現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用6 > 555.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 体験的陰謀論序説その2(他人に騙されないための闇の魔術に対する防衛術) 投稿者 リーマン 日時 2003 年 12 月 18 日 01:09:16)
リーマンさん。 こんばんわ。
素晴らしい。
以前にアルファンドさんに何回か戦前史についてレスをいただいた頃、
私の中にずっとこだまし続けていたのがこれ−己の姿を見ること−です。
しかし、それをはっきりと口に出すことにためらいがありました。
そのためらいが少しとり去られた感じがします。
大日本帝国の軍備、それを支える産業力、資金力は、
一種のハリボテであり、虚勢であったと思われます。
兵器体系やその運用システムも旧弊で不合理なものだったそうです。
(こちら方面は詳しくないので本の受け売りです)。
日露戦争資金は、高橋是清−ヤコブ・シフを介して、ロスチャイルドから調達されたと本で読みました。
一生懸命お願いしてやっと買ってもらったのだそうです。
日露戦争の勝利(1905年)から敗戦(1945年)まで40年。
それから産業貿易戦争勝利(1985年)まで40年。
そしてその勝利の絶頂それ自体の中に、明らかな次の敗戦の原因が見えている。
(私が今回の敗戦と焼け野原の到来を悟ったのは1988年でした)。
戦前と戦後は、形態と局面とを変えながら、
しかし同じことを繰り返している。
日本列島はまるで一つの振動子(振り子)のようです。
これについても岸田秀の分析に妥当性を感じます。
一種の統合失調症(旧名 精神分裂症)であるというのです。
米英によるレイプによって、統合された自我を失ったこの島国の民は、
誇大で尊大な自画像と、矮小で卑屈な自画像との間で
交互に揺れ動いているのだと。
これが日本操縦が容易であった理由でしょう。
必要なことは、自分をとり戻すことに違いない。
鏡を正しく見ることに違いない。
自分の欲求のありかを、何を本当に望んでいるのかを「対象化」すること。
これと同時に自分の力を正確に見積もること。
近代日本の人々は、いったい何を望んでいたのでしょうか?
あういう歴史を望んでいたのか?
負けたのが悪いのであって、勝てばよかったのか?
他人の不動産に侵入し、
市場拡大を図って大規模重工業を維持し、発展させることを望んでいたのか?
確かにそのようにも見えます。
子供の数を増やして、ハワイへ、カリフォルニアへ、そして移民排斥後には満州へ自営農になるために渡っていくことは?
本当にそんなにたくさん子供いるのか?
確かに国策でした。
しかし民衆の本当の望みとは違っていたような気がしてならないのです。
次に、これはあまり言いたくないないことだったのですが、
他国、つまり満州に国家を建設するような思想とか用意があったのか、
疑問なのです。
確かに経済合理性はあったようである。
ブロック経済の中で生きていくために独自の経済圏の拡張を必要としたのは何となくわかる。
しかし、多数の人間が現に住んでいる不動産に侵入し、国家を建設することは、
覚悟を必要とする。
そういう覚悟があったのか、準備があったのか、といえば疑問です。
長い江戸時代を経た日本人は、そういうことは不得意なのではないかと。
人種差別撤廃や西洋侵略者排撃については、
理想はわかるとしても、
冷静に自分たちの力を省みれば、
とてもかなわないことは理解すべきであったと思われます。
もちろん、このように後から見ることは容易ですが、
現在の自分の姿が正確に見られるわけではありません。
戦前とのアナロジーで考えますと、
我々は自分達の力を過小評価しているのではないかという思いにかられます。
GDP第3位(購買力平価基準:実態は第2位)、
新商品造成力、研究開発力もまだまだある。
国民経済では黒字。
米国をファイナンスしている。
自由貿易体制下で圧倒的な勝者ではないのか。
産業インフラもある。
世界のほとんどの国々の国民は、
これよりも圧倒的に悲惨な条件下で必死に生きている。
これで悲観する必要がどこにあるのか。
元気を出し、正気を取り戻し、
国民に労働を適正に分配して労働力を生かし、
不正な戦争を止められないのかと思います。
それができないのは、自分の姿が見えておらず、
また自分の欲求を理解していないからのように思えてなりません。
このように縮こまっていると、
また戦前と同じ焼け野原を迎えるに違いない。
あっ、私優秀ではないので、トラバーユなんかないですよ。
神様が怖いのです(いかん、神がかりだ)。
リーマンさんはリクルートに乗っちゃだめだよ。