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(回答先: Bakabonの歌 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 12 月 22 日 00:21:38)
マルハナバチさん、こんにちは。
横レスにて失礼します。また、前後関係を勘案し一部bakaさんへのレスも含ませていただきましたが、悪しからず。
さて、「欲」=「意欲」(乃依さん)=「生命力」と受け取りました。そして、彼岸を望む水際で把捉できる限りにおいて、マルハナバチさんが三身論で擬えられている生命(力)の様態を最終的に済度することになるのが、地球というMatrixあるいはそれへの帰依であろうと考えています。この辺のアナロジーは今までの私との経緯を踏まえていただければ、マルハナバチさんには得心していただけるのではと想っています。
ただし、今まで「生命力」という言葉を使用しなかったのは、その語を中心に据えると対話が何やら諦念のようなものに向って終息していったり、極端な場合は優生学の方へ導かれるのを極力避けたいとの思いがあったためです。けれども、動物生態学や大脳生理学や行動心理学等を包摂して厳密に再構成していくならば、新たな生命観の創出と共有に資することにもなるのではと推察しています。(余談ですが、経営学のmain issueを教科書的に纏めれば、経済主体の継続を睨んだ「生命力」の拡大とそれを取り巻く「環境」(生存条件)の把握にあると言うことができるでしょう。)
この日本のおいてさえ、同年代の人達やあらゆる世代を通じて能力のある人達が大勢います。そして、例えばより高次の知識(技術を含む)を身に付けられる能力を、「生命力」の形象の一つと捉えることもできるでしょう。確かに、「生命力」の強弱が直截に支配−被支配の構図に導かれるとは考え難いのですが、仕事にたいする意欲や諸々の社会適応能力を人間における「生命力」の諸相ないしはその顕在化(表現形)と見ることは可能だと思います。そう概括すると、金融資本家達やその知的執事達や衆生も「生命力」が構成する単なる位相であって、地球史的時間軸に照合してみれば支配−被支配の関係は一時的なものと言えるかも知れません。
さらに、川を下り海洋で育ち川を上って産卵し子孫を遺すといったサイクルを持つ鮭と周辺の川と湖に限局された中でそのサイクルを繰り返す鱒の一生との間に、「生命力」で区別される極だった差異はなく、彼らの群においても支配−被支配の関係にない事実が、それを補完し得ると想われます。
けれども人間界をもう少し掘り下げてみると、たとえ幻想であってもこの支配−被支配の関係を措定し、かつ成員が受け容れる形をとらなければホメオスターシスを確保できない側面もあるようです。岸田秀はその根本原因を人間における本能の崩壊に措いて“唯幻論”を展開しています。つまり、本能が壊れたままでは環境に適応していけないので、人間は脳機能の発達をたよりに事物(環境)を対象化して再編成を繰り返さなければならなかったとしています。
私は、本能が壊れたのではなく、本能だけでは対応できないほど人間は過度な適応を強いられたために、それに随って脳の機能を発達させなければならなかったと捉えています。しかし今では、本能が壊れたというのは、そのことを導き出すための反語的なフレイズだったと考える方が適当ではないかと思っています。
そこで、bakaさん:【bakaは、次のように考えています:あっしら仮説から、"彼ら”を取除いても(つまり、"彼ら”が存在しなくても)、結果的に知的執事を務める人間は掃いて捨てる程、存在しうるし、実際に存在している。これは、複雑系に働く自然法則の如きものに基づき、知性を持った人間という存在から、いわば創発的に現われる存在である。この場合、知的執事らの上位にある"彼ら”は存在してもしなくても、数理的/論理的には矛盾はない。しかし、ユートピアへと向う相転移が発生するには、"彼ら”の存在が不可欠である。】は、重要な認識であると感じますし、おそらく今のところbakaさんはその居住まいを変えるつもりはないでしょう。それは、少なからず上部構造先行論や前衛不可欠論に通じるものであり、前掲の岸田秀も支配−被支配の関係を排除しつつも、しかし上部構造による下部構造にたいする規定性という構図に歴史的現実性を見い出そうとしています。
もしかすると、bakaさんは降服の一歩手前に来てしまっているのかも知れません。懊悩を脱し、奴隷と知的執事予備軍のダブル・バインドの状態に抗っていくためにも、我々非才なる存在にとっては何かに降服することが必要条件になるのでしょう。でも、これ以上にbakaさんの心理分析に深く立ち入っていくのは本意でありませんので控えますが、以前bakaさんが彼の匿名希望氏にたいし壺を押えた質問で執拗に食らいついていた様子が思い出されて懐かしく感じました。どうやら、bakaさんの心象風景を読み解こうとするあまり、取りとめのないものになってしまったようです。(お二人に申し訳なく思っています。雑談ということに免じて赦していただきたく望みます。)
また、会いましょう。