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(回答先: <普通>の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー 【研究対象・研究方法】 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 26 日 17:03:52)
研究対象「史の会」の実像
5−1 沿革
発足から現在にいたるまでの経緯を史の会幹事(事務方面担当)のT氏にお聞きした。メールでのお返事をそのまま掲載する。
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平成10年9月20日の「つくる会」の新宿でのシンポジウム(「戦争論」シンポ)があり、そのシンポの後に、「関東在住の会員の各県別の会合」(支部設立の準備会)があったんですね。その場で近隣在住の会員が、お互い自己紹介したのが、そもそもの始まりです。
その後、Hさん(発起人)が、いまの「白山地区センター」を予約、9/20のメンバーにTELで参加を案内して、10月に「史の会」が発足しました。
そのときの参加メンバーは、私・Hさん・K君・それと男性2名・女性1名の合計6名でした。その後、毎月、上記のうちの4〜5名のメンバーで会合を持っていましたが、内容といえば、K君の薀蓄等を中心に、皆がてんでに思いのたけをぶちまけ、時間が足りなくなって、近所のファミレスでさらにまくしたてる、といったものでした。
まとまった内容などなく、ただ話すだけ、の場でした。(とにかく皆、自分の意見に共鳴してもらえる場に飢えていたのだな、と今になって思います。)
「史の会」に転機が訪れたのは、翌平成11年の2月に、「つくる会」神奈川県支部
が発足してからです。発足前からの幹事だったK君が支部長に働きかけたことで、「史の会」の活動が、支部活動の一環として取り上げられ、その結果、私が(ふとしたことがきっかけで、支部の幹事の一人にされてしまっていた。)秘密資料の「会員名簿」を借り受けそれをもとに近隣在住の会員の方にTELにてご案内をし、その結果、同年5月に初めて公式に「史の会」が開催されました。その後、紆余曲折をへながら、現在までほぼ毎月実施されています。
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この文章から汲み取れるのは、史の会が自然発生的にできた組織であり、「つくる会」神奈川県支部の有志団体と名乗りだしたのは発足から4ヵ月後のことであったということである。したがって、「つくる会」を名乗ってはいるものの「半独立」のスタンスを崩すことなく現在も継続している団体である、ということがわかる。
5−2 組織構成
史の会はどのような人々によって構成され、どういったシステムで動いているのかを述べる。まずは、前述のT氏に幹部の構成・会費のシステムについてお聞きした。
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「史の会」は、自然発生的な集まりで(「つくる会」神奈川県支部の活動の一環と
なっているが半独立的でもあります。)また極めて緩やかな結合体ですので、組織というほどのものはありません。ですから、幹部の構成もまことに曖昧なのですが、
・会長・・・発起人であるHさんでしょうか。(よく「会のオーナー」と呼んでいます。) でも、決まっていないのが実態と思います。
・幹部構成・・・一応中心となっているのが、私と、Hさんと、K君でしょうか。
私が事務局として、もっぱら事務方の仕事をしています。メンバーのなかで年長の社会人なので、マイナーな事務処理能力が買われたのでしょう。K君は、渉外担当といった役どころです。彼の保守言論界の人脈は幅広いものがあり、いままでお招きした多彩な先生方は、ほとんど彼のコネクションによるものです。
・会費について・・・講師の先生の謝礼・通信費等を考えると、500円の会費で、参加者25人位が損益分岐ラインと思います。ただ、先生によって謝礼の額が違いますので、少々苦しい(笑)。
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ここで、少々補足をしたい。史の会は、毎月1回白山地区センターという公民館で開催される。13:00〜16:30くらいの時間帯が設定される。毎回講師の先生にさまざまなテーマで講演してもらい、質疑応答や討論会などが適宜行われる。史の会は、会員という形で参加者を拘束していない、また毎回の活動に参加する・しないは自由である。ゆるやかな組織形態であるといえよう。
T氏は司会進行役・開催案内の通知などを引き受けており、事務方のリーダーである。
では次に、史の会参加者の構成を確認しておく。
【年齢別】
時系列により多少差は出てくるものの、毎回の出席者数は20人前後である。調査期間は99年5月〜2001年9月である。
年月 20代 30〜40代 50代〜60代 70代〜 総数
1999年5月 2 10 4 4 20
1999年6月 1 5 3 5 19
1999年7月 2 5 4 2 13
1999年8月 2 8 4 3 17
1999年9月 2 8 7 2 19
1999年10月 2 10 6 3 21
1999年11月 2 7 5 3 17
1999年12月 3 6 4 2 15
2000年 1月 5 9 9 3 26
2000年 2月 0
2000年 3月 3 5 6 1 15
2000年 4月 3 8 4 2 17
2000年 5月 7 8 10 4 29
2000年 6月 5 6 2 2 15
2000年 7月 4 9 5 1 19
2000年 8月 4 6 2 3 15
2000年 9月 3 5 5 2 15
2000年10月 4 7 6 3 20
2000年11月 6 6 3 2 17
2000年12月 3 7 6 2 18
2001年 1月 4 7 5 3 19
2001年 2月 0
2001年 3月 5 8 3 3 19
2001年 4月 5 5 5 5 20
2001年 5月 11 11 4 4 30
2001年 6月 13 11 6 3 33
2001年 7月 10 10 3 2 25
2001年 8月 9 7 2 1 19
2001年 9月 6 12 5 6 29
平均的な年齢別参加者割合は次のとおりである。20代…23.3%、30代〜40代…39.0%、50代〜60代…23.7%、70代以上…14%である。メインは30代〜40代ではあるが、当初想定していた以上に20代の参加者が多い。こうした保守思想の集会に出席する人々は、やはり年齢的にも高いかと思っていたが、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』の影響であろうか、特に2001年になってからの20代の参加が多い。また、教科書採択戦が一番盛り上がった2001年5,6,7月は、出席者数が伸びている。(小泉純一郎首相による靖国神社公式参拝問題も影響しているものと思われる。)
【性別】
年月 参加者数 男性 女性
1998年10月 6 4 2
1998年11月 4 2 2
1998年12月 4 2 2
1999年1月 4 2 2
1999年2月 4 2 2
1999年3月 4 2 2
1999年4月 4 2 2
1999年5月 20 18 2
1999年6月 19 18 1
1999年7月 13 12 1
1999年8月 17 14 3
1999年9月 19 16 3
1999年10月 21 19 2
1999年11月 17 13 4
1999年12月 15 12 3
2000年1月 26 21 5
2000年2月 35 33 2
2000年3月 15 13 2
2000年4月 17 13 4
2000年5月 29 25 4
2000年6月 15 11 4
2000年7月 19 16 3
2000年8月 15 12 3
2000年9月 15 12 3
2000年10月 20 14 6
2000年11月 17 14 3
2000年12月 18 15 3
2001年1月 19 16 3
2001年2月
2001年3月 19 16 3
2001年4月 20 17 3
2001年5月 30 23 7
2001年6月 33 23 10
2001年7月 25 18 7
2001年8月 19 16 3
2001年9月 29 23 6
男性に比べ、女性の参加人数は低い。2001年6月に二桁を記録するのみで、他は圧倒的に男性の姿が目立つ。フィールド調査で感じたことだが、女性でも主婦層はちらほらと見かけるのだが、20代の女性はほとんど見当たらなかった。史の会終了後の飲み会になると幹部のHさんと私以外の女性は参加していない。これは、時間帯が遅くなるため、夕飯や家事をしなければならない主婦の方たちは参加しづらくなるという理由があるものと思われる。
【社会的な立場別】
職業・社会的な立場で参加者の割合を見る。項目も多く、表では直感的にわかりにくいので、パーセンテージ表示のグラフで説明したい。なお、このデータは毎回取っているわけではない。1年に1度とっているものである。
半数近くが会社員(吉野論文の中では企業人、という呼ばれ方がされていた)である。多い順に定年後の人たち(リタイア)、主婦、学生となっている。2001年の7月は主婦の割合が増え、また不明となっている人々の割合も12%にのぼっている。年とともにさまざまな属性の人が参加するようになってきているのがわかる。
5−3 運営方法
月に1度のペースで、白山地区センターという公民館の一室を借りて開催している。保守言論界で活躍されている講師を招いて講義を聴くというオーソドックスな手法を用いている。 上述したように幹部の中の1人であるK君(23)が渉外役を務め、講師を招いてくるケースがほとんどである。参加者はひとり500円ずつ会費を支払うことになっている。その500円から講師への謝礼金、葉書代などの通信費がまかなわれる。参加者によっては1回につき500円でさまざまな講演が聞ける、という理由で足を運ぶものもいた。
参加者は、やはり近隣在住のもの(神奈川県民)が多いが、他の保守系運動に携わっており、人づてに史の会の存在を知って参加する人もいる。したがって、常連メンバー以外はわりと流動的に動いているというのが実態である。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2001/ueno.htm