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(回答先: あっしらさんへ「人為的」とは誰がどの様な目的で感染を拡げているのでしょうか? 投稿者 平和屋 日時 2004 年 1 月 24 日 14:41:40)
平和屋さん、レスありがとうございます。
最近ちょっと過敏になっているので、「別に議論するわけではないのですが、」という言葉をいただくとちょっと引いたり恐縮してしまいます。(半分冗談ですから軽く受け流してください)
議論と言えば議論になりますが、別に白黒や正誤をつけるためにやり取りしているわけではなく、情報交換や自分の理解を深める過程だと思っていますので気楽にお願いします。
また、家畜業の“工業化”、家畜が家畜の扱いさえ受けなくなっている状況は、様々な病気発生の一因であるとともに病気云々よりも人の生存様式にも関わるもっと根源的な問題だと思っています。
心配しているのは病気そのものというより、私の仮説ですが、意図的に家畜や食肉をおかしくされていることです。
平和屋さん:
「あっしらさんの「鳥インフルエンザが鳥から人及び人から人に感染することはないのだろうと考えています」というこですが、鳥インフルエンザは(H5N1の高病原性鳥インフルエンザも含め)主な人の感染例は以下のとおりです。
1997 香港 H5N1 18名が発症、6名死亡
1999 香港 H9N2 2児が発症したが軽症
2003 香港 H5N1 福建省を旅行した3名感染(2名死亡
2003 オランダ H7N7 鶏で発生、獣医師1名死亡
2004 ベトナム H5N1 5人死亡(1月19日現在)
ですから、鳥(鶏)から人への感染はないというのは誤りだと思いますが、いかがでしょうか?もしかして、鳥と鶏を明確にわけてらっしゃるので、鳥から人はないけど、鶏から人はあるということですか? 」
当時香港へは年に1、2回遊びに行っていましたし衛星放送の香港ニュースも毎日のように見ていたので、1997年の鳥インフルエンザ騒動は記憶によく残っています。
意図的散布説も、そのときの報道を受けて生じたものです。
鶏から人への感染は、そうであるだろうという推測であって確定されたものではありません。1997年に死亡した3名は、子供も含まれていますが、生きた鶏と接触する機会はまったくない人だったと報じられていました。
糞などその排泄物を摂取することがまずない人には鳥・鶏から感染することはないだろうと考えると同時に、後述のことから、ウイルス構造からも鶏を含む鳥から人に感染することはないだろうと考えています。
平和屋さん:「また、インフルエンザウイルスとレセプターの関係については、医学・生物学会ではあまりにも定説ですので、研究テーマにもならない状況です。何故、例えばH5N1が鶏に強毒性があるのに鴨では不顕性になるのかは、ウイルスレセプターが鶏には全身に存在するのに対して、鴨には腸管もその一部に限局しているためです。種の壁を越えてインフルエンザウイルスが感染しないか?は、もちろん全てレセプターで解説出来るわけではありませんが、大きな要因であることは確かです。ちなみに、A型インフルエンザウイスル(鳥インフルエンザも含まれます)は、牛などの反芻獣や犬猫には感染しません。」
SARSのそうですが、鳥インフルエンザも、ひとへの感染は、レセプターの個人差ではなく、ウイルスの“突然変異”(ひとのレセプターに合うかたちの)として説明されていると思っています。
もちろん、ひとによってレセプターの違いがあるとは思っていますし、感染した後の症状も個人差があると思っています。
鳥からひとに感染するものであれば、今以上に鳥類との接触が密であった昔のほうが鳥インフルエンザにひとが感染する事態が頻発していたはずだとも思っています。
平和屋さん:「※あっしらさん:「鶏も人間も“人為的”に鳥インフルエンザに感染させられているのではというのが現在の私の見方です。」
人為的ということが、興味をそそります。今回の事件は誰がどの様な目的で、「人為的」に感染を拡げているのでしょうか?あっしらさんのご賢察をお聞かせ下さい。」
考察というのではなく推量ですが、
誰がというのは、WHOが絡んでいるんだろうなという程度しか思いつきません。
(もちろん、WHOにそのようなことをさせている勢力はいると思っていますし、WHOの一般職員や実働部隊は自分がそのようなことをしているとは知らないと思っています。
目的には、「生存の基礎である食の不安を煽ることを通じて管理体制の強化」・「人口削減策に生物兵器を使うための地ならし」・「肉食削減も含む食生活の再構築と管理(食資源の“有効活用”)」などが含まれるのではないかと思っています。
(SARSもそうですが、「世界の工場」になっているアジアが狙われていることに政治的意図を感じています)