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(回答先: いつまで続くやら無利益な動物大量処分対策、医学の無明さのつけか 投稿者 寅蔵 日時 2004 年 1 月 22 日 00:47:03)
注意
ナイチンゲールの言うこの「予防」というのは現在のような予防接種という意味ではありません。
真の予防というのは、ここで多くを言う必要のないほど簡潔に、しかも明確に示しています。
「本当は状態のこと、汚いとかきれいとかいった状態のことであり、
それはまさに自分の管理次第なのです。」
「汚い」とは簡単に言うと「血液が汚れている状態」
波動的に言えば「低い波動状態」
粒子的に言えば「不純微粒子が多い状態」
「きれい」はその反対。
要は血液がきれい、波動が高次、不純なものが少ない状態
さらに、ナイチンゲールはおどろくべき真実をついていたようです。
「もっと正確に言えば、自分のおかれている状態に対する自然の恩恵とも言える
作用なのです。」
「自分のおかれている状態」
というのは先ほどの「きれい」であるか「きたない」状態を指すようです。
そして、
それに「対する自然の恩恵とも言える作用なのです」
と。
これはまさに病気に対する見方が一八〇度変わる指摘でしょう。
なぜなら、医学の「病気を悪と見る」に対して「病気を善と見る」からです。
病気を「自然の恩恵」として見ているのです。
こんな自然の真実を捉えていたナイチンゲールに驚きと尊敬を覚えます。
それが今、現代でよみがえる時を迎えたのではないかと思わず興奮するのは私のみ
かも知れませんが、おそらく近い未来においてこの説は根本的な感染症対策として
見直されると思っています。
個別に現われる病気症状はまさに「形容詞」なのです。
さまざまな症状に惑わされ、その根本である人間の方の「状態」を忘れ見逃して
「外から来る」と思っていくら対処しても無駄なことだったのです。
それは「無駄な悪あがき」だけでなく、次々と新たな感染ウイルスや細菌を産みだして
しまう「有害な悪あがき」だったのではないかと・・・・・・
結論は急ぎません。
これからも次々と現われる感染症に今のような対処法がどこまで効果があがるのか
じっくり見ていきたいと思います。
医学の対処法が効を奏して無事に人類が健康で安心な世界を作り出せるのなら、なお
結構なことです。
今後の行方をじっくり見つめて行くことで答えが出てくるでしょう。