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(回答先: <普通>の市民たちによる「つくる会」のエスノグラフィー 【「史の会」のエスノグラフィー】 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 26 日 17:48:57)
7. 終章 ―<普通>の市民たちの限界―
7−1 個人主義的な保守市民たち
戦中派の人たち(70歳以上)と、そうでない人たちの間の交流が盛んではないということが確認できた。参与観察を行っているときから気になっていたことであるが、戦中派は戦中派で固まるのである。戦中派の方たちは講師に対して個人的に興味のある質問をするが、他の参加者(特に若年層)に向けて言葉を発したり、積極的にコミュニケーションを求めていくことはしない。彼らの価値基準は、昔の教育勅語・修身の教科書にあり、自ら体験した戦争そのものにある。戦争を論じる時には「自分がかかわり、友が死んだ」という視点からになる。インタビューにこころよく応じてくださった方も、会話の中心は、つくる会の運動そのものというよりも、戦争体験談であった。勉強会に関してもその他、政治的な活動にしても「あの戦争はなんだったのか」「どう位置づければいいのか」を模索するために(あるいは自己確認のために)続けている、という印象を強く受けた。したがって、筆者のような若年層のものでも「戦争体験談を伺いたい」という姿勢を見せる、郵送でダンボール数箱分の資料を送ってきてくださるなど積極的にコミットしてくる。
そして、興味深いのは、戦中派でない人たち(20代の若年層〜50代の団塊の世代まで)も戦中派の人たちとそれほど関わり合おうとしない、ということにある。インタビューにもあるとおり、M氏(20)は「価値がかみあわない部分がある」と言い、O氏(28)は「ご老人方は運動センスがないので話しにくい」とまで言い切っている。その価値観の違い、ズレはいったい何が原因だろうか。第6章の部分を簡潔にまとめてみよう。
1つの原因は「戦争体験の有無」である。史の会で戦争について議論するときに、同じ視点で議論できるはずがない。20代の参加者は、「保守」的な思想に傾倒してきてはいるものの、その年数やリアリティは戦中派にはとうていかなわない部分がある。M氏などは勉強熱心で多くの著作を読みながら、自分の言葉で保守思想を語ろうとするものの、話し方に若干の揺れを感じることができる。C氏にインタビューをしたときのような、確固たる自信−すなわち「私は保守で、それは戦中・戦後通して、今までずっと変わっていない」という信念のようなもの−をM氏やK氏には感じることができなかった。M氏は「天皇・皇室」を語るときも「〜すべきだと思ってはいますが」「それを全国民に強要することはない」「難しい問題です」と言葉を濁している。
そしてもう1つ挙げるならば「皇室」の問題だ。小熊(1998)は以下のように論文に書いている。
若年層にとっては、天皇は時折テレビで見る程度の存在でしかなく、自分が向かい合っている日本社会の問題と天皇の存在は、およそ無関係としか考えられていないのだ。こうした感覚からは、天皇への忠誠心も、天皇制打倒の叫びも、出てはくるまい。天皇の戦争責任を認めながら、象徴天皇は肯定するという先の引用も、そうした感覚に支えられていると思われる。「新しい歴史教科書をつくる会」における天皇への言及の不在は、こうした若年層の意識の反映であろう。
インタビューはちょうどこの引用を証明する形となった。M氏も自覚しているとおり、「保守の保守たる所以」である天皇について「つくる会」が言及しないことが両刃の剣になっているわけである。それは、戦後生まれの「戦争にリアリティを感じられらない世代」に安心感を与え、若年層を惹きつける要因ともなったが、翻って「保守」の内部分裂を引き起こす原因ともなったのである。若年層の中にも(M氏のように)本の中から保守理論をひっぱってこようとする者がいる。自らに身体感覚として根付かない「天皇」認識を、言葉で埋めようとしている。「古きよき日本の伝統」を文章から想像し、自らのリアリティに変換しようとする。
また、天皇に関してM氏ほどこだわらないO氏は「つくる会教科書は、内容よりも存在自体に意義があると思う。極論すれば、どんな内容であっても問題ない。」とまで言っており、ドライに運動論のみを展開しているような印象を受けた。
以上述べてきたような、戦中派とそれ以外の若い世代とがお互いにうちとけていないという現状は、「古き良き保守」の主張から考えてもかなり皮肉な状況なのではないか。史の会の参加者を見ていて思うのが、とても「個人主義」なのである。史の会以外でメンバーと連絡を取り合うことはほぼない。皆、それぞれ自分自身の「史の会利用目的」が存在して、それを満たすために時間をつくって公民館へ勉強しに来るのだ。他の参加者と交流するために、という動機は思ったほど聞かれなかったのが印象的であった。この会に圧倒的なのが、「サイレント保守市民」である。それはある意味当然の帰結と呼べるかもしれない。なぜなら、皆それぞれ異なった職について働いているし、史の会で隣り合わせになったとしても「自分の生活」には関係のない人なのである。1ヶ月に1回、同じ史の会に参加している、ただそれだけの共通性で仲良くなって価値観を乗り越えるほど語り合えるということはないだろう。史の会に関しては、皆「それでいい」と思っているので、3年ちかくゆるやかに続いてきているという現実がそこにある。「草の根レベルの保守運動」と一言でくくるには、あまりにも参加者の意識が分かれすぎている、というのが筆者の素直な感想である。
7−2 教科書問題ブームのその後
教科書採択戦が終わった夏以降、参与観察をしていて興味深かったのは「自虐史観」「従軍慰安婦」「南京大虐殺の真実」「歴史認識」などという一連の「つくる会」キーワードがほとんど姿を現さなくなったことである。
筆者の推測ではあるが、これは採択率がほぼ壊滅状態だった、という結果にもとづくものではないかと思うのである。小林よしのり氏や藤岡氏などつくる会幹部がテレビメディアでも大々的に取り上げられたり、6月に出された市販本が異例の売れ行きを示したり、そうした状況が、つくる会運動を一種の「ブーム」にしてしまったのではないか。会員も熱に浮かされたようにそれらの言葉を使いながら勢いづいていたが、蓋を開けてみると夏に盛り上がったほどの結果が出なかった、というよりむしろ惨敗の様相を呈した。ここでインタビューのときのM氏の的確なコメントを言葉を借りると
「結局は政治の問題です、結果取れなかったら意味ないんですよね。なんか中途半端なことをやってる気がしてならない。教科書の内容が「正しい」から採択すべきだ、っていう自分たちの善人の理論だけをもとにして動かそうなんて甘いと思う。」
ということなのであろう。すなわち、つくる会の一般会員は「教科書の採択」という利権の絡んだ特殊な世界をよく知らなった、単純に「この教科書は良いものだから、正しいものだから」という基準と勢いだけで採択戦をすすめようとした。だから惨敗した、ということをM氏は言いたいのである。
史の会でも、10月、11月ごろは採択が思うように取れなかったという不満が「つくる会」本部へと向いた。飲み会では、西尾氏の出した「国民の歴史」という本が導入としては分厚すぎた、つくる会はITを軽視しすぎたのが問題だ、いや学者が内部分裂していたから動きようがないのだ、などさまざまな意見が出た。おもに「運動」として技術的に失敗があったのだ、という論である。これは前述のM氏やO氏に通じる考え方である。
そして、いまや史の会の話題の中心は、「歴史」ではなく「夫婦別姓問題」にシフトしつつある。一時の「つくる会」フィーバーはどこへいったのか。もはや「過去」の問題になってしまっているのは確かである。
7−3 普通の市民たちによる草の根保守運動とは
本研究で明らかになったことは、大きく分けて3つある。
自らを表象する言葉が「良識ある普通の市民」になってしまう
「運動」をする者としての限界が存在する
結果第一主義
まず@に関して説明したい。参与観察を通して、史の会の参加者からよく聞いた言葉が「私たちは普通の市民」、である。産経新聞の講読率が8割を占めるという時点で、世間一般の平均値からは外れたところにいるはずの彼らが、「自分たちは普通だ」と言う。「サイレント・マジョリティ」という言葉が「つくる会」の内部で好ましいキーワードとなっているように、あくまでも彼らのなかでは、極端なことをやっているという意識はそれほどなく「自分の国のことをもっと誇りに思いたい」「日本人として誇りを持ちたい」という願いが存在するだけである。私は、彼らがなぜ自分たちを「普通の市民」と表象するかというと、それ以外の適当な言葉を見つけられないからだと思う。彼らが忌み嫌うのは「左翼」、「うす甘いサヨク」である。それらに対するアンチとして自分たちを置いているだけであり、「右派」「右翼」「民族派」という言葉で積極的に位置づけしない。この事象の要因としては、戦中派の人たちとの「天皇観」の相違を第6章で述べたので参照されたい。
Aについては、現に「つくる会」の教科書採択運動が失敗したことで説明はつくであろう。すなわち、彼らは運動に対してどこまでも「受動的」なのである。運動を支持するだけの良き観客にすぎなかったのである。なぜか。それはこうした保守運動というのは切羽詰った利害関係がない上に、彼らは自分自身の生活に忙しいからである。このタイプの保守運動は「既存の保守的言論の中に想像しうる限りの「古きよき日本」を探し出し、その幻想の中でナショナルアイデンティティを確立する」ことに重点が置かれている。たとえば訴訟問題のように、もし敗訴すれば生活すら危ういという意識からは程遠い。「日本の歴史教育が、こんな風になればいい。(という憧れ)」や「今までの教科書はおかしいから、こっちが採用されるべきだ」という議論が繰り返されることによりムードだけが高まり、そして現実的には採択戦で、純粋な市民運動家の多い左翼陣営に惨敗するという構造である。自称「平日は普通の会社員」には、保守運動をやる暇もなければ、運動を展開するほどのリアルな保守思想が存在しない。
そして、最終的にはBに行き着くのである。自分たちを「サイレント・マジョリティ」と規定する集団は、結果がとれないといっきに関心を失う、という傾向がある。K氏(23)もインタビューに対し、“結局数字(採択率)がとれなきゃ駄目なんです”という答えをしている。これは今までの論理でいけば、当然の帰結であろう。「自分たちは正しいことを言っているし、自分たちの掲げる主張こそが世間の普通の人たちの共有するものなのだから、よい結果が期待できるはずだ」という思い込みが、結果第一主義に走らせる。2001年8月15日に採択結果が出てから、史の会のなかでの「教科書問題」は影をひそめた。HP掲示板では「つくる会」本部への批判・不満が書き込まれた。自分たちのせいだとは思っていない。採択率が低かったのは、つくる会本部の運動の仕方が悪かったから、そしてマスコミが悪質な言論弾圧を行ったからだと思っている。では実際「<普通>の市民」である彼らは何をしたのかというと、大部分は本を読んで講演を聴きに行っただけではないのか。彼ら1人1人が協力して、署名をあつめて地方自治体の教育委員会に請願しにいったりしたのだろうか。答えは、否であろう。
――目には見えない「国(くに)」に憧れを抱き、「伝統的な」と銘打たれた保守思想に安心感を覚え、日本人として誇りを持てる「物語のような」歴史を待ち望んでいる人たちが確かに存在する。
しかしそれが本当に「今、生きているひとたちのリアリティに基づいた」健全なナショナリズムなのだろうか。この保守運動を見ていると、彼らのリアルな世界、すなわち日常世界において夢や希望が持てないからこそ「こうであればよい」という幻想を抱いているような気がしてならない。彼らは、たくさんの本を読み、同じような考えの人々と交流しながら「理想の日本人像」を自分のなかで形成する作業が楽しいのであって、今の世の中を本当の意味で変えていく力にはなれないのが本当のところではないだろうか。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/thesis/2001/ueno.htm