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(回答先: 十勝沖地震リポート(上)・「そのとき何が…」 海面上昇、車のみ込む【静岡新聞】 投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 17 日 20:39:19)
「船を守るのが第一」と語る十勝の漁業者(右)。しかし、東海地震ではその余裕が与えられない可能性が強い=北海道広尾町の十勝港
http://www.shizushin.com/jisin/news03101503.html
一九五二年(昭和二十七年)三月の前回の十勝沖地震=マグニチュード(M)8・2=以来、十勝地方に被害をもたらした地震は実に七回を数える。“経験豊富”な海沿いの住民は、九月二十六日早朝の強烈な揺れで「津波の危険」を直感した。
豊頃町大津地区に住む金丸イサさん(75)は、激しい震動で眠りを破られた。家は浜沿い。「すぐに津波が頭に浮かんだ」が、揺れで足下が定まらない。「はって支度をして、出ようと思ったら、玄関が開かなくって」。気は焦った。
金丸さんは一九六〇年(昭和三十五年)五月のチリ地震津波で恐怖の体験をしている。「浜で魚を干してたら『津波が来るぞーっ』て声がして。あっという間に胸まで漬かっちゃった」。男性二人に両脇を抱えられ、命拾いした。あの悪夢が再び脳裏をよぎる。
町の広報車の避難を促す声が聞こえた。裏口からようやく外に出ると、「周りに人はいなくて、もう私だけだった」。津波の避難所に指定されている地域の集会所へと急いだ。結局、大津地区は浸水もなかったが、住民約四百人のほぼ半数が集会所に避難。高台に逃げた人などを含めて「大半は避難勧告前から、自分で行動した」と役場の担当者は語った。
一方で、漁業者の多くは対照的に動いた。広尾町の十勝港そばに住む柏原成行さん(63)は猛然と港へ走った。三十隻ほど残っていた船のほとんどは、津波の到達前に次々と港から姿を消した。
五トンほどでも五千万円、さまざまな装備を付ければすぐ一億円を超すという漁船は「かあちゃんより大事」と、柏原さんは冗談交じりに話す。「漁師はだれでも船を守りにくるんじゃないの」。同町役場の堂下和博企画商工課長(51)は「港周辺は交通規制もかかっていたが、何人かは振り切って船に向かったようだ。制止するのは現実として困難。それぞれがぎりぎりの状況判断で動いたと思う」と語る。
幸い、被害に遭った漁業者はなかったが、「たまたま間に合った幸運の結果」とある関係者。震源がより陸に近く、海が深い駿河湾で起きる東海地震は、津波のスピード、大きさとも今回の十勝を数段上回る。県の想定では数分以内に所によって十メートル以上の津波が襲う。「行政の勧告待ちでなく、自主判断で『すぐ避難』が大切。船を守るという論理も通用しないだろう」。県の担当者はそう警鐘を鳴らす。