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(回答先: グローバライゼーションから“彼ら”を放逐すれば「開かれた地域共同体」になる?? 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 12 月 17 日 18:46:23)
まさちゃん、レスが遅くなりました。
まさちゃん:「“国民経済主義と言う過渡的考え”と言うことは「開かれた地域共同体」においては、国単位の経済主体は消滅する、と言うことでしょうか?
国単位の経済主体は残ってもいいが、それは単なる地域の呼び名に過ぎなくなる、と言うことでしょうか?」
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“地域共同体”→“国家”→“世界”という重層構造の関係性は、今後の歴史のなかで自然に定まっていくと思っています。
“地域共同体”(=基底)と“世界”(=枠)は存続するという予測はできます。
“国家”がどのような存在になるかは、短中期的には存続するだろうが、その意義や役割は減少するというものです。
“国家”のなかに含まれる他者(国)差異性認識を基礎とした一体感や同一性(言語的価値観的)は、たとえ“国家”がなくなったとしても残るだろうと思っています。
国民経済主義という過渡的国家社会は、「開かれた地域共同体」を準備するものとして不可欠なものではないかと考えています。
現在の「近代」から一足飛びに「開かれた地域共同体」に移行するのは無理があると思っています。
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まさちゃん:「「開かれた地域共同体」では、人馬の力で行き来できる範囲で共同体成員の生活必需品がまかなえることが理想でしょうね。
おそらくあっしら様もその程度の規模の共同体をイメージされているのではないですか?」
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そうです。
食品も防腐剤を添加したり頑丈なパッキングをしなくても流通できる程度の広さが望ましいと思っています。
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まさちゃん:「世界的な交易も存続するとなると、現在“彼ら(世界支配層、国際金融資本家)”が進めているグローバリズムから“彼ら”の存在のみを除いたものが、あっしら様の言う「開かれた地域共同体」のイメージに近いのでしょうか?」
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“彼ら”は、自分たちが支配する資本の効率を第一義的に考えているので、基本的に集産主義者です。
“彼ら”の資本増殖にとって都合がいいところに生産を集約したり、排他的利益を上げるために企業を集約(合併など)しています。
「開かれた地域共同体」は、心地よい生活や多様な活動性を第一義的に考え、そのためであれば資本の効率が低下することも良しとし、生産拠点の分散化をはかるものです。
そして、不快な努力を強いられたり、ある身体条件を持っている人がやりたいことができないといった状況を智恵(技術)で解消することを優先する社会です。
そのようなことをしても、人々の生存を脅かすことがないほど高い生産力を既に実現しています。
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まさちゃん:「このレス2を読むと、“自国破壊者”と呼んで国民経済を毀損させる国内勢力を激烈に批判するあっしら様と、その国民経済すら“過渡的考え”に過ぎないと主張されるあっしら様と、2人のあっしら様がいるような感じを受けました。
戦略として、一時期“国民経済主義”を採らざるを得ない、しかし最終的に“利潤なき経済社会”の不可避的な到来において実現される“開かれた地域共同体”とは、結局、現在“彼ら”が推し進めつつあるグローバリスムが完成した時点で寄生者である“彼ら”を取り除いたものになる・・・、
そんなイメージで正しいのでしょうか?あっしら様の言説に上記の2面性を私が感じるのはそこが原因なのかな?」
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おっしゃられるように、言葉での説明ですから、歴史的経過性が見過ごされ同時的二面性として理解されることもあると思っています。
それもあって、先の先にある「開かれた地域共同体」にはあまり立ち入らない心積もりでやってきました。
「開かれた地域共同体」は、“彼ら”を排除しただけでは形成できません。
それはせいぜい気が利いた共産主義世界でしかないでしょう。
グローバリズムが完成したときに利用できるのは、「開かれた地域共同体」の“開かれた”の部分だけで、それにより、地域共同体の世界連合がスムーズにできるというものでしかありません。
けっこうな頻度で“彼ら”のことを語ってきたし、そのような理解をされる可能性もあるとは承知していますが、生身の人間としての彼らを敵対的に排除しようというものではありません。
“彼ら”は、生身の人ではなく、生身の彼らが奴隷となっている制度であり活動論理です。
重要なことは、人々の関係性の在り方であり、望ましい在り方を支える制度や「協働的活動の設計」です。
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まさちゃん:「もし、“彼ら”のグラーバライゼイション戦略を利用しないで“開かれた地域共同体”の具現化を図るとすれば、いつの段階でどのようにしてあっしら様は“国民経済主義”を捨て去るべきとお考えですか?
歴史には、フランス革命のように劇薬を用いねば次のステップに進めないポイントがやってくるときがあると思います。現状から“開かれた地域共同体”への移行に際して、痛みは伴わないのでしょうか?」
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国民経済主義で国家社会が動いていけば、自ずと、「開かれた地域共同体」的構想が打ち出されてくると思っています。
しかし、後段の疑義にも関わる問題として、強大な強制力を持った“彼ら”が待ち受けています。
これは、内部的条件は整ったとしても、日本単独では「開かれた地域共同体」に移行できない可能性が高いことを示唆しています。
比喩的に言えば、米国では“一国革命”が可能だが、他の国は“一国革命”は無理とは言わないが困難が伴うということになります。
大きな逆説になりますが、ちんまりした「地域共同体」を形成するために、インターナショナルな政治勢力の結集が必要ということかもしれません。
米国革命でもいいのですが、それが成し遂げられたら、痛みを伴わない移行が可能なはずです。
“彼ら”であることに執着している彼らとも十分に話し合えるとも思っています。
※ 戦争版で書き込みした事情でしばらく書き込みをしないつもりです。ダダをこねているわけですが、意をお汲み取りいただきご了承ください。
『“八つあたり”レス(笑):しばらく書き込みは中断します』
( http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/1458.html )