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(回答先: 昭和天皇の責任の取り方 投稿者 せと 日時 2003 年 10 月 27 日 17:00:42)
せとさん、レスありがとうございます。
まず、「敗戦責任」問題は、人格的責任ではなく論理的責任だと考えていますので、誰に罪があるとか誰かに責任をとらせるという意図で提起しているわけではありません。
(ただし、統治者が国策の誤りに責任を負うという問題は現在でも継続していることなので、人格的責任の除外を強調する気にはなれません)
書き込みのなかで対象としている昭和天皇は、あくまでも大日本帝国憲法に規定された統治権限の遂行者だった“彼”であって、深い意味合いをもった天皇とは無関係なのです。
ですから、天皇にかかわるそれ以上の意味的存在は論議の対象にはなじまないと思っていますし、宮中ならびに天皇という世界の責任論として「皇祖皇宗の御心に適う唯一の方法」がありやなしやもこの問題とは無関係だと考えています。
>昭和天皇の責任の取り方は、ご自身のいたらなさ(戦争に反対でありながら戦争を止
>められなかった)と日本国民と連合国の罪を「宮中神事(祝詞をのること)」によっ
>て清められていらっしゃったと推測します。
昭和天皇が、戦争を避けたいと願っていたことは確かですが、自身のいたらなさが戦争に反対でありながら戦争を止められなかったことだとは考えていなかったと思っています。
(輔弼者が戦争を決意したときには、天皇も、ここに至っては戦争もやむを得ない、やるからには勝たねばならないと考えたはずです)
もしもあの世で昭和天皇に会うようなことがあり、昭和天皇が(戦争に反対でありながら戦争を止められなかった)というようなことを言ったら、間違いなく罵倒しぶちのめします。
それこそ、「戦争責任」を一身に背負ってもらうしかありません。
戦争を遂行しながら殺戮に手を染める罪の穢れを敵味方の区別なく清めるということは理解できますが、自分のいたらなさが「戦争に反対でありながら戦争を止められなかった」というのであれば、統治大権を統べる立憲君主として恥知らずの言動です。
(戦争を避けるための知恵を出せなかったことを自身のいたらなさと考えていたのなら、話し合うことができます)
不必要な戦争はやらず、戦争はできるだけ避けるべきだというのは、天皇に限らず、まっとうな国家支配層なら軍幕僚を含み持っている共通認識です。
(まっとうな国家支配層が少なくなり、対中国政策でそれが希薄になっていたことは確かです)
天皇に責任をとってもらったり、天皇を糾弾するために「敗戦責任論」を提起しているわけではなく、戦前の日本はどういう国際状況に置かれていたのか、そして、それを政治的指導層はどのように受け止めていたのか、政治的指導層が国策として決定していったものは公民国家の利益に適うものだったのか、国策は良しとしても、それを実現するための諸政策は合理的なものだったのかなどを考えることに大きな意義があると思っています。