現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ31 > 765.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 「謎の地下神殿ハイポジウムの全貌(1)」大地舜 投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 11 日 04:10:06)
今週の疑問
「謎の地下神殿ハイポジウムの全貌(2)」
大地舜
10月27日
--------------------------------------------------------------------------------
写真と文 大地 舜
マルタ島のなぞ
マルタ島がどこにあるかご存知だろうか? そう、地中海にある。私はマルタ島に取材に出掛けると決めたとき、すぐにイタリアとギリシャの最新の旅行ガイドブックを購入した。家に帰って、つぶさに調べたが、マルタの紹介記事がない。マルタは独立した共和国だったのだ(インターネットで中央地中海通信が参考になる)。
日本からドイツのフランクフルトに飛び、そこでマルタ航空に乗り換えアルプスを越え2時間も飛ぶと、青い海に囲まれた茶色の小島マルタが見えてくる。
マルタ島は最終氷河期最盛期の時代(1万7000年前)から南の楽園だった。今でも夏には海のレジャーを求めて多くの観光客が訪れる。冬も避寒地として最適で、北欧・英国などからたくさん人々が訪れている。(港の写真)
この淡路島よりも小さな島マルタには「謎」がいっぱい存在する。
この島には巨石を使った神殿跡が20以上もある。こんな小さな島に、なぜこれほどたくさんの巨石神殿があるのか? この島は、もっと大きな文化圏の一部だったのではないだろうか?(写真はハジャーイム神殿)
これまで巨石を使った最古の建造物はエジプトの大ピラミッドだと思われていた。ところがマルタの巨石神殿は、大ピラミッド群よりも1000年ほど前に作られている。この建造技術はどこから来たのか? 未知の文明が存在したのか?
これらの巨石神殿は見事な造形美を持つ。このような洗練された造形美が生まれるには長い年月をかけた文化の成熟が必要だ。その文化はいつから存在していたのか? 少なくとも、古代エジプトや古代シュメールよりも古いことは間違いない。
マルタ島には多くのカートラッツ(車輪の轍)があるが、これが周りの海の底にもある。これは何なのか?(写真)
巨石神殿・地下神殿ハイポジウムを造った文明はどこから来て、どこへ消えてしまったのか?
地下神殿ハイポジウムの謎
地下神殿ハイポジウムは町の繁華街から車で15分、住宅街の真ん中にある。場所的には高台だ。
マルタでは地下水が無いため、古代から水は雨に頼ってきた。人々は家を建てると、必ず地下に水を溜めるタンクを設置する。そのためには住宅の下を掘らなければならない。地下神殿ハイポジウムが見つかったのも、住宅建設の最中だった。
だが、住宅の地下に広大な地下神殿があることを知った建設業者は、政府機関に届け出ず、建材の廃棄場所として利用した。したがって、1900年に地下神殿ハイポジウムの上に住んでいた家主が、政府に奇妙な洞窟があると報告したとき、地下神殿ハイポジウムの中は、ごみと水で溢れていたという。
本格的に考古学的調査が行われたのは1901年で、イエズス会のマグリ神父によるものだった。このとき、地下神殿ハイポジウムは床から1メートルの高さまで、赤土で埋まっていた。さらに、その赤土の中からは人骨や動物の骨や、土器などが散乱して見つかっている。
1906年に地下神殿ハイポジウムを調査した考古学者ザミット博士は、人骨が7000体分はあると見積もっている。だが不思議なことに、見つかる土器は紀元前3600年頃のもので、それよりもあとのものは見つかっていない。つまり、それ以降は人が入っていないらしいのだ。
赤土の中の人骨は散乱しており、動物の骨や土器と混じりあっていた。つまり埋葬された遺体ではなかった。これも謎だった。
この謎が解けたのは1997年。マルタ考古学会の重鎮、アントン・ミスフッド博士が、「赤土は大洪水によって運ばれたもの。いろいろなものが混在しているのは近くの新石器時代の墓地が洪水で押し流されて、地下神殿ハイポジウムに貯まったに違いない」と看破したのだ。
これで謎のひとつは解けた。もっとも英国の考古学者デービッド・トランプの最新著書『マルタ・先史時代と神殿』(2002年発刊)にはこの見解が紹介されていない。ということは、まだ考古学界で正式に認知はされていないのだろう。学者の世界では、正式に認知されるまでに、とにかく時間がかかるのだ。
(次週につづく)
http://www.kitombo.com/gimon/031027.html