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(回答先: レス2:「開かれた地域共同体」についての粗雑なイメージ 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 16 日 00:06:16)
あっしら様、こんばんは。
現在で言う大資本を要する大規模集約産業が「開かれた地域共同体」においても生き残りうる
ということについては理解したつもりです。
>国民経済主義と言う過渡的考えを提示しているわけは、企業と企業の関係、企業と従業員の関係、高額所得者と低中所得者の関係、都市と農村の関係
>などといった現在では利害が対立していると思われるものが、実のところ共通利害関係にあり不即不離で一蓮托生であることをまず実感的に理解すること
>が重要だと考えているからです。
“国民経済主義と言う過渡的考え”と言うことは「開かれた地域共同体」においては、国単位の経済主体は消滅する、と言うことでしょうか?
国単位の経済主体は残ってもいいが、それは単なる地域の呼び名に過ぎなくなる、と言うことでしょうか?
>「開かれた地域共同体」は、必需的なものや汎用的なものが共同体内で自給自足できるかたちになっているのが望ましいと考えています。
> 食糧や誰もが使うものは、どの共同体でも生産するというイメージです。
化石燃料の枯渇を考えると、そう遠くない将来、長距離自動車輸送に頼った現在の商品配送システムは機能しなくなる可能性は高いと見ます。
現在の米国など、都市でも田舎でも自動車がなければ生活できないような人や物の輸送システムになっていますが、化石燃料の枯渇とともに自動車社会が崩壊すれば、
沢山の陸の孤島が出現することでしょう。
「開かれた地域共同体」では、人馬の力で行き来できる範囲で共同体成員の生活必需品がまかなえることが理想でしょうね。
おそらくあっしら様もその程度の規模の共同体をイメージされているのではないですか?
>地理(自然)的条件によりその地域で手に入らないものもあるので、地域共同体間の交換は行われ、その範囲は世界レベルになります。
> “開かれた”という形容詞を付けているのはこのためです。
世界的な交易も存続するとなると、現在“彼ら(世界支配層、国際金融資本家)”が進めているグローバリズムから
“彼ら”の存在のみを除いたものが、あっしら様の言う「開かれた地域共同体」のイメージに近いのでしょうか?
ネグリの主張する今後出現する(であろう)帝国とは、巷間で言われているようなアメリカが世界を支配する帝国化するのではなく、
アメリカをもその機能の一部を担う手駒として含むような真にグローバルな世界帝国、と言うのがあっしら様の解説ではなかったかと記憶しています。
このレス2を読むと、“自国破壊者”と呼んで国民経済を毀損させる国内勢力を激烈に批判するあっしら様と、
その国民経済すら“過渡的考え”に過ぎないと主張されるあっしら様と、
2人のあっしら様がいるような感じを受けました。
戦略として、一時期“国民経済主義”を採らざるを得ない、しかし最終的に“利潤なき経済社会”の不可避的な到来において実現される“開かれた地域共同体”とは、
結局、現在“彼ら”が推し進めつつあるグローバリスムが完成した時点で寄生者である“彼ら”を取り除いたものになる・・・、
そんなイメージで正しいのでしょうか?あっしら様の言説に上記の2面性を私が感じるのはそこが原因なのかな?
もし、“彼ら”のグラーバライゼイション戦略を利用しないで“開かれた地域共同体”の具現化を図るとすれば、いつの段階でどのようにしてあっしら様は“国民経済主義”を捨て去るべきとお考えですか?
歴史には、フランス革命のように劇薬を用いねば次のステップに進めないポイントがやってくるときがあると思います。現状から“開かれた地域共同体”への移行に際して、痛みは伴わないのでしょうか?
度々の拙論、ご容赦ください。