わない部分も若干あったりします。実際にどんなことが昔に起きたのか、お話を聞くのは好きですけど議論はしないですね。ギャップがあるっていうか。(20歳男性)」
「やはり同年代の人の方が話しやすいですね。お年寄りの話も良いですがやはり、話にくいところが有りますね。(23歳男性)」
「ご老人方は運動センスがないので話しにくいです。他は殆どOK。(28歳男性)」
では戦中派の方はどう考えているのかといえば、飲み会に参加しない理由として、
「最初のうちは出てたんですがね、もう今は出ない、意味がない。あそこで話すことがあまり意味があるようにはね、思えないですよ。若い人とはあまり話しません。(76歳男性)」
この双方ともにみられる意外な「交流の断絶」とは何に起因するものだろうか。大きく分けて原因は2つあるのではないかと思う。戦争体験の有無と皇室観の違いである。
a戦争体験の有無
現在の20代とは、「団塊の世代」を親に持つ世代である。「戦争を知らない子供たち」という歌は親たちが若い頃の流行歌である。生まれたときにはすでに高度経済成長も終わりを告げようとしていた。
当然、太平洋戦争については教室の中で教わる。平和学習として沖縄のひめゆりの塔を訪れたり、広島の原爆資料館を訪れたり、全国でそうした教育が盛んに行われている。筆者も“戦争は再び繰り返してはならぬ最悪の惨禍だ”と教えられてきた。
つくる会は、現代人が先の戦争を、今の感覚で善・悪と決め付けるのはおかしい、と主張する。日本が戦争に突入し、泥沼状態から抜け出せなくなったのも、そのときの「時代背景」があったからこそで、それを一概に「だめだ」と判じることは現代人の傲慢である、と。
しかし、その論理で行くならば、教室でいわゆる「自虐史観」の近現代史を教わった20代若者は何を根拠に歴史を判断しなおせばよいのだろう?日本という平和主義の国に生まれ、育ってきた「常識」なり「リアリティ」だけでは、つくる会の主張する「バランスのとれた歴史」を構築するのは至難の業である。
つくる会の若者は、自らの体験していない戦争を、藤岡氏の著作や「つくる会」のシンポジウムで「理論化」していく中でやっと安定を見出すのである。こうした一連の過程を踏まえてみれば、なるほど、つくる会の若者は「勉強好き」「歴史が好き」「本を読むのが好き」な人が多いのには納得がいく。つくる会の活動が「シンポジウム」「勉強会」が中心となっていることにもひととおりの説明がつくというものである。戦争時日本がおかれていた環境をなるべく冷静に考えようという姿勢のもとで、若者が「現代の視点」で歴史を見ようとしているに過ぎないのである。そこには努力があり、想像があり、頭のなかで作り上げた「戦時中の日本像」が存在する。
それが、完璧に戦中派の実体験と重なるだろうか。答えは否、であろう。話のかみ合わない両者は、お互いに疎遠になってしまう。血のつながった祖父母−孫という形で戦争体験について話し合うパターンは数多く存在するが、まったくの他人としてだと非常に難しい。史の会の参与観察からもそうした「ぎこちなさ」が読み取れた。戦争を体験している、していない、で圧倒的な差が生じる。戦中派は「あのころ」に回帰して話をすすめる。20代の若者はそのことよりも「いま」のつくる会の運動論に興味がある。悲しいズレがたしかに存在する。
O氏(28)はメールマガジンで以下のように発言している。
「日本の近代の戦争における英雄が英雄視されない理由は二つあります。
・ひとつは左翼が「侵略戦争だ」「南京大虐殺だ」と騒いできたこと。
・もうひとつは、戦中派と呼ばれる人たちがまだ生きていたこと。
前者は仕方がないのですが、後者については時間の問題です。
非常に失礼な言い方ですが、人は死ななければ評価されない。ある世代は、その世代が亡くならねば評価されないのです。戦中派が亡くなって、抽象化されて、初めて人は戦争に正しい評価を下すことができるのです。(註:戦中派の先輩方々に早く死ねと言ってるわけではありません。念のため)
ゆえに、我々の運動と関係なく緩やかに改善するので、捏造記事や偏向行政などに対して場当たり的な活動のみしておけばよいでしょう。」
こうしたコメントは、身体感覚から遠く離れた「太平洋戦争」という観点によってしか生まれ得ないものであろう。あくまで、客観的な理論である。保守運動の戦略の一環としての「戦争」である。
戦争中の話を聞いて「同調」するが、戦後生まれの若者が完璧に「同化」できないことによる両者のズレが、「つくる会」における微妙な温度差をつくりだしているのではないか。
b天皇への言及
つくる会の中で大きく意見が割れるとすれば「皇室観」「親米・反米」論であろう。日本会議などに所属する、典型的な戦中派は皇室に関して純粋に尊ぶべきだと考えている。
しかし、戦後生まれは違う。よっぽど特殊な環境にいない限り、皇室とは「日本の象徴」であり、テレビの中のロイヤルファミリーでしかない。無条件に崇拝する、という対象ではないのが現状だろう。サイレント保守市民の項Bで考察したとおり、戦中派を除いてほとんどの参加者は、伝統的な皇室観に違和感を覚えている。
T氏(44)の意見では、つくる会発足当初の大月隆寛氏の考え方が丁度いいバランスを保っているらしい。雑誌『正論』97年4月号から彼の皇室観を抜粋してみよう。
「「天皇制」を守る言説が、これまでならともかくこれから先なお信頼され得る「保守」のアリバイになるとは僕にはとても思えない。はばかりながら昭和天皇に戦争責任はあったと僕は思っているし、と同時に、しかしその責任のある部分は戦後五十年あまり経過してきた「象徴天皇制」の国民的経験の中で償われた面もあるのでは、とも思っている。(中略)少なくとも伝統的な「保守」のある部分にあると聞く「天皇制」と「皇室」に対する抜きがたい忠誠心のようなものは、どう誠実に探ってみても僕個人の中にはないし、これから先も宿りようがないと思う。どんなに糾弾されてもこの感覚だけは譲りようがない。「天皇制」と「くに」との間の必然が、もうかつての日本人のように身にしみようがなくなっているのだ。」
「天皇制」と「くに」との間の必然(あたりまえの関係)が身にしみない、という言葉が示すとおり、頭で天皇制を考えていかなければならないのがサイレント保守市民の時代なのである。M氏(20)のコメントが象徴的にあらわしていると思う。
「こういうと、すごく「極右」って思われるかもしれないけど、僕の理想の日本人像は「「皇室を中心とした「国民」をどうつくっていくか」というのを考えられる人間。」すっごく説明しづらいんですよ、この問題。「八紘一宇」っていうとこれも言葉が勘違いされてしまうことがあるけど、僕が言いたいのは、世界平和のために日本人が日本人としてどうしていくか、っていうのを考えられる国民像が理想ですね。ただ勘違いしてほしくないのは、それは僕の理想の日本人像であって、それを全国民にやらせるというのとは違う。それは全体主義ですから。」
カッコ「 」を多用して話してくれた。日本国の象徴、という概念的な存在である天皇に関しては、戦中派・戦後派とで意識がすっぱりと分かれる点であろう。そして、つくる会では「街宣車右翼」「総会屋右翼」は嫌われている。狂信的でカッコ悪いからだ。国民の良識、リアリズムにもとづいた歴史認識を謳う団体は、「天皇制」で揺れている。「天皇」に関する「国民の常識・共通理解」が未だ醸成されていないからだ。
6−2−2 運動支持派と運動推進派
a市民運動へのまなざし
年齢層ではなく、「つくる会」への関与の程度により各タイプの温度差を見ることも可能だ。単純化して言えば、「市民運動」を支持するサイレント保守市民と、実際に推進する運動推進派との間の溝である。小林よしのり氏は『ゴーマニズム宣言』でたびたび「良き観客」という言葉を使用する。市民運動をすること自体が目的化してはならぬ、と言う。そういう意味では、史の会のサイレント保守市民は、つくる会のシンポで学び、好意的な目で支持する「良き観客」なのである。
しかし、観客だけでは前に進まぬ、ということで積極的に運動を繰り広げる人たちも存在する。これが「運動推進派」である。採択の結果が思わしくなかったことなどを受けて、「つくる会」では、どんどん「運動支持派」層が脱会している。「運動推進派」の担い手が宗教団体「キリストの幕屋」の信者たちに移り変わりつつある。
教科書採択、というフィールドではもはや限界がある、と見切った「運動支持派」は興味の矛先を「夫婦別姓問題」にシフトしている。
O氏(28)はアンケートにこのようにコメントしている。
「私にとって「歴史」はすでにメインテーマではありません。これからは夫婦別姓とフェミニズムです。(2002年1月29日)」
T氏(44)も次のように述べる。
「保守系は「活動家」が少なく、ほとんどは一般人です。「つくる会」の会員も、(自分も含め)大部分は心情的な支援者で、「活動まではちょっと・・」という方がほとんどでしょう。そのような方を上手く組織化して、抵抗感の少ない形で運動に参加してもらうように誘導していくことが、今後必要と思います。(2002年2月20日)」
史の会で拉致問題の署名活動をされるのは、ちょっと遠慮してほしい、と言っていたT氏である。サイレント保守市民の意識を代弁しているといってもよいだろうと思う。「史の会では自由な議論ができると思っていたのに、最近ちょっと様子が変わってきた。何々でなければならない、という人が増えてきた」ともこぼしていた。
b運動推進派のジレンマ
逆に、運動推進派から見れば、採択時に1万人以上の会員数を持ちながら「本部」が内部分裂を繰り返すばかりで具体的な運動の支持を出せなかったことが口惜しくてならないのである。「良き観客」役から一歩はずれて声を出してみた彼らにとって、会員の潜在力を利用できなかった「失敗」はつくる会への失望となっていった。
K氏(23)は以下のように憤懣をぶつけている。
「つくる会本部は、史の会の掲示板も快く思ってないです。このまえ総会で千葉の支部長と一緒に出て、「(本部のやりかたが)おかしいじゃないか」ということを言ったらヤジを飛ばされましたよ。なんかギクシャクしてるんです。それで、もう知らない!ということで退席しましたよ。結局数字(採択率)がとれなきゃ駄目なんです、学者さんは動いてくれないし。」
彼らのジレンマは本部に対してだけあるのではなく、当然「運動支持派」にもあるといえよう。座して成り行きを見ているだけの良き観客に少なからず不満はあっただろう。しかし今回の調査ではそうした意識は顕在化しなかった。本部に対する「運動の未熟さ」への不満が大きかったようである。
6−3 「つくる会」本部への批判(運動論・組織論)
サイレント保守市民を中心として、採択戦後にいっきに吹き荒れたつくる会「運動論」。史の会の掲示板でも喧々囂々の議論がなされた。
T氏(44)は「良き観客」増員を成しえなかったことに不満を持つ。
「共産党をはじめとする左翼は運動のノウハウの蓄積が豊富で、一般向け宣伝も非常に
巧みであるように思います。その反面、保守の側は、運動のノウハウがほとんど無く、また「一般大衆」への訴えかけ方がひどく下手ですね。
「自分達は正しいのだからそれでよい。」という独善性があると感じます。世間の大
部分は無関心層ですから、その辺に効果的に訴えかける方策が絶対に必要でしょう。(例えば、「カッコよさ」のイメージつくりなど。当初の「つくる会」には、そういった要素がすこしはあったようにも思うのですけれど・・。)」
M氏(20)は運動推進派のコーディネーター不在を客観的に述べる。
「運動として失敗でしょう。技術・戦略論が足りないし。方針をきめるコーディネーター役がいなかったっていうことが敗因でしょうね。大衆運動をするのか、採択率を着実に取るのか、どっちを最優先したかったのかをはっきりさせなかったのがまずかったんじゃないですか。マスコミとかサヨクばっかり批判してるけど、お門違いじゃないかって。会社の経営であれば失敗してると思います。」
一番手厳しいのは自称市民運動評論家のO氏(28)である。マスコミ批判ばかりに終始して現実的な手を打てなかったことに対する不満、運動自体が不明瞭になってしまう不安をコメントしている。
「己の無為を棚に上げて、マスコミが悪いと嘆くのは簡単ですが、これでは何一つ先には進みません。同じくだを巻くなら、
「マスコミの論調を変えることができれば、採択できたはずだ」
「そのためにはどうしよう」
と、これなら少しは前に進むんじゃないですか? マスコミに責任転嫁していては10年経っても20年経っても何も変わりませんよ。(中略)挙句の果てには「次期採択までの4年間は長すぎる。会員を保てない。3年後採択の小学校国語教科書を新たな運動に加えよう(西尾名誉会長)」と言い始める始末。これでは、手段であるはずのつくる会が、目的に変わっていると言わざるを得ません。」
正しいはずのわれわれが採択戦で負けてしまった、それは運動そのものに無理があった、有効な戦略を立てられなかったせいだ、とする「運動論・組織論」の類が2001年内はかなり盛んに言われ続けた。2002年3月現在では、小林よしのり氏の「つくる会」脱会で、さらに幹部の考え方の相違、会の枠組み自体を疑問視する声が上がってきている。
良き観客は、瞬時に「手ごわい評論家」にもなりうる。
6−4 「弱気な日本」を嘆く声−「史の会」の最大公約数
以上見てきたように、つくる会にはさまざまなタイプの参加者が存在する。しかしそんな彼らの共通する望みは「弱気な日本」からの脱却、自国を誇れるようになる、ということだ。
巻末資料のエスノグラフィーで挙げた「否定的につかわれる語」をまずは参照されたい。これらの言葉を皮肉ったり、もじったりするときに必ずといっていいほど笑いが起こる。「笑い」は史の会参加者たちの価値観をそのまま表すものだ。
2001年9月24日、現代コリア研究所の佐藤氏の講演では、日本の政治家や日本人がいかに外圧に弱いか、謝罪外交について述べていたときの笑いが象徴的であった。
宮沢さんが8回謝ったとき〜 (1992年宮沢喜一元首相が「従軍慰安婦」問題について韓国政府に公式謝罪したことを指して。)
「親切」な日本人が韓国人女性の請求訴訟を支援
韓国が(朴暗殺未遂事件後)「朝鮮総連を取り締まれ」と言ってきたとき、日本政府は「憲法で人権が保障されているのでできない」と答えた
史の会の参加者たちを観察していて強く感じたのは、「価値観を共有している」ことを示すためにある特定のことばが繰り返し用いられているということだ。「朝日」「北朝鮮」「サヨク」という言葉は、非常に心地よいフレーズとなって参加者の耳に響いている。朝日新聞にもさまざまな記者がいるだろうし、記事も同じ論調で揃っていることはありえないが、史の会では「朝日」とひとくくりにしてしまうことにより、「アンチ朝日」としての共同体が創造される現象が起きている。「朝日」を批判すれば、隣に座っている年齢も社会的立場も異なる人とも、とりあえず話のキッカケがつかめる、そんな風に感じ取れた。
史の会において、「異質な言葉」を話す人は存在しない。講師と参加者は、拠って立つ言葉(世界)がほぼ同じであることを前提としているため、緊張した議論というのはほとんど展開されることがない。
逆に言えば「弱気な日本」を笑うことくらいしか、会員全員に共通しているコードはないのではないか。つくる会としてのまとまりは、まず幹部たちが破壊しているといっていよい。良き観客は、つくる会自体のどこまでを自分たちのものとして吸収し、笑えばよいのかが判断できないのである。史の会で見られた、参加者たちの多様性に関しては、巻末のエスノグラフィーをご覧いただきたい。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2001/ueno.htm