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いつまで続くやら無利益な動物大量処分対策、医学の無明さのつけか
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/674.html
投稿者 寅蔵 日時 2004 年 1 月 22 日 00:47:03:8X/teMCB5Xc.E
 

病気外因説だけで推し進めているのが今の西欧日本そしてそれに追従しよう
としている国々が採り入れている現代医学。

しかしその行き先はどうも危ない様相を見せ始めていると思われる。

最近の感染症対策をみていると、いつまで経っても病気外因説に固執しているから
とんでもない対症法をやっているようだ。

まず、ウイルスにしてもその発生源が解らないから、直前に関連した動物を処分さえ
すれば良いという思考しか出てこない。

郵便物に有害な危険物が入っていた。
ではその郵便配達の人が悪いから処分してしまえという単純な考え方であろう。

もっとも発生源などというものは特定できないことは分かり切っているのが医学
なのだから、無駄なことを知っていてそれをやろうというのだから矛盾も甚だしい。

それは鼻から「細菌やウイルスは発生しない」と定義づけしているからだ。
「発生しない」のだから発生源などあり得ないことになろう。

だからO-157にしても、その他感染症の度に発生源を探せと言っているが、見つかる
はずがない。そもそも「発生」しない「源」などあるはずがないだろう。
あくまでどこまで行ってもそれは「感染してきたもの」になるからだ。

そうなると、鳥が豚が、牛が・・・と言ってもそれは直接的には感染元になるとしても
その鳥や豚や牛が「発生源」ではないのだ。
そう、ウイルスや細菌は「自然発生しない」ことになっているのだから、そのまた感染
元になるものがあることになる。

そうしてその元になる元がまたあり、そしてまたその元があり・・・
永遠に感染源は見つからない。

これが医学の基本となっているから、病気が医院説には決して「病原」が特定できない
学問だと思う。

結果として、人にとって直接関わった動物を病原として処分してしまう。
さきほどの郵便屋さんの様に。

しかも一人の郵便屋さんだけでない、すべての郵便屋さんを処分しようとする。
これでは動物もたまったものではない。

不自然な環境で飼育され、不自然なエサを与えられ、しかも余計な薬(主に抗生物質)
まで与えられて、その挙げ句が突然全員(全匹?)が連帯責任を取らされ殺されて
処分されてしまう。

鳥や牛の次は豚であろうか?
そうして、やがて動物から人間へと替わってきた時・・・・・・・

あの国の人から感染したのだから、あの国の人は・・・・
あの会社、あの学校、あの○○・・・・・

なんだか怖い未来が見えてしまいそうだ。これがブラックジョークで済ますには
今までの思考法を逆転しなくてはならないようだ。

病気外因説から病気内因説へ

つまりウイルスでも細菌でも、宿主であるヒトによって住みづらい、住みやすいと
いう環境があるわけだ。それは宿主側の条件によるのだ。
ウイルス感染が猛威をふるっても、それに影響を受けない人も居るのだ。

その影響を受けにくい人体の環境を整備することが完璧な感染症対策なのだが、そう
言っても昨日今日でそうなれる筈もないが、たとえ感染症にかかってもその対処法を
誤らなければ、現在の様にそれほど恐ろしいとは思われない方向に向かうのだろう。

それには今の医学の基礎となっている「発生源」を外から内へと向けないといけない
だろう。

下記はある人が翻訳してくれた論文の一部であるが、ここでナイチンゲールが見たもの
感じたものをよく理解することから始まるだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パスツールがかの悪名高い「細菌説」を最初に広める前の医学界や、時の最
先端の医者たちが唱えていた病気の原因に関する様々な説の歴史を振り返って
みると、パスツール自身が発見した説は何一つなく、他人の研究結果を横取り
し、それを曲解し別のものに造り替えてしまったという説得力のある証拠を見
つけることができるだろう。

 いわゆる「細菌説」と呼ばれる説はパスツールよりずっと以前からあったの
だが、それがあまりに古い説であったため、あたかも新説であるかのように発
表することが可能だった。彼はそれをまんまとやりおおせたのだ。

 カナダのケベック州にあるマクドナルド大学(マックギル大学の農学部)の
学長、細菌学の教授であるF.ハリソンは、『微生物学』という教科書の中で、
『微生物学における歴史の再考』という評論を書いている。以下はその抜粋で
ある。


 「ヴェローナのジロラモ・フラカストロ(イタリアの詩人・医者 一四八三
−一五三三)は一五四六年にベネチアで出版した本(De Contagionibus et Co
ntagiosis Morbis, et eorum Curatione)の冒頭部分で、接触伝染や感染症、
あるいは病原体の真の性質や、伝染病の伝わり方について書いている。彼は病
気を、その感染経路によって、接触感染するものと、媒介感染するもの、離れ
ていても空気感染するものの三つに分けた。そしてseminaria接触原と呼ばれ
る病気を引き起こす有機体は、現代の物理化学者が膠質と表現する状態に似た
ねばねばした粘着質の性質を持つと推測した。これらの目に見えない小さな粒
子は適当な媒介の中で増殖が可能で、動物熱の作用によって病原性となる。こ
のようにフラカストロは、一六世紀中期に、微生物学における病気のプロセス
の概要を示したのだ。」

 パスツールが「発見」した細菌説の三〇〇年以上も前に出されていたこの本
は、パスツールの説の驚異の予言書であるかのように思われる。ただフラカス
トロは──顕微鏡がなかったために──これらの有機体が個々の生命体である
可能性については気づいていなかったと見られている。

 ハリソンによると、H.ヤンセンによって最初の複合顕微鏡が作られたのは一
五九〇年だが、バクテリアを見ることができるほど高性能な顕微鏡は、一六八
三年頃までなかったという。さらに彼はこう書いている。


 「一六八三年、オランダの博物学者でありレンズ職人であったアントニウ
ス・ヴァン・レーウェンフックは、自作の一〇〇倍から一五〇倍の倍率を持つ
単レンズの顕微鏡により得た観察結果を、英国王立協会に報告した。唾液や歯
石の中に、彼が極微動物と名付けたものが見つかったのだ。彼が口頭と図解で
表したところによると、それらは棒状や螺旋状をしており、そのどちらもが運
動性を持っていたという。多分その二つの種は、今現在、bacillus buccalis
maximus(訳注:口内の最大級の桿菌?) とspirillum sputigenum(訳注:唾
液の中の螺旋菌?) と呼ばれているものであろう。

 レーウェンフックの観察記録は純粋に客観的で、1762年に伝染病の細菌説を
発表したウィーンの内科医M. A. Plencizの思索的な見解とは見事に対照的で
ある。M. A. Plencizは、伝染病の種類ごとにその原因となる固有の有機体が
存在しており、この極微な有機体は体外での増殖が可能で、大気によって様々
な場所へ運ばれるのではないかと主張した。」

 これはパスツールの偉大な思想そのもの──そっくりそのまま彼の細菌説─
─であり、この説はパスツールが思いつく(?)、つまりあたかも自分の考え
であるかのように発表する前から、一世紀にも渡って活字となって存在してい
たのだ。

 これがいかに簡潔にパスツールの細菌に関する説の一切合切を先取りしてい
るかに注目してほしい。Plencizが顕微鏡を持っていたという証拠も、レーウェ
ンフックの極微動物のことを知っていたという証拠もないと見られる一方、彼
のずば抜けた考察からすれば、そのどちらも十分あり得そうな話だ。もし細菌
説に何らかの価値があるのだとしたら、そこから得られるはずの名声は、パス
ツールではなくPlencizに贈られるべきである。接触伝染、感染症、疫病といっ
た奇妙な現象を、少なくとも当時の人たちにとって、たやすく完璧に説明した
に違いないこの説は、当時の医学界や科学界で物議を醸しだし、そのときの文
献をパスツールが利用したのだろう。

 この説が広く知れ渡っていたということは、世界的に有名なイギリスの看護
婦フローレンス・ナイチンゲールが、パスツールがこの説を取り上げ自分の考
えとして主張しはじめた一七年以上も前の一八六〇年に、これに対する異論を
唱えているという事実によって示される。

 彼女は「感染症」についてこう語った。


 「病気とは、犬や猫といったように種類分けできる個々の存在ではなく、
互いに起因し合って生じる状態のことをいいます。

 絶えず間違いがくり返されているのではないでしょうか?今現在、病気とい
うものは、個々に分離した存在であり、犬や猫のように実体のあるものである
かのように思われていますが、実はそれは誤りで、本当は状態のこと、汚いと
かきれいとかいった状態のことであり、それはまさに自分の管理次第なのです。
もっと正確に言えば、自分のおかれている状態に対する自然の恩恵とも言える
作用なのです。

 例えば天然痘について、わたしはこう教え込まされていました。かつてこの
世には、最初の犬(正確には最初の犬のつがい)がいたように、どんどん繁殖
をくり返し、子から孫へ果てしなく連鎖していくその元となる最初の個体が存
在していた。天然痘もその一つで、自ら発生することはない。そこに親犬がい
なければもうそれ以上新たな犬は生まれないのと同じように。

 それ以来ずっとわたしは、閉め切った部屋の中でもすし詰めの病室の中でも、
幾度となく天然痘が最初の個体として現れるのを、この目で見、この鼻で嗅ぎ
続けてきました。それはどうしても「移った」のではなく、発生したとしか思
えませんでした。

 わたしは病気が発生し、進行し、ほかの病気に変わっていくのを見てきまし
た。しかし、犬は猫に変わったりしません。

 例えば、やや混み合った中で熱病が進行していたのが、少し人が増えると腸
チフスになり、またさらに少し人が増えると今度は発疹チフスになるといった
ようなことが、同じ病室や小屋の中で起こっていたのです。

 病気というものを次のように捉えたほうがはるかに妥当で、より真実に近く
現実的なのではないでしょうか。(というのも、病気とは、すべての体験が物
語っているように、名詞ではなく形容詞なのです)

──真の看護とは、感染症に対して予防(※訳注) 以外は何もしないことで
す。清潔を保ち部屋の換気をし、常に患者にを配ることが唯一の防衛手段であ
り、真の看護婦に一にも二にも求められていることなのです。

──患者を思慮深く人道的に扱うことが、感染症から患者を守る最善の方法で
す。清潔さを保つことが、看護の大部分であると言ってもよいでしょう。

──現在の医学界のルールのような病名を特定する主義は、愚鈍で無教養で不
安定な精神の巨大な隠れ蓑となります。特定の病名などないのです。特定の病
状があるだけです。」


 ご覧のとおり、歴史上で最も有名な看護婦の一人であるフローレンス・ナイ
チンゲールは、その生涯に渡って感染症、接触伝染、疫病と向かい合った経験
から、パスツールが細菌説を自分の発見として押し進める一七年も前から、細
菌説に異論を唱えていたのだ。(第八章六一頁参照)

 一八七八年であれそれ以降であれ、パスツールが細菌説について把握してい
たこと以上に、ナイチンゲールは一八六〇年以前に、細菌説のことも、それが
完全なる過ちであることもはっきりと理解していた。

 それでは、パスツールがいかに人の研究ばかりに依存していたかを知るため
に、ちょっと寄り道して、細菌の研究は発酵の研究の所産だったという話まで
数年間戻って見ていくことにしよう。

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