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(回答先: ハッジュ雑感 @ 投稿者:イスラムに働く霊[韋駄天-35894] 投稿者 乃依 日時 2003 年 12 月 31 日 12:12:29)
[35895] ハッジュ雑感 A
投稿者:イスラムに働く霊 投稿日: 12/31 Wed 09:40:15 [ID:6SBq5BRVdOY]削除
http://homepage2.nifty.com/bet-aramaye/islam/hajj.html
>メッカはいわゆる門前町でした。カーバは様々な宗教の本山(多神教のメッカ)で、
>先述の通りカーバの中には多数のご神体が祭られていたそうです。
☆当時、アラビア半島ではアニミズムが大変盛んでした。360の神々が祭られていました。
その中の最高神が、アラーの語源となったアラート神であり、イスラム以前は大地の豊穣
を司る女神でした。
>ですからメッカには多数の参拝者が集まります。その参拝者を客とした商売で富を蓄えていったのです。
>もし預言者ムハンマドの言うとおり、イスラム教徒になって、偶像崇拝を止めるので
>あれば、カーバの中の多数のご神体も処分しなければいけません。すると参拝者は
>来なくなります。人が集まらなくなります。商売あがったりです。貧乏になってしまいます。
>当然、イスラム教徒になってたまるか、という気持ちになります。入信活動が
>はかどらないのも、当たり前です。
>しばらくしてムハンマドはメディナへ移住します。政治的才能を発揮しメディナの勢力を
>強くしていきます。様々な理由が考えられますが、直にメッカとメディナは戦闘状態に入り、
>大きな武力紛争を三つ経験します。特に最後の戦争、俗に「壕の戦い」と呼ばれている戦争では、
>メッカは持てる力を全てつぎ込んでメディナ屈服に挑みました。
>ところがメッカはメディナ制圧に失敗します。メディナは持ちこたえてしまったのです。メディナのムハンマドはこの時、独力でメッカを屈服させるほどの政治力は無かったようですが、メッカが全力で攻撃しても、持ちこたえるだけの力はあったのです。
>メッカとメディナの関係は膠着状態にはまり込んでしまいました。潰したいけど潰せないメッカ。勝ち目はないが潰されないだけの力はあるメディナ。
>敵地メッカへ単身で「巡礼」すると、言い出したのです。
☆コーランによると、624年のことです。つまり、ヒジュラの時点では彼らはエルサレムに
向かって礼拝していましたが、方向を反対にしてメッカを向いて礼拝するように変更したのです。
これをキブラの変更といいます。そのため、メディナにはミフラーブが2つあるモスクがいくつか
見られます。
>この行為が持つ意味をよく分析する必要があります。
>・預言者ムハンマドは、敵地「メッカ」へ自ら赴くことで、まずメッカの面子を大きく保っている。
>・「単身」での巡礼は、メッカに敵意のないことを示している(実際は守備隊付きになった)。敵将とはいえ単身で乗り込んできた相手をいくら何でもメッカは殺せない。しかも預言者ムハンマドは同じクライシュ族の人間。
>・「イスラム教はメッカ巡礼をする宗教」であることを示した。
☆ムハンマドは、「政治家」としては、天才だったのかも知れません。この点に
ついては、日本の外務省の役人は大いに学ぶべきです。
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>その中で預言者ムハンマドの最大の「譲歩」とは何か?
>それは、先の分析で私が三番目に挙げた、
>「イスラム教はメッカ巡礼をする宗教」であることを示したこと、
>イスラム教徒がメッカを「巡礼の地」と定めるならば、イスラム教徒の増加は、
>メッカにとってマイナスにはなりません。これまで多神教徒としてメッカに来ていた
>巡礼者が皆イスラム教徒になっても、巡礼者の数が減らないからです。商都メッカに
>とって一番問題なのは巡礼者の「数」であって、その巡礼者の宗教ではありません。
☆ここまで言ってよいかどうかは別ですが、メッカ降伏の背景に、商業的思惑あり、
内部から呼応者が出たということはあったかもしれません。
>一方、イスラム教は、それまで否定していたメッカの多神教的宗教儀礼を受容
>しなければならなくなります。ですからこれは「譲歩」となるのです。
>このように、「ハッジュ(大巡礼)」が、イスラム教の中で、浮いて見えるのは、
>イスラム共同体の生死をかけた条約締結のための「譲歩」の結果だからではないでしょうか。
>ハッジュはイスラム以前の多神教の儀礼を沢山残している。これはイスラム教には本来、
>入らなくてもすんだ儀礼だ。ではなぜイスラム教に入ったのか?それはメッカとの政治的妥協のためだ。
>ずいぶん思い切ったアイデアであることは、もちろん、認めますが、
>「ハッジュ(大巡礼)」に感じる強い違和感は、このような仮説でも立てないと、自分の中で
>解消されないのです。