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(回答先: 横レス失礼! 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 12 月 13 日 16:40:45)
あっしらサンと如住さんの濃密な対話、
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/717.html
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/749.html
にも通ずる三四郎さんとまさちゃんの疑問かと思いますが、bakaの所感について聞いて下さい:
(1)金融資本家の頂点は、いわゆる知的執事のエグサを発揮しているとは云えない境地に達しているのではないうか? どういうことかというと、奴隷状態を自覚しないまま、上を目指して這い上がらんとする地獄のカンダタ(芥川龍之介「蜘蛛の糸」)、ないしはバベルの塔を築き上げんとする人間の業のようなものを見据えたとき、果して金融資本家の頂点は、どのような感慨と行動を執るのか?ということです。
(2)上記(1)に関連して、日本人の生き様について:本日の某新聞の社説より抜萃:
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百年を機にDVDが売り出され、内外で記念の上映会が開かれて”小津ブーム”は最高潮に達しています。どうして今、小津監督なのでしょう。
小津監督は、目の前に「ない」ものを鮮やかに描いて見せた作家です。遺作になった「秋刀魚の味」には、サンマは一切出てきません。嫁いだ娘の無人の部屋のうつろを映す鏡台を見て、観客は男やもめの父親の孤独に同調し、ほろ苦い「人生」という”秋刀魚の味”をかみしめます。不在は存在より重く、寡黙は冗舌より雄弁です。
小津監督は、六回も軍務についています。中国戦線では毒ガス部隊に所属しました。それなのに、結果的には戦争映画はのこしていないとされています。
しかし、戦後の小津作品はすべて、戦場を描くことなしに戦争を描いていると言ってもいいでしょう。
戦後第一作の「長屋紳士録」では、焼け跡の戦災孤児に温かいまなざしを注ぎ、「風の中の牝鶏」では銃後を守った母親の苦悩と夫婦の再生が語られます。代表作といわれる「東京物語」でも、中心にいるのは原節子演じる戦争に夫を奪われたヒロインです。
中でも極めつきといえるのが、「秋刀魚の味」のこのシーン。
大戦中駆逐艦の艦長だった笠智衆演じる父親が、かつての部下に酒場で「ねえ艦長、どうして日本負けたんですかね」と問われ、「けど、負けてよかったじゃないか」とぽつり。背後には「軍艦マーチ」が流れています。
小津の「非戦」も、叫び声より雄弁に観客の心にしみいります。
”心ばえ”のありようは
年ごとに繰り返される大石内蔵助の後ろ姿(baka注:吉良方の間者の潜入に気づいた内蔵助は「西国のさる大名に仕官がかない、あだ討ちはあきらめた」ととっさのうそでその場を繕い、忘恩をとがめる瑶泉院のののしりに耐えながら、永遠のいとまを告げて立ち去ります。)や、よみがえる寡黙な小津調は、この国の市井に生きる人々の”心ばえ”かもしれません。
-----------------------------------------------------------------------------------以上、抜萃。
昨今の小賢しい風潮は、bakaも含めて嘆かわしい。