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感染症の時期に入りました。
ワクチンの重要性が宣伝され、そしてそれを鵜呑みにするばかりの大衆。まるで国を挙げて戦争体制に持っていこうとするキャンペーンが知らずのうちに繰り返されているようです。相も変わらずというまさに「大本営発表」的情報の海に流し続けなければならないのは真実の一滴でしょう。
下記はおなじみの「危ないぞ予防接種」より
一九二四年に「自然療法』を著した、ヘンリー・リンダール医博の言葉を引用しておこう。
「現在では疑いもなく、逆症療法の医学の傾向は血清、抗毒素、ワクチン療法に向かっている。実際すべての医学研究は、その方向に傾斜している。今日も明日も、医学雑誌や日刊新聞が、ある種の病気を治し免疫を作ると主張する新しい血清や抗毒素について報道している。もし医学の研修と臨床がこの線に沿って続けられ、一般にも受け入れられるとすれば、また医師会がそれを支持すれば、こうしたことが法律によって国民に強制されることになるであろう。その結果はどんなことになるのだろうか?
子どもが思春期に達する前に、その血液中に天然痘、狂犬病、破傷風、脳脊髄膜炎、腸チフス、ジフテリア、肺炎、狸紅熱などのワクチンや血清や抗毒素が接種されるであろう。もし逆症療法がこのような方法で行われるならば、大人の血液は何ダースもの細菌の抽出液と病気の毒や破壊的な薬物毒の混合液になってしまうであろう。扁桃、アデノイド、虫垂その他のいくつかの人体の部分は、保健機関の強制によって、幼い頃にすべて取り去られることであろう。
はたして次のどちらがより合理的で理性的なのだろうか。酒をガブ飲みするように、あらゆる種類の病毒と毒性の防腐剤と殺菌剤を集めて人体内に入れ、病気に対する免疫を作り出そうと努力するか、あるいは血液を正常に働く状態にして、体内の病的な物質や毒物を浄化し、機械的な傷を治し、そして正しい精神的心構えを養うことによって、自然な免疫を創造するか? これらのどちらが病気の原因となりやすいのだろうか?……どちらが健康づくりに好ましいのか?」
以上引用
私はああしろこうしろとは言いません。
判断は個人で行なうべきものです。
しかし、国や行政機関はほとんど強制的に「ああしろこうしろ」と言って来ました。「ああせい省、こうせい省」と名前があったかも?「危険だから」「えらいことになるから」という理由をつけて。
そうして何かあったときには国の税金で謝罪するだけです。心底から誰も責任など取ってきた人は居ません。ワクチンを大量に用意してさも国民のためだとでもいう様に製薬会社やそれに寄生する学者たちによって宣伝され、馬鹿な国民はだまされ続けてきたのでは?
こうも書くと、それはもう誹謗中傷のための偏った情報だと思うでしょうか?