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(回答先: Re: ありがとうございます、竹中さん。まあ、ちょっとのんびりゆったりいきませんか、縄文人気分で(笑)。 投稿者 やめて 日時 2003 年 12 月 26 日 05:25:09)
ご提案喜んでお受けします。
やめてさんは私が思っていたとおりの人のようで安心しました。
笹谷女史の考えの盲点はすぐにわかったもんで、コメントさせていただきました。
色白と目の色の問題ですが、これは色黒や黒毛の人などの身体体的現象を含む問題だと思います。
私が山形に5年間近く、小学校三年から中学校一年の夏休みまで、通学した限りで、特に目の色や色の白さで印象に残ったという人の記憶はありません。ぷるすうるとらさんがおっしゃったような「うさぎのような目をしたおぼご」はいませんでした。
そのかわり男児、女児とも色白で美男美女、女性では秋田美人にひけを取らないでしょうね。でも色黒もいましたよ。
その色黒のわけを考察するに、山形市内の小学校は転勤族の子弟が多く、そのウエイトは三分の一に上る学校もあるとのことです。これは自分で母校をたずねたときに先生から聞きました。
だから乱暴に言えば色黒を「転勤族の子弟」と考えられないこともありません。
ただどうもこういう分類は差別や偏見を助長するものだと思うので、「白人」などという概念が優劣意識につながるようでもあり、また日本人の中でも縄文人の子孫に直接あてはまるのかどうかは疑問です。
なぜこういうか、それは私が沖縄に関心をもっていたからです。
沖縄の人たちも彫りの深いまなざしをもった人が多いです。当初1970年に復帰前に沖縄を訪問したときには面食らいました。美男美女が多く劣等感すら抱いたくらいで、現地では「東京に行って電車に乗ったけど、電車の中みんなのっぺらぽうばかりだった」といわれました。
しかし沖縄でも目鼻立ちはウチナーンチュであっても色は白人のように白いし毛深い人も多かった。
この例では琉球王朝時代に16世紀からポルトガル船が沖縄にやってきたころから混血が進んだそうで、その子孫が多数存在しているうわけで、これこそ先祖は歴史的にも白人と言えると思います。
一方色の黒い人も当然います。
ほかに南方や中国との交流もあって、まさに国際的な混血の舞台になっていたようです。
沖縄をなぜ自分は研究したかといいますと、やはり日本語と民族の問題を自分なりに知りたかったからです。
日本語のルーツは、大野氏が沖縄が日本語の宝庫であると言っていたことにヒントを得て調べて見たくなったのです。またそのころはアイヌのユーカラにも関心をもったのですが、残念ながらやってません。沖縄でもやるとなると膨大です。文献は伊波普猷(いはふゆう)のおもろ草紙の研究を中心にやって見ました。沖縄の言語や文化や歴史は日本本土のそれらに十分匹敵するほど奥が深いのです。
日本語を祖語とする本土語と沖縄語の分岐は平安時代でその後数百年にわたって沖縄と本土の交流は絶たれています。そこで沖縄では、万葉時代のことばがそのまま残るなどしながら音韻上で顕著な独自の日本語の発達を遂げた。理解しがたいように聞こえる沖縄語も、これは音韻のなせる技です。ついでに言えば音韻上鹿児島弁も難しいといわれますが、ことばの根幹部分はほぼ本土のものです。
したがって私がアイヌ民族の存在を知りながら勉強しなかった(特にユーカラ)のは大変な落ち度だと後悔しています。なぜなら、南方から渡来した日本人、沖縄に立ち寄り本土へ北上した日本人は縄文人に対しては征服の対象だったのでしょう。そのご大陸からの影響もあり朝廷が作られ、天皇制支配、武家、資本家と支配者が変わってきているわけですね。
さて、そういうわけで日本人・日本語のルーツに関心があったのですが、やめてさんがおっしゃるように私は縄文人のような気がします。単細胞なのは北京原人かもしれません。東北弁に染まったまま、生涯「いなかっぺ」、金田一京助のズーズー弁にも負けず劣らずで、毎日生きてます。
愚民党さんからは東北について教わり、気もちを新たにしていました。
これから縄文人、その子孫のアイヌ民族について勉強せねばならない気がしてます。