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レス4:ヒトラーと国際金融家の合作
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/595.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 03 日 20:37:10:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: あっしらさんへ質問したい事があります。 投稿者 三四郎 日時 2003 年 12 月 03 日 17:24:57)


[三四郎さん]

あっしらさん説4
「ヒトラーは国際金融家と合作しており、故意に敗北を選択した。」

その根拠として、ソ連への敗北必至の無謀な侵攻を挙げておられましたが、
私が見るに、ヒトラーという人物は、本来無謀で際どい事を実行する人物に思えます。
ヒトラーの作戦はそれ以前の「ラインラント進駐」「オーストリア併合」
「チェコ・ズデーテン地方併合」「フランスへの侵攻」など
結果として成功したものの、いずれも際どい紙一重の行動であり、
ヒトラーは常に周囲の反対を押し切ってワンマン的に実行した面があると聞いた事があります。
ナチス政権獲得以前も、成功する可能性の極めて低いプッチ(一揆)を起こしています。
本来的に際どいヒトラーの作戦・行動が破綻したのが「対ソ戦」であるという見方も
出来ると思います。

第一次大戦時にそうであったことから、特に軍部内では
対フランスの西部戦線で膠着するという見通しもあったでしょう。
結果として成功した事から、ヒトラーはプロの軍事専門家を軽視し、
自身の判断力に頼りすぎた可能性も高いと思います。

ヒトラーが対ソ戦に踏み切った理由は、
「際どいながらもヒトラーには勝算があった」ということにはならないでしょうか?
勝算としては、「スターリンによる大量の軍部粛清によるソ連軍弱体化(ナチス謀略説有り)」
「奇襲攻撃・電撃作戦による短期決戦」「対フランス戦で証明された
機甲師団の圧倒的な優秀性」などが挙げられると思います。

身近な例えで言えば、
「イケイケで会社を拡大しすぎたワンマン社長が、調子に乗りすぎてコケてしまった。」
と言った面がヒトラーには濃厚に見られると思えます。

もしヒトラーのバルバロッサ作戦が「合作」であったのなら、
ナポレオンのロシア遠征もそうであった可能性があるという事になりますが
こちらの方はどうお考えでしょうか?
----------------------------------------------------------------------------------------
提示された説明は、ヒトラーという人物をどう見るのか、ドイツ第三帝国の統治構造をどう判断するかによって変わるものだと受け止めました。

ヒトラーの人物像については、天才でも狂人でもない、卓越した扇動力を持った政治家だと考えています。
ナチス理論も、19世紀から続く考え方の寄せ集めであり、ローゼンベルクなどによって補強されたものです。
ヒトラーは、思想や理論の呑み込みもよく、それが正義であり幸福をもたらすものであると国民に納得させる能力を持っていたが故に総統になった(なれた)と思っています。


ヒトラーひとりが国際金融家の“知的執事”である英米と合作していたとは考えていません。
ドイツの中央銀行・財務省・外務省から参謀本部といった枢要な国家機構の最高幹部にも連携していた人たちが数多くいたと考えています。

ヒトラーが格段の権限を持っていたとしても、ドイツ第三帝国を独裁で運営することはできません。(あらゆることの判断をヒトラーに委ねられる状況を考えれば、独裁が夢想であることがわかるはずです)

ヒトラーの役割は決定的な政策に関して合作から外れないようにするものであって、多くの国策は分権的に処理されていたはずです。

ヒトラーが独裁者という地位を得るまでが合作活動の要であり、それなくしては、第三帝国の戦争も発動できませんでした。
ドイツ第三帝国を成立させた人たちこそが、合作者の中心に位置していたのです。

破綻していたドイツ経済を立て直しあれだけの戦争ができるまでに回復させた財政家シャハトやそのために資金協力をしたり賠償政策の変更に尽力した米国支配層(=国際金融家)が第一の立役者だと考えています。
経済再建がうまくいかなければ、ヒトラー政権は、国民から見放されていたはずです。
(ヒトラーが卓越した経済理論家や財政家であったとしても、無い袖は振れないのですから国際金融家が不可欠です)

個人事務所時代から暗躍し外務大臣も務めたリッペントロップは、日独伊三国同盟を含め外交政策を牛耳っていたので、ヒトラー以上に重要な合作者だと思っています。

そして、戦争が絡むことですから、参謀本部の主要な地位に合作者がいなければなりません。(今はちょっと名前が思い出せません)

チンケな国家主義政治勢力であったナチスに関して言えば、資金を提供したり、遅れてナチスに入ったヒトラーに目を付け引き上げた人が重要です。(これは諸説あるようです)

ヒトラーも合作者であることは確かだと思っていますが、ドイツ第三帝国は、国家機構の枢要な地位にある人たちの多くが合作者だった「合作国家」だと思っています。

それなら、ヒトラーが音頭をとって、初めから国際金融家の軍門に下ればいいではないかという反論もあるかもしれません。
しかし、国民の多くが、国際金融家を憎悪し、ヒトラー(ナチス)や共産党の政策に自分たちの未来をかけていたのですから、戦争という大災厄を経て敗北していなければ、そのような選択をする政権は存続できなかったという現実を考えればご理解いただけれると思っています。

(「合作国家」や戦争必要論という考えは、フセイン政権のイラクにもそのまま適用できると思っています)

>第一次大戦時にそうであったことから、特に軍部内では
>対フランスの西部戦線で膠着するという見通しもあったでしょう。
>結果として成功した事から、ヒトラーはプロの軍事専門家を軽視し、
>自身の判断力に頼りすぎた可能性も高いと思います。

第一次世界大戦のフランス攻略は戦史研究の大きなテーマになっていますが、それも、合作で失敗させられたと思っています。
当時のドイツ参謀総長はたぶん小モルトケだったはずですが、前任者(名前失念)が立てていた作戦計画を無視した作戦を実行しています。
ですから、西部戦線における破竹の勝利は、ヒトラーの作戦計画に基づくものではなく、参謀本部の作戦計画とそれを実行した部隊によるものだと、周りも本人も知っていたはずです。
ダンケルクに追い詰めた英仏軍を逃してしまったのはヒトラーの判断ですから、それによって、あったかもしれない周りの信頼は崩れたと思っています。


>もしヒトラーのバルバロッサ作戦が「合作」であったのなら、
>ナポレオンのロシア遠征もそうであった可能性があるという事になりますが
>こちらの方はどうお考えでしょうか?

バルバロッサ作戦は対ソ戦ですが、ソ連と合作で行われたわけではありません。
あくまでも、米英が少ない損失で、ドイツを自分たちの枠内に組み入れる同時にソ連を疲弊させるために企てた米英支配層とドイツ第三帝国上層部の合作です。

ナポレオン戦争は、中部及び東部欧州に「近代」を波及させることを目的としたもので、国際金融家に後押しされていたと考えています。

ナポレオン戦争がうまくいかなかったために、第一次世界大戦から第二次世界大戦へと歴史が動いていったとも言えるかもしれません。

ゲルマン民族主義を基礎に近代的発展を続けるドイツやロシア正教を基礎に広大な領地(長大な国境線)と強力な陸軍力を持つロシアは、なんとしても潰して取り込みたい“敵”だったということです。

そして、第一次世界大戦後に列強の一つになったと有頂天になりアジアで経済権益を拡大していた日本も、自分たちの制御から逃れてしまうかもしれないと判断され潰されたわけです。


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