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>>日々通信 いまを生きる 第80号 2003年11月11日<<
総選挙の結果は今までと変わりなく小泉内閣が継続することになった。この選挙に
は私の内部に燃えるものが感じられなかった。しらけた気分だった。二大政党制だと
か、政権交代だとか、はなばなしい言葉が行き交ったが、内容は空虚だった。
民主党が勝てば、なるほど、イラク出兵は阻止できるかも知れない。その他、半世
紀以上も続いた自民党政治が終わるのだから、そこには波瀾もあり、新聞種になるこ
ともいろいろあるかも知れない。
しかし、十年前の細川政権が結局元の木阿弥になってしまったように、たちまち元
に戻ってしまうような気がしてならなかった。
どうしても私は民主党を信じることが出来なかったのだ。
民主党は結局どこが自民党と違うのだ。こまごました違いはあるが、結局アメリカ
に対する関係について、財界に対する関係において、自民党と対して変わらないよう
な気がしていたのだ。
それでも、民主党が勝てば、その本質が曝露されて、歴史が一歩前進するかも知れ
ないとは思った。
しかし、二大政党制がつづくのなら、そのときはまた、自民党の政治に戻るという
だけのことなのだろう。
朝鮮問題にしても、イラク問題にしても、日本はアメリカの呪縛を脱し、自立した
アジア政策を持つのでなければ、ずるずるとアメリカの戦争に巻き込まれていくこと
になる。
私の民主党に対する不信は、中田横浜市長に対する不信と結びついている。
市立保育園の民営化とならんで、横浜市大の改革問題もひどいものだ。廃校にする
ぞと脅かして、それがいやなら、市当局がでっち上げた「あり方懇」(市長お気に入
りの学外者だけで構成されている)の線で改革しろと迫ったのだ。
何のための改革か。第一が経済問題である。市大には1140億円の累積赤字があり、
市民にこれだけの負担を強いてまで大学を維持する理由はないというのである。しか
し、その赤字の大部分は付属病院、センター病院等の建設費なのだ。
それは市民の財産であり、大学の赤字とは普通は言わない。もし大学をつぶして
も、建物は残り、赤字もなくならない。そもそもこれはヤクザまがいの言いがかりで
しかない。
将来、やっかいものになるおそれのある大規模開発には多額の支出をつづけなが
ら、大学の病院などの建設費の債務があるからといって、大学を廃校にするとは、ど
う考えても理解しがたい話だ。
これは、保育園や病院やその他の福祉施設やごみ処理施設等、市民生活に関係深い
ものを民営化して、市が責任を負うことをやめようとする一貫した中田市政の態度の
現れだ。
民営化することで、利用者の負担は当然増えるが、それは市の知ったことではない
というのである。市民税は何のために払っているのか。
市大の場合も、独立法人化で、学生の負担は私学なみに増えると平然としていうの
である。
この改革問題を通じて、<市民の血税>というような言葉がたびたび使われた。な
んと大げさな煽情的な言葉使いであろう。
そして、市大は市民の生活にも文化にも何一つ貢献していない。学問的にも見るべ
き成果をあげていないと言い放つのである。
だから、廃校にしてしかるべきだが、市の言いなりの改革をすれば細々と存続は認
めてやろうというのである。
ここには大学に対するおそるべき無理解がある。大学は単に市民のためにあるので
はなく、横浜市ほどの日本第二の都市ともなれば、国と世界に対してそれ相応の貢献
をするという観点があってもいいのではないか。
もちろん、市民の文化的要求にこたえ、直接市民の生活に役立つ調査や研究もあ
る。それらの点でこれまで市大は相当の貢献をしてきたと思う。
しかし、また学問の各分野で、市大は相当な成果を上げ、学界の指導的役割をはた
しても来たのだ。
もちろん、規模が小さく、予算も乏しいので、十分な成果をあげたとは言えない。
しかし、それなりの成果をあげてきたことは否定出来ない。
そのことをまったく無視して、<あり方懇>の座長とかいう橋爪大三郎氏は、最初
の<私案>を出し、これが、ともかくこの改革騒動を巻き起こしたのだ。
滑稽なことに、やがて橋爪は、市大がそれ相当の成果をあげていることは認めなく
てはならなくなり、もし、経済問題さえなければ、今のままでもいいだろう、しか
し、市財政は大変な危機なのだという話にしてしまった。だから、改革しなければな
らないというのである。
奇怪なことである。市財政の危機の問題が、その根本の原因に立ち入ることなく、
安易に大学改革の問題になるのであろう。
そもそも、橋爪氏は市大の実情などは一切知らずに、その廃校をいうために何等見
るべき成果をあげていないというような暴論を吐くのである。
彼は多分何の調査もしていないのではないか。市長の意向を受けて、根拠もなし
に、市大批判をし、廃校にしてもいいのだなどとほざいてみせたのだ。学者として橋
爪氏は失格だ。
多分、市長も市大のことは知らなかったのだろう。ただ金食い虫にしか見えなかっ
たのだろう。それは、学問とか文化とかに無理解な、市長の見識の低さを示してい
る。
市民への貢献という点では、なおなおなすべきことが多々あるだろう。市民の不満
もあるだろう。しかし、それがたちまち、廃校とか、大幅縮小とかいうことにはなら
ないのではないか。
改革は必要だ。しかし、それは過去を検討し、その成果の上にたって、個性を伸ば
す形でなされなければならぬ。
それをいきなり、一二のアメリカの例などをもちこんで、それをおしかぶせようと
するやり方では、決してうまく行くわけがない。
しかし、問題は学長だ。こんないい加減な改革案を示されたら、市大の歴史と大学
の全構成員の意向を代表して、堂々と反対すべきだったのではないか。それを唯々
諾々とひたすら従属的な態度で、教授会も無視して、大学の改革案なるものをでっち
上げてしまった。
私は、これは結局教授会や評議会の反対で成立しないと思っていたのだが、学長
は、正規の機関を無視して、学内にも十分情報を流さず、ほとんど謀略的に、学内の
反対を押し切って、<あり方懇>案にそいながら、さらにひどい答申を大学の答申と
しておこなった。
これは大学自らが決めたことだということになるのだ。
市長はそういってすべての責任を大学に負わせることになるだろう。
その責任は学長にある。しかし、そのような暴走を許した教授会の責任もまた問わ
れなければならないだろう。
何かだまされたような空虚な感じがしていると思うが、これは市大だけの問題では
なく、同様な問題と戦っている全国の大学構成員に対する裏切りであり、多分、歴史
に残る出来事なのだ。
いま、教授会が自己の責任を全うしようとすれば、このような学長に辞任を要求し
て、反対の意思を示すことではないだろうか。
学長も、自分のしていることが何かよく分かっていないのではないか。自分でも反
対せずにはいられないことを、周囲のお膳立てに乗せられて突っ走ってしまったので
はないか。
それなら、みずから辞職して責任を明らかにし、反対の遺志を示すべきだと思う。
いかにそれがひどいかは、書けばきりがないほど、私の内側が燃えてくるのだ。し
かし、それは多くのサイトで山ほど論じられているので、以下のサイトを見ていただ
きたい。
そして、いまは思うのだ。いくら批評しても、意見を述べても、ほとんど、彼らは
聞く耳をも持たないのだ。馬耳東風というのだろうか、蛙の面になんとかというのだ
ろうか。
某教授はいくらいっても聞かれないのだから、自分は隠者になって、ひたすら論文
を書くのだと言っていた。
つまり、こうした無気力感が教師たちを支配している。
この<改革>の進め方が、<生まれ変わった>大学のやり方なのだ。そして、教員
は無気力になり、ひたすら、自分の業績つくりに集中する。どんあ改革でも、その当
初はもっと勇み立つものがあるのではないだろうか。この無気力化こそ、この改革の
本質なのだ。
私は1933年の滝川事件を思い出す。
あれから、どどっと戦争の泥沼に突入したのだ。
大学の自由が奪われるのは、国民の自由が奪われることなのだ。
自由のない大学、国家や、行政に従属するとき大学は死ぬのだ。
この問題については、次を参照されたい。
横浜市立大学を考える市民の会
http://www8.big.or.jp/~y-shimin/sitetop.html
http://www8.big.or.jp/~y-shimin/
横浜市大教員組合 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/shiryo/index.htm
永岑三千輝教授 http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/
佐藤真彦教授 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/
矢吹 晋教授 http://www2.big.or.jp/~yabuki/
荻原昭英氏(S37卒,神奈川県庁OB)(国文卒業生の荻原さんのご夫君)
「アキオの独り言」 http://members.jcom.home.ne.jp/akiogi1/
市大改革について(大分前に書いた私の意見です)
http://homepage2.nifty.com/tizu/keireki/kaikaku.htm