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(回答先: ”近代”の超克と”利潤なき経済社会”に関する疑問・質問(あっしらさん宛) 投稿者 三四郎 日時 2003 年 12 月 13 日 15:09:27)
三四郎様、あっしら様、こんにちは。
>近代そのものである企業社会が無くなると思うので大工場や大産業も消滅すると言う事になると思いますが、
>もしそういった社会だとすると現在よりも物的な豊かさを実感できなくなる可能性もあるのではという危惧も感じますが、
>物的な豊かさを維持できる条件などはあるのでしょうか?
私も、上記のい部分に非常に興味があります。
あっしら様の言う「開かれた共同社会」では、利子取得を禁じて資本の増殖過程を抑えるわけですから、大資本は存在しようがなくなるはずですよね(私の解釈、あってますか)?
しかし、現在(=近代)の豊かさや福利厚生は大資本をバックにした大企業によって成り立っていtる部分も大きいと思います。
例えば、医療福祉技術を考えてみましょう。
高度医療器具や医薬品、はたまた遺伝子治療まで、大企業による研究力や商品開発力を抜きにしては考えられないと思いますが、いかがでしょうか?
とすると、あっしら様の言う「開かれた共同社会」では、きわめて(現状に比して)貧弱な医療福祉サービスしか受けられない社会になりそうに思うのは、私の考え違いでしょうか?
医療福祉だけでなく、自動車だって、大メーカーから子会社会社、孫受け、零細下請け企業までの大規模な製造主体のハイアラーキーがあって実現できるものです。
他にも、大資本を必要とする大産業はいくらでも例を挙げることが可能でしょう。
あっしら様の言う「開かれた地域共同体」では、それらを失うことになりはしないかと思います。
(誤解なきよう書き添えておきますが、私は現在の大企業による生産様式を全面的に肯定しているわけではありません。特に、環境に対する高負担、生物の生存環境の悪化と引き換えに存続しているような製造業には否定的です。)
近代社会の実現した物質的・科学技術的富を継承したまま、利子取得を禁じて金融業による貨幣を用いた巧妙な搾取による“寄生”だけを取り除いた、夢のような「開かれた共同社会」はじつげんできるのでしょうか?
では、また。